或る雨の日の山道で

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或る雨の日の山道で

「……いてのニュース……ザー……沿いの……道で起きた……も二人のひき逃げ事件……ザザッ……は未だ見つかって……」  大粒の雨がフロントガラスを叩き続けていた。その音は車内にまで響き渡っている。その上を滑るワイパーも、外の様子を少しでも映し出そうと必死に動いてはいるが、その甲斐も空しい。 「……畜生め」  海崎(かいざき)は舌打ちを繰り返し、ハンドルを握り締めていた。  すると、さっきまで辛うじて掛かっていたカーラジオが、雑音を伴い始めた。彼はいらいらをぶつけるようにカーラジオを叩く。しかしそれが仇となったのか、カーラジオはとうとう黙り込んでしまった。 「くそっ!」  彼の拳はまたカーラジオを殴った。  車のヘッドライトだけが山道を照らしていた。真っ暗で寂しい山道。いつになっても終わらないような、先の見えない暗さはあまりに不気味だ。しかしそんな事は海崎には関係のない事だった。彼の頭には、この山道を抜ける事しかなかったのだ。  と、その時。凄まじい衝撃と音が彼の身体に響く。 「ああっ!?」  彼は驚き、無意識にブレーキを思い切り踏み込んだ。車が急停止すると、ハンドルにもたれ掛かり深呼吸を一度して、ゆっくり思考を働かせる。  嫌な予感に胸がざわつき、彼は恐る恐るドアを開ける。その瞬間、凄まじい雨音が車内に流れ込んで来た。彼は一瞬戸惑ったが、仕方ないように溜息をついて車を降りた。  地面に足をついた途端、じわりと嫌な感触が伝わる。水溜りが、待ってました! と言わんばかりに彼の靴の中に侵入してきたのだ。しかし、この一瞬でもう彼の身体はびしょ濡れ。雨なんかに強がる必要はまるでないのだが、彼もまた、そんな事気にしていないわ! と言わんばかりの素振りで、ずかずかと車の後方に向かった。 「……やっぱり」  彼は溜息混じりにそう呟いた。彼の視線の先には、見事ぺしゃんこになった情けないタイヤの姿。どうやら先程の衝撃は、岩か何かを乗り上げてしまったもののようだ。 「くそったれ!」  怒りのあまり、彼は車のトランクを殴りつける。 「あ、痛えっ……!」  直後、彼の拳に鋭い痛みが走ったのは言うまでもない。  彼はびしょ濡れのまま、運転席に戻った。たったこれだけ動いただけなのに、酷く身体が疲れている。座席に全体重を乗せ、目を瞑った。  トランクに予備のタイヤを入れていなかった。いや、たとえ入れていたとしても、今の彼にはこの豪雨の中取り替える元気はない。携帯を取り出してレッカーを呼ぶ事も考えたが、悪天候の中こんな山奥に来てくれるかも分からないし、何やかんやと事情聴取されても面倒だ。  別に急ぎの用事などない。もう夜も遅いし、早く帰りたかっただけだった。  彼は大きな病院に勤める医師だった。先程大きなオペを終え、くたくたになって帰る所だったのだ。だからつい気が急いて、この山道を通って近道をしようとする。 “急がば回れ” とは、まさにこの事を言うのだろう。 「まあ良いか……」  その呟きは自然と口から洩れ出た。別に家に帰らなくても、此処で休んでいけば良いだろう……。  自分の意識が段々と遠ざかっていく事を、何だか気持ち良く感じ始めていた。  その時だった。 「……?」  ゆっくりと、閉じた目を開く。怪訝そうな顔を浮かべ、窓の外を覗き込んだ。  微かだが、激しい雨音に混じって何か違う音が聞こえる。何か……滑り落ちるような、崩れてくるような。  彼の嫌な予感は、間もなく的中する事になる。  轟音と共に彼の車に向かってくる、大量の土砂。 「う……嘘だろ、おい……!」  茫然としていた彼ははっとし、慌ててドアノブに手を掛ける。しかし土砂の波はもうすぐそこまで迫っていた。 「あ、ああ……わあああああっ!!」  彼の絶叫は凄まじかったが、数秒後には土砂が車ごと飲み込み、車内を深い闇に覆った。
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