第一罪:禁忌

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第一罪:禁忌

 薄暗い路地を抜ければ小さなドアが一つある。  紳士は石畳がつづく道をいき、(みせ)の前で足を止めた。いま来たばかりの道を振り返る。半歩下がった右足の指が落ち着きなく靴下の中で動いた。  ポケットに突っ込んだ手で中を探る。空いた右手で目の前のドアを開けた。手首が内側を向いたところで(まばゆ)い光が漏れてくる。  そのドアが古めかしい音をたてれば、魅惑の世界へと誘われる――。  女性たちで華やぎ、また大勢の男性客で賑わっていた。一歩足を踏み入れた瞬間、この店に衝撃を受けた。  未だかつて経験したことのないことだ。  レグルス・ロビンソンの喉が太く鳴る。  ここは社交界か何かだろうか? 女性たちの恰好は何世紀か前のドレスを思わせた。圧倒されているのか、頭が回らず、おおよその予測もできない。彼には確かな知識があるはずだった。一方の男たちは身なりが良いとは言えず、(みな)どこか廃れた様子である。  酒と香水、それに煙草の匂いが入り交じり、めまいがした。  新たな客人を待ち構えていた黒服の青年に促され、席に着いたものの落ち着かない。自分の恰好は華美な女性とも、貧相な男らとも違った。  紳士は自分がまるで間違った場所に入り込んでしまった気がした。  痩身をスーツで包んだ彼は洗練された恰好ではあるが、この店はビジネスマンのお人形は来る必要などなかった。いいカモになる。  場違いだ。  豊かに蓄えた髭の下で口許(くちもと)が歪んだ。さて、どうしようか。何とか脱する機会を得たいものだが、そう上手くいくだろうか? 自らの口髭に触れていると、頭上から影が伸びてきた。 「御隣、よろしいですか……?」  やわらかな声だった。だが、いやらしさや粘着質ではなく涼しげで音色のようだ。紳士が目を向ける。ついに彼にも娼婦があてがわれてしまったらしい。 「……どうぞ」  紳士が低く呟くと娼婦は驚きで目を丸くした。次に声を噛み殺しながら笑ってみせた。 「私に「どうぞ」だなんて、そんな御客様は初めてです」  口許に手を当てて笑う。品の良さがあった。その姿は夜の世界に身を置いているとは、到底思えない。  この娘、本当に娼婦か?  紳士は今彼自身が唇を固く結んでいるのか、はたまた間抜けにも口を開けているのか分からずにいた。  娼婦にしておくには勿体ない。 「どうかなさいました?」  娼婦が不思議そうに紳士の顔を見た。首を傾ぐなどという、あざとさもない。 「――――いや、このような場所には慣れていないものでね……」  紳士の口から咄嗟に出た言葉だった。しかし、それも事実である。彼は今までに一度だってこんな店には来なかったのだ。 「それを言われるのなら私だって慣れていません。御客様の様な方をおもてなしするのは私だって初めてです」  娼婦は一杯の酒を差し出した。 「どうか――少し御話をお聞かせ願えません?」
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