1-1.引越しにトラブルは付き物
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1-1.引越しにトラブルは付き物

 春。四月一日を控えた週末、街はささやかながらも、旅立つ者と訪う者の交差に活気付いている。  そんな街の一画、単身者向けアパートの前に、呆然と立ち尽くす青年がいた。  宮澤美郷みやざわみさと、二十二歳。艶やかで癖のない黒髪を後頭部で一つに束ね、細身のジーンズに暗色のショートトレンチを羽織っている。  すらりとした四肢に、育ちからくる品の良さ、人柄の良さが滲み出る整った顔立ち。大都市からは遠く離れた田舎町では好奇の視線を集めるはずの長髪が、何の違和感もなく似合っている中性的な雰囲気の青年だ。  しかし、せっかく麗しく整っているはずの容貌を台無しにする間の抜けた表情で、美郷は棒立ちにつっ立っていた。  正しく、茫然自失。頭は真っ白、というやつである。  目の前では、引っ越してきたばかりらしき部屋の住人が、慌しく荷物の整理をしている。背後には、自分の荷物が積まれた引越し業者のトラック。 「…………え、どういう、こと……?」  眼前のその部屋は、確かに自分が契約した、今日からの新居のはずである。彼はこの日、この部屋に引っ越してきた……はずだった。傍らのトラックから降りてきた引越業者のスタッフが、困惑交じりに彼の名を呼ぶ。 「宮澤さん、荷物の搬入どうします?」 「どうしたら……いいんでしょう、ねぇ」  反射的に思ったことを口にすると、困惑と呆れと苛立ちの混じる溜息が返ってきた。今日は三月最後の週末。引越業者はどこも大忙しのかきいれ時だ。若さと体力が武器らしき若い男性スタッフも、気が立っているのだろう。 「とりあえず、契約した不動産屋に確認して来ますんで。もう三十分、ここで待っててもらえますか?」  忙しいのは美郷も同じである。彼は来週からこの街で働かなければならないのだ。今更、契約していたはずの新居が空いていないと言われても困る。今まで暮らしていた旧居も、高校入学と同時に出た実家も県外で、とても通勤できる距離にはない。  ここは広島県ともえ市。中国山地に抱かれ、その名の如く三つの川が巴を成すこの街は、古くから山陰と山陽を結ぶ交通の要衝として栄えた。川の交差する盆地に発展した旧巴市を中心とする、広島県北部の中心都市である。  彼、宮澤美郷は今年四月一日を以って巴市役所に採用された、新規採用職員だった。
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