家啖い

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「犬村様の息子殿」  といえば、狸穴郷では、最大級の罵倒語として定着している。 「バカ、マヌケ、犬息子」 「わるさばかりしてると、犬村息子になっちまうぞ」 「おまえは息子殿にも劣る」  などのように用いられる。  犬村忠右衛門は、槍の名手として知られ、数々の武功をあげてきた豪傑である。  主君である馬上弓重(ゆみしげ)からの信頼も厚い。  自慢の髭にも白いものが混じりはじめた昨今、後を継ぐべき一人息子が、このありさまである。  あいつだって、出来は悪くないのだ、出来は。  と、忠右衛門は、くやしくてならない。 「ただ、やる気がないだけなのだ。  家を継ぐとか。  戦で功をたてるとか。  主君に忠義を尽くすとか。  武士ならば血がたぎらずにはいられぬはずの、そういった事柄に、絶望的に興味がないのだ」  よそ者の摩利藻が相手ならば何を話そうが後腐れなかろうと油断しているのか、ただ単に酒に酔ったせいか、忠右衛門の口は軽かった。
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