6月、きみとの待ち合わせ

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6月、きみとの待ち合わせ

涼しい風が頬を撫でて、ふるり、と身を震わせ、ゆっくりと空を見上げる。 微かなにおいと、暗くなった視界に、嫌な予感はしていたが、それは当たってしまったようだ。 (あめ…。) 西から東へ、淡い青に灰色が垂れ込んでいく。 その速度に胸がざわめき、足取りは重くなった。 雨は嫌いだ。 水滴が地面を叩く音は一定で、それ以外の音は聞こえづらくなって。 視界で認識していても、暗い色の傘たちは速足で通り過ぎていってしまうから、 静寂にも似た、閉ざされたせかいに取り残されたように錯覚する。 どくり、と耳の奥で低く唸るような心音が鳴り響き、普段は底の方にある塊が胸の辺りにわだかまるような。 ぽつり、ぽつりと地面が滲んでいく。 時計台の下には、僕以外に誰もいない。 当然だ。こんな日に公園になんて普通は来ないだろう。 かちり、と時計の長い針が動く。 (場所変えようって、連絡、) しなくては、と思うのに、身体が動かない。 僕は近くの柵に腰掛け、項垂れた。 (彼女は、来てくれるかな…) 前髪を雫が伝い、上着も湿って重くなってきた。 傘も持たず、屋根もない場所で俯いたままの自分は、周りからはどう映るだろうか。 ここに来てから、時計の針の音は数回しか聞こえていない。 それなのに、とてもとても長い時間に感じていた。 肌をなでる水の感触ではなく、臓腑の中から這い上がってくる感覚に、ひたり、と侵食されていくようで。 ノイズが、やまない。 僕しか、いない。 そのとき。 ねぇ、と高く小さな声が鼓膜を揺らして、それまで耳鳴りのように聞こえていた音が、ふつ、と消えた。 視界が陰って、冷たさから少し遠ざかる。 のろのろと視線をあげると、腕を伸ばして前かがみになった彼女がいた。 ぱらぱらと、傘をたたく雨音が、すぐ近くできこえる。 「そんなに濡れたら、体冷えちゃうよ」 ごめん、待った?と、小さく首をかしげる彼女に、 「―――」 僕は何か言いかけて、言い出せないまま、はく、と空気を食んだ。 「?…どうか、した?」 いつもと違う自分に、困惑したような声音と同時に、視界の陰りが揺らいで離れそうになる。 それを認識した瞬間、再度ノイズが押し寄せてきそうな予感がして、 「――わっ…」 思わず、傘の柄を彼女の手ごと引き留めた。 驚いた彼女と一瞬、目が合う。 「―――」 と、今度は彼女が、開きかけた唇を閉じて、苦笑し、おくれてごめんね、と穏やかに言った。 傘を握る手首の時計は約束の5分前をさしている。 それでも僕は、おそいよ、と呟いて、 くすり、と笑う彼女の肩に額をうずめた。 未だに空は暗い灰色で、雨はやむ気配もないけれど。 それをさえぎる小さなパステル色の傘と、掌と額越しに感じる柔らかな温もりに、ひどくほっとして。 じわりと、全身のこわばりが解けていった。 ――6月、きみとの待ち合わせ。 おわり。
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