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 数は少ないけれど、『アンダー』にも医者はいる。いわゆる藪医者の類なのだろうが、『ハイ』で治療してもらうにはハードルが高いこともあって、斑も風邪を引いた時などに世話になったことがあるのだが『アンダー』の医者は白い長衣を着ていたので医師とはそういう格好をするものなのだと思っていた。しかし、レグルスは黒の長衣を好んで着ているようだ。往診に使うバッグはとても重いのだがそれを難なく持ち運んでいるのだからすごい、と斑は感嘆しまくりだ。  そして久しぶりの外に斑はそわそわしていた。さすがにハイエナ族の自分がレグルスの患者のところに行くのはためらわれて、予備用のバッグを預かりながら公園で待つことになった。『ハイ』の街中にある公園はどこも区画が整理されていて小さな子どもたちが遊んだりしやすいように工夫されているし、住人たちが足をのばしてゆったりできるように木陰にベンチが置かれていたりと憩いの場所になっている。 (こんな明るい時間に、『ハイ』の中を歩いたの初めてかも)  ぽかぽかと暖かい陽射しが降り注ぐが、斑は寝ないようにバッグを抱きしめながらレグルスの帰りを待っていた――その時。 「おい、お前ブチだな。てっきりライオン族に殺されたんじゃないかって心配していたんだぜ?」  突然肩を後ろから叩かれて、斑は飛びあがりそうになった。慌てて後ろを振り返ると、そこにはあの晩斑を置いて逃げて行ったハイエナ族の仲間がいた。ハイエナ族は夜に動くことが多いので、まさか斑同様にこんな明るい中を堂々と歩いていることに驚いたが、すぐに別なターゲットを探しているためだということに気づいた。 「……なんかさ、しばらく見ない間に随分綺麗になったんじゃないのか? 前は青白くてガリガリのガキだったのによ。着ているものも随分上等だな。どこかのお貴族様にでも囲われているのか?」  ハイエナ族たちは『ハイ』に住まう”選ばれた者”たちを揶揄してお貴族様、とよく言う。  レグルスに迷惑をかけてしまいそうで咄嗟に首を左右に振ったが、相手は納得していない風にじろじろと斑を見やった。 「まあ、いいけどさ。ところで、そのご大層な鞄。どっかからか盗んできたのか? 最近、全然盗みに入れていないからよお、稼ぎが少なくてうちの女王様が苛立っているんだわ。それに中身が入っているんなら、それ持って一緒に『アンダー』に帰ろうぜ?」  ハイエナ族の男は前の方に回ると斑の隣に座り、馴れ馴れしく肩を抱いてきた。男の目的は、レグルスの鞄だったのだ。すぐに男の手を弾くと、鞄を抱きしめたまま斑は男を睨み上げた。 「なんだよ、付き合い悪いなー。これでも心配はしていたんだぜ? お前がいないと、俺が最下位になっちまうんだ」 「おい、なに立ち止まってんだ!」  茂みの奥から声がして、斑は鞄を握りしめる力を強めた。ハイエナ族は一人だけだと思ったのに、数人が現れて斑はますます鞄を持つ力を強める。ここから動いてしまったら、レグルスは斑が鞄を持って逃げたと思うだろう。斑は元々強盗をしているハイエナ族の仲間だ。強盗の下見に失敗してライオン族に半殺しにされ、偶然転がり込んだ先がレグルスの屋敷だった。自分なら、そんな経緯のある男をすんなり信用できるだろうか。レグルスが自分に期待をしていてくれる、とまで驕ってはいないが、あの優しさを裏切ったりはできない。 「俺、人を待っているんだ。そのうち、ちゃんと女王には挨拶に行くから……見逃してほしい」 「見逃して、だってよ! この恩知らずめ!!」  鞄にいくつもの手が伸びてきたが、斑が離す気がないとすぐに知ると拳や足が斑本人へと向かってきた。いきなり頭を蹴られ、意識が遠のく。ベンチから無理やり引きずりおろされると、何とか鞄を抱え込むように蹲ったものの弱い脇腹を中心に暴力の雨が降り注いだ。痛い。酷く痛いけれど、レグルスに裏切られたとだけはどうしても思われたくなくて、必死に鞄を守る。  やがて舌打ちが聞こえ、暴力が止むかと思った――が、男の一人が蹲ったままの斑に背中から抱き着いてきた。 「なあ、こいつヒート来ていなかったよな? もしかして俺たちが協力してやれば、ヒート来るんじゃねえの?」 「そりゃあいい! おい、見えないようにしておけよ」   最初に斑に声をかけた、斑の次に下位の男たちが渋々と動き、何事かとこちらを見ていた他の来園者を追いやっていく。 「なあ、ブチ。お前にヒートが来たら、俺の仔を孕めよ? 子どもができたら俺にも女王様から褒美があるからなあ!」  この中では一番ランクの高い男が斑のうなじをゆったりと舐める。尻尾のあたりに硬い昂りを感じて、斑はぎゅっと目を閉じた。これはヒートが来れば当然起こりえる未来が早まっただけ――むしろ、今までヒートが来ていないのだから、他の者からすれば遅すぎるくらいでもある。それなのに、嫌悪感が先ほどから止まらない。仔を孕め、と言われてぞっとすらした。綿で作られた柔らかな素材のハーフパンツを、男が無理やり破ろうとするのを、身を捩らせて抵抗する。 「い、嫌だ……!」 「この野郎、調子に乗りやがって!!」  何か硬い物で頭を殴られ、斑の意識が遠くなる。泣きたくないのに、涙が勝手に目から零れ落ちていく。 (レグルス……)   鞄を守れなかったら、どうしよう。誰かが持っていたらしいナイフで背中から服に刃物が入れられる感触に斑が絶望した時だった。    「そこで何をしている!」  それは、とてもよく通る大きな男の声だった。  斑に群れていた男たちが一斉に立ち上がり相手に殴り掛かろうとしたが、まるで相手にならないと言わんばかりにあっさりと打ち倒されていく。斑にのしかかっていた男もナイフを構えて相手に襲い掛かったが、相手が持っていた大きな鞄に刺さっただけで相手を傷一つつけることもなく地面へと沈み込んだ。 「斑! 斑、おい!!」  ――レグルスだ。  何度も顔を殴られて、目がちゃんと開かなくなっている。きっと、今の自分はとても醜いだろう。元々、ハイエナ族は嫌われ者の醜い一族だ。 「……れ、レグルス……か、鞄、ちゃんと……」 「鞄? 鞄を守ろうとしたのか?」  レグルスが驚いたような声を立てた。  怖かったけれど、逃げなかった。ここで待っている。鞄を守る約束を、守れた。 「……おまえという奴は……」  折れてしまっているのか、緊張していたせいなのか強張ってしまって腕が動かない。  黙り込んだレグルスが、優しい手つきで斑から鞄を離すと、そのまま斑の首を支えて抱き起こす。褒めてほしくて――近づきたくて、額をレグルスに近づけようとしたが体が言うことを聞いてくれない。無言のまま、レグルスは抱きかかえた斑の体を抱きしめたのだった。
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