まだまだ遠い春

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太陽が、徐々に高く上がりつつある時間帯。街道の宿場町にある一軒の宿屋に、ある一人の騎士が飛び込んで迷わず奥へと進んだ。 「ライザ、頼みがある! 今、暇だよな!?」  宿泊客全員を見送り、厨房の片隅で皿を洗っていたライザは、食堂に繋がるカンウターから無遠慮に呼び掛けてきた幼馴染みに冷たい目を向けた。 「……確かに時間はあるけど、あんたほど暇じゃないわ」 「すまん! ちょっとだけ付き合ってくれ! どうしても、お前の助けが必要なんだ!」 「いきなり押し掛けてきて、何なのよ……」  相手を微妙に怒らせてしまった事は分かったものの、今更後には退けない心境だったアンバーは、切羽詰まった口調で訴えた。それにライザが閉口していると、彼女の家族達がぞろぞろと厨房を出て行きながら彼女に声をかける。 「ライザ。厨房は片付いたし、食堂でなら話をしていて良いぞ?」 「私達は部屋を掃除しているから」 「おじさん、おばさん、すみません!」  アンバーが謝罪の言葉と共に盛大に頭を下げ、両親と兄達が厨房から出て行くのを憮然として見送ってから、ライザはエプロンで手を拭きつつ食堂に出た。 「それで? 用件は何?」  二人でテーブルの一つに落ち着いてからライザが話を促すと、アンバーは持ってきた袋の中から上質の紙とペンとインク壺を取り出しながら、消え入りそうな声で告げてきた。 「その……、だな。手紙を書くのを手伝って欲しい」  しかしそれを聞いたライザは、首を傾げた。 「手紙? どうしてよ? あんたはちゃんと読み書きができるでしょ? きちんとした文書なら、代書屋に頼めば良いし」 「そこまで大袈裟な物じゃないし……、その……、かなり個人的な物だから、あまり人目には晒したくなくて……」  自分から微妙に視線を逸らしつつ、僅かに頬を染めながら口ごもった彼を見て、ライザはピンときた。 「ふぅん? ひょっとしてラブレターとか?」  そう口にしてみると、アンバーは慌てて両手を振りながら否定してくる。 「いっ、いや! そういう畏まった物では!」 「じゃあ、適当に書けば良いじゃない」 「きちんと書きたいのでお願いします」  ライザが冷たく言い放つと、アンバーが深々と頭を下げる。それに彼女は溜め息を吐いて応じた。 「分かったわよ。仕方がないわね……。でもあんたに付き合っている人がいるなんて、知らなかったわ」 「……付き合ってない」  ぼそりと告げられた内容に、ライザは怪訝な顔になった。 「それなら、付き合って欲しいって書くの?」 「いや、結婚したいんだ」  顔を上げて大真面目に告げたアンバーに、ライザは驚愕の表情になった。 「あんた……、付き合ってもいない、見ず知らずの相手に結婚を申し込む気?」 「いや、見ず知らずじゃない! 俺は相手の事を、以前から良く知ってる!」 「だって、付き合って無いのよね? 密かに彼女に付きまとっていたの? そんな女の敵に、手を貸すつもりは無いわよ」 「そうじゃない! 相手も俺の事を良く知ってるから!」  明らかに非難がましい目を向けられたアンバーは焦りながら弁解したが、ライザは益々渋面になった。 「それなら、ご領主様のお屋敷で働いている人? それなら手紙なんて書いてないで、さっさと告白しなさいよ」 「それができたら苦労しない!」  その必死の叫びに、ライザは思わず納得してしまった。 「そうよね……。あんた見映えがして人当たりが良さそうで器用そうに見えるのに、人見知りの堅物だものね。見た目詐欺だわ」 「好きで、こんな見た目に生まれたわけじゃない……」  幼い頃からのあれこれを思い出して遠い目をしてしまったライザだが、彼女が何を考えている容易に分かっていたアンバーはがっくりと項垂れた。そこでさすがに彼が気の毒になったライザは、気を取り直して現実的な話を始める。 「分かったわよ……。それで? いきなり冒頭から『結婚してください』とか書くつもりじゃないわよね? まずは時候の挨拶から入りなさいよ?」 「ええと、例えば?」 「『寒さも和らぎ、心浮き立つ季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか?』とか?」 「分かった。…………次は?」  ペンを取り上げ、律儀にそれらしい事を書いたらしいアンバーが顔を上げて尋ねてきた為、ライザは考えながら提案してみる。 「そうね……。付き合ってもいないのにいきなり結婚を申し込むんだから、まずは普段彼女を見ている事をアピールしつつ、一般的な誉め言葉を書いてみたら? 例えば……、『いつも健気に働いている貴女を見て感心していました』とか、『微笑ましく思っていました』とか。あ、お金持ちのお嬢様とかじゃなくて、働いている人なのよね?」 「ああ。働き者だと思う。確かに俺も感心しているから、その通り書く」  相手がどんな女性か分からなかった為、ライザは慌てて確認を入れたが、アンバーは相槌を打ちながらすらすらと書き進めた。 「それから……、自分のアピールをしないとね。あんたの場合、ご領主様に召し抱えられていてそれなりに給金は貰っているし、騎士で荒事にはどうにでも対処できて頼りになるから、そこら辺をさりげなく書いてみたら?」 「ああ、うん……。そうだな……」  そして多少悩みながらアンバーが書き終えてから、再び顔を上げた。 「次はどうすれば良い?」 「そうね……。だらだら書いても仕方がないし『こういう自分と、結婚を前提にしたお付き合いをしてくれませんか?』とか書けば? さすがに『いきなり結婚してください』はドン引きよ。『何考えてんだ、この野郎』って思うわ」 「……そうする」  ライザが本心から忠告すると、アンバーは素直に頷いて書き進めた。 「終わった」 「それなら、あんた変なところで要領が悪いし、書き間違った所が無いか見てあげるわ」  そう言いながらライザは手を伸ばしたが、何故かアンバーは用紙を手にしたまま固まっていた。 「…………」 「どうしたの?」  不思議に思いながら声をかけたライザに、アンバーはいきなりその用紙を押し付けながら叫んだ。 「ライザ! これが俺の気持ちだ! 受け取ってくれ!」 「……え?」  何が起こったのか咄嗟に判断出来ず、限界まで目を見開いたライザにアンバーは書いたばかりのラブレターと恋心を押し付け、ペンとインク壺を放置して脱兎のごとく食堂から逃げ出して行った。そして食堂に一人取り残されたライザは、かなり遅れて驚愕の叫びを上げる。 「…………え? は? え、えぇぇ!?  何よ、これはぁあぁぁっ!?」  そんな二人の一部始終を、厨房の隅からこっそり見守っていた彼女の家族達が、呆れ気味に囁き合う。 「アンバーの奴。やっと勇気を振り絞ったと思えば、あれかよ……」 「あの子にしては、頑張った方だと思うよ?」 「あんな調子で、ご領主様の所でちゃんとやってるのか?」 「まだまだ先は長そうだね」  そして何やら訳のわからない事を叫びながら動揺しまくっているライザに、その場全員が生温かい視線を送った。
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