6月の傘

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6月の傘

「雨雨ふれふれ麦くんがぁ〜蛇の目でお迎え嬉しいなぁ〜!!」 「………」 「ほら! 麦くんも歌おうよ!!」 「ぴ…ぴちぴちちゃぷちゃぷ……らんらんらん」 「麦くん歌上手いね!」 「いや…童話ですし……」 「僕、そんなに歌上手くないから羨ましいなー」 「水先輩、歌上手いでしょうが…」 そう言って俺は視線を逸らす。 今日は水先輩が買い物に行ったのだが、雨が降ってきたから大急ぎで迎えに行った。 雨の降る街の店先で1人先輩は立っていた。 いつもは透き通って見える先輩のコップは暗く淀んで見える。 表情も雰囲気も……。 そんな水さんに俺は傘を差し出した。 水さんは驚いて俺を見上げる。 傘を差し出したのが俺だとわかった瞬間、水さんはふわっと笑った。 カランっと氷が溶けた音が暗い店先に響いた。 「迎えに来ましたよ水先輩」 「えへへ、ありがとう麦くん」 そして、帰り道に先輩と童話を歌うことになった…。 それと……急いで迎えに行ったから傘をもう一本持ってくるのを忘れてしまった。 つまり、俺は今水さんと相合い傘状態だ。 「先輩、なんで今日買い物に行ったんですか? 買い出しなら昨日行きましたし?」 「ん〜? おうち帰ったら教えてあげるね!」 「わかりましたよ…」 水さんは絶対に秘密をばらさない。 口が堅いタイプなのだ。 たとえ一緒に暮らしている俺にでも、秘密は教えてくれない。 水さん曰く「秘密は秘密なの!」とのこと。 「でも、少しぐらい教えてくれませんか?」 「うぅ〜……わかったよ教えてあげる」 「マジすか……!」 俺が尋ねると水さんは歩みを止めて少し俯いた。 少しの間、俺らの間に沈黙が訪れた。 雨が傘にあたる音と水さんのグラスの中にある氷が溶けた音が、唯一のBGM。 重いような軽いような俺らの空間に水さんの息を吸う音が聞こえた。 「実はね、僕麦くんと一緒に映画が見たかったから予約してきたんだ!」 「え…映画っすか?」 「うん! 映画!! 今度の木曜に公開される映画なんだ!」 「えっと…どんな話ですか?」 「うーんとねぇ…箒でもっと早く空を飛びたい魔女の主人公が科学者と出会って一緒に研究する物語だよ!」 「あ、それって……水先輩が持ってる小説の」 「うん! その魔女は科学を求めた…っていうタイトルなんだけど……今年映画化されるって聞いたから見たかったんだ!」 「その為にわざわざ出かけたんですか?」 「えへへ…麦くんと一緒に見たかったからね!」 水さんは少し恥ずかしそうに手を頬に当てる。 恥ずかしいのか頬が赤くなっている……気がした。 「その映画って原作ありますか?」 「もちろん! 小説あるから帰ったら読んでみる?」 「じゃあ…読みます」 「やったぁ! 私が好きな章は2章で主人公が…」 「水先輩…ネタバレはやめてくださいね?」 「も…もちろんだもん! でも、原作はちゃんと読んで欲しいなぁ」 「ちゃんと読みますよ……」 「ありがとう麦くん」 いつの間にかアパートの前に着いていた。 あんなに降っていた雨も小雨程度に変わっている。 もう少しだけ隣に居たかったのに……。 玄関を開けて家に入る水さんを見ながらそう思った。 傘についた雨粒を落としていると、頭にタオルがかかった。 振り返ると水さんが俺の頭をタオルで拭いている。 「麦くん、今日はありがとうね」 「いや…別に普通のことっすよ…」 「映画見に行くの楽しみだね〜」 「そうっすね…」 水さんわかってくださいよ。 俺は今水さんの事を直視出来ませんから…。 一緒に映画を見に行く時の為に新しい服でも買ってこようか。 ニコニコと笑う水先輩を見て俺はそう思った。
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