唐傘おばけと火輪尾の狐

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 唐傘は繋がれていた。足に枷、石突を狐に掴まれている。掘っ建て小屋の中で唐傘の周りを数匹の狐が取り囲んでいた。よく見ると、油紙にはたくさんの罅(ひび)があり、骨は所々折れ曲がっている。 「いい加減、泣いたらどうだ。」 線の細いフォルム、されども太い声は男の狐。爪で油紙をひっかいている。  唐傘は耐えていた。何度も油紙に傷がつけられる。押し黙っていた。しばらく様子を伺うには、唐傘が泣かなければ雨が降らない、雨が降らなければ嫁入りが出来ない、という事らしい。唐傘は雨を操る精霊なのだろうか。傘が雨降りの時に使う道具の付喪神なのであれば、雨を乞う力があっても、なんら不可思議ではないのかもしれない。骨をぐいと曲げられポキリと折れる。そんな事を繰り返していたが、一向に唐傘は動じない。無表情である。目も足もあるが、佇まいだけで言うならば完全なるモノである。これらの光景が彼らにとって非日常である事は窺い知れる。これは拷問である。  唐傘は泣かない。何故そんなにも頑なに泣かないのか。そんな推察を始めようとした時、理由を知れる言葉が男の狐から聞かれる。 「諦めたらどうだ。どれだけ無表情を決め込んでいても、私と火輪尾の婚約の事実は変わらない。あとは嫁入りだけなのだぞ。」  狐の嫁入りと言えば晴天に雨。人間から嫁一行を守る為に山の麓に雨を降らせてカモフラージュしていると聞いた事がある。その正体が唐傘の力に因るものとは初めて知った。  ふいに、男の狐は尾に火を灯した。狐火である。尾を唐傘の舌に近づけて焦がした。咳き込む唐傘。それでも泣かないのである。咳で呼気を吐きだしたせいか、そのモノは生命らしき者となって 「火責めにしたら涙が出たって乾いてしまうぞ。」 と、初めて言葉を発した。カサカサした小さな呟き声である。それに対して狐は激昂した。油紙に火をつけ、燃やしたのである。油紙には穴が開き、骨は黒くなった。  しばらくの間が空いた。殺してしまっては元も子も無いと思案して、冷静になる為の狐が作りだした間である。掘っ建て小屋を覗く一匹の狐が近づいてきて言った。 「何をしているの?」 狐は甲高く艶のある声をした女である。状況からいって、この言葉は男の狐にかけられそうなフレーズであるが、向けられた相手は唐傘であった。男の狐はこの場から女の狐を追い払おうと、 「火輪尾、お前の出る幕じゃない。」 と言いながら火を唐傘から遠ざけた。遠ざかったという方が正しいか。女の狐はその言葉を制止するかのように続けて言った。 「私この人と結婚するのよ。さっさと泣いて頂戴。」 唐傘は目を見開いた。女の狐は、続けて 「あなたとは長い付き合いだけど、今日限りよ。こんなに物分りの悪い人だとは思わなかったわ。」 「だって火輪尾、君は結婚を嫌がっていたじゃないか。」 カサカサした唐傘の声がはっきりと聞こえた。今出る限りの大きな声だと思われる。 「誰だって嫁入り前は少しくらい気が滅入るものよ。」 それに対して女の狐は語気を強めながらも冷静に答えた。この悲劇は唐傘の勘違いから始まったのだろうか。二人は恋仲であったのだろう。問答は続いていたが、 「とっとと泣いて! 私あなたの事嫌いになったわ!」 と女の狐は言い放ち、尾でぴしりと唐傘の身体を打った。茫然自失に追い込まれる唐傘。うるんだ瞳からは、涙がこぼれていた。 「でかしたぞ火輪尾! さっそく嫁入りの準備をしよう!」 女の狐は少し考えて、 「先に行ってください。私は彼に正式にお別れを言ってから参ります。」 「そうか。雨が降り始めた。早々に済ますようにな。」 男の狐たちは掘っ建て小屋から揚々と出て行った。  二人きり。涙の乾かぬ唐傘。静寂。浮かれた狐たちの気配が全く消えた頃、女の狐は改めて口を開いた。唐傘に顔を近づけて言った。 「ごめんなさい。私、こんなひどい目にあってるあなたを放っておけなかった。放っておけばあなたは殺されてしまうわ。酷い事を言ってごめんなさい。」 唐傘はカタカタ鳴った。身体が震えて止まらぬのである。枷が女の狐に依って外された事もあり、唐傘は真正面に身体を向けた。 「それじゃあ君は…。」 何かを言おうとしたのだが、喉が詰まってしまって言葉にならない。唐傘に身体を寄り添わせる狐。唐傘の涙がまた溢れている。先程とは比べ物にならぬ程に泣いている。掘っ建て小屋の中で二人、小さく纏まっている。結ばれた恋人同士かのように。  狐は狐同士、いいなずけと結婚するのが道理だと言うのだ。なんともならない事をなんとかならないかと私は思案するのだが、所詮、外野は外野である。事の傍観者である私には、どれだけ考えようと、何も変える事は出来ぬ。無力なのだ。  掘っ建て小屋の外では、晴れと思えない程の雨が降っていた。
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