1-4.残り物と拾い物

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 深夜。尿意で目を覚ました怜路は、眠気で重だるい身体を引きずり起こして茶の間を出た。古く広い家ゆえに、寝起きしている部屋から便所は遠い。母屋の裏手にある、水回りばかり集めた別棟まで暗い廊下を歩かなければならないのだ。それでも、この類の農村古民家としては屋根付きの廊下があるだけマシではある。  裸電球がふたつみっつ吊るされただけの廊下をぺたりぺたりと歩く。板張りのひんやりとした床が上げる小さな軋みが、蛙も寝静まった丑三つ時によく響いた。  ごとり。  普段閉め切っている納戸の横を通りすがった時、襖の向こうで物音がした。  ちっ、と怜路は盛大に舌打ちする。このシチュエーションだからといって、怖いと思うほどウブではない。物音の主が何なのかも知っている。寝る前に、納戸に押込んだばかりのヤツだ。  とりあえず用を足しに便所へ向かう。帰り際、再び通りかかった納戸の前で立ち止まり、怜路は忌々しげに呟いた。 「くそっ、やっぱそうそう上手くは行かねえモンだな」  引手に指を掛け、勢いよく襖を開ける。大して滑りは良くないため、ガタンと派手な音がした。  暗闇に沈む和室の中、無造作に転がしてあるのは大人の一抱えほどもある招き猫だった。ただし、薄く光るソレの色は白である。悪意に満ち満ちた顔は変わらないが、いやらしくベロを出していた口元には「千客万来」の札をくわえ、一応「別猫」の風情を装っている。だが、改めて確認せずとも怜路にはすぐに分かった。先日売り飛ばしたはずの金ぴか招き猫だ。  実はこの招き猫、今日出勤した店先に飾ってあったものだ。  一目見て、怜路の顔が引き攣ったのは言うまでもない。一体どうやって戻って来たのか知らないが、余程あの店長が気に入ったようだ。しかも、本当にただ白く塗られてベロを札に変えられただけなのに、店長はコレが元金ぴか招き猫だとは全く気付いていなかった。 (店長が誰かに恨まれて、わざと送り付けられてんのかとも思ったが……なーんかどうも単純に懐いて戻って来てるんだよなぁ……)  雑に霊符を貼られて床に転がされたまま、ガタゴトと物音を立てる招き猫を怜路は胡乱な目で見遣る。放っておいて、店に何かあったら目も当てられないと慌てて回収して帰ったのだが、始末は面倒くさくて転がしてあるのだ。  店長とて、こんな可愛くもなければ福も客も呼ばない(代わりに恐らく貧乏と禍を呼ぶ)招き猫に懐かれても嬉しくないだろう。懐くと言えば聞こえは良いが、要するに「悪いモノに気に入られている」だけだ。  溜息を吐いた怜路は、寝癖で半端に跳ねる金髪を掻き回して踵を返した。こんな時に家が広いというのは有り難い。どれだけ騒がれても怜路の部屋までは聞こえてこないので、安眠を妨害される心配はない。  まあ、明日以降に何とかしよう。呑気にそう考えて、襖を閉めようとした時だった。  ぎしり、と廊下の奥で重く床が軋んだ。  わずかに、裸電球の灯りが揺れる。  早瀬のように足元を冷気が流れ、突然のことに怜路はその場で固まった。  廊下の突き当りの奥で、みしみしと幽かな音が鳴り続ける。T字路になっている廊下は、左手に帰れば怜路の寝起きしている茶の間、右手に曲がれば美郷の眠る離れに繋がっている。家鳴りは右手奥から徐々に近づいてきていた。  裸電球の灯が消えた。怜路の視界が真闇に染まる。先ほどまで騒いでいた招き猫も、ピタリと止まって気配を殺していた。 「オン マリシエイ ソワカ」  印を組んでそっと呟く。相手から己の存在を見えにくくする「隠形術」だ。そのまま足音を殺して、一歩、二歩と納戸の中へさがった。襖の陰に隠れるように場所を移す。 (つーか、この気配。美郷君のペットのアレか……?)  とんでもないものが出てきた。到底、人間の中に隠れていられるサイズではない気がする。姿形なく空間を圧迫してくる気配に、怜路は息を飲む。何か飼っているのは分かっていたが、ここまで大きいとは思わなかった。害がないなら良いと言ったが、本当に大丈夫だろうか。  床板の悲鳴が廊下をにじり寄って来る。納戸の正面まで来たソレは、ぬるりと襖の間を抜けて部屋に入ってきた。 (白蛇精か)  直径が大人の太ももくらいはありそうな真白い蛇が、ちろちろと裂けた舌を覗かせながら怜路の横をすり抜ける。素通りされるということは、怜路を目指して来たわけではないらしい。じゃあ一体何を、と視線を動かした先に、ごろりと転がる招き猫の姿があった。  あっ、と思い至る間もない。  ごっくん。  蛇は大きく口を開けると、招き猫を一飲みにしてしまった。  招き猫を飲み込んだ頭の付け根と首辺りが不自然に太くなり、その膨らみが徐々に腹の方へ下がっていく。  蛇はしばらく動かず、招き猫を胃袋(があるのか知らないが)の中に落ち着けると、のっそりと方向転換を始めた。怜路には全く関心を示さない。  一体何分が過ぎたのか分からない。ようやく蛇の気配が廊下の向こうへ消えてから、怜路はやっと隠形の印を解いて納戸から出た。 「…………何っじゃありゃ!?」  呆然と正直な感想を述べる。しんと静まり返った廊下にはもう、蛇の気配も招き猫の邪気も残ってはいなかった。
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