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 成田を発つのは昼前のフライトだ。海外を転々とした身で、いろいろな航空会社の飛行機に乗ったけれど、やっぱり日本のエアラインが好きだ。  私は少しゆったりめに作られたシートに腰を下ろし、ベルトを締めた。  長いフライトでは日本の飛行機に乗りたい。そのわがままを優先したために、希望の日程と経由地との兼ね合いで、マドリードを発つフライトが、(くだん)の27時発になってしまった。  27時、というのは、深夜便に乗るときに仲間うちでよく使った表現だ。  土曜日の午前3時、と言うよりも、金曜日の27時、の方がわかりやすい。  人間の感覚では、夜寝るまでが一日だ。だから、午前3時のフライトなら土曜日ではなく金曜日の夜発と言う方が実際の感覚に近い。  海外に駐在しているとき、この言い方はまわりに定着していた。海外育ちの子どもたちも自然に使うようになった表現だが、会社で言ったら通じなかった、と、息子は驚いていた。  日本の学校では、そういうつまらないことがすぐにいじめの原因になった。地雷は、何気ない発言や仕草の中に隠れていて、そのことに気づいた子どもたちは怯えて口数が少なくなった。  家にメイドや運転手がいたこと、頻繁に近隣の国へ旅行に行ったこと、世界中に友達が散らばっていること。  口に出さないように注意していたこと以外にも、反感を買う導火線はいくらでもあって。陰湿ないじめにあい、鬱ぎ込む子どもを見るのは、母親としてとてもつらかった。  多感な時期にそんな経験をしながらも、子どもたちは二人とも、日本が好きだと言う。  何につけてもシステムがしっかりしていて、治安もよく、安心して生活できる。何を食べても美味しい。文房具や雑貨が可愛くて、安価なのにクオリティが高い。  いろいろな国で生活してみた結果、日本のきちんとしたところが好きだと言う子どもたちは、二人とも夫に似ているのだと、しみじみ思う。 「飛行機に乗るのも、久しぶりだわね」  そう言うと夫は「飲み過ぎるなよ」と釘を刺してきた。  マレーシアに駐在していた頃、距離の近さから何度かシンガポールに遊びに行った。その道中、機内で無料で提供されるカクテルが美味しくて、つい飲み過ぎてしまったことがある。  気圧の関係で、機内では酔いが回りやすい。到着した空港で、ほろ酔いの私は派手に転んでとても恥ずかしい思いをしたのだ。  でもそれも昔の話だし、さすがに一度だけだ。その醜態を、夫はしつこく覚えていて飛行機に乗るたびに持ち出してくるのだった。  ヨーロッパに東南アジア、そして南米。結婚してから駐在した国は6か国に及ぶ。海外駐在と聞くと、一般的には華やかなイメージがあるかもしれない。でも私たち家族は、海外で暮らしている間、できるだけ目立たないように、気をつけてひっそりと暮らしていた。  そうしなければならない、事情があった。  夫は日本の衣料ブランドの社員だった。28歳で初めてスペインに派遣されて以降、日本にある本社と海外の店舗を転々とした。といっても、派遣された店舗はすべて、今はもうこの地球上に存在しない。夫は海外店舗閉鎖の専門家で、彼が赴任する店とはつまり、3年以内にたたむ予定の店舗だったのだ。  バブル期に事業拡大しすぎた夫の会社は、その崩壊後、業績の悪い店舗を次々に閉店した。  海外の店舗を閉める業務は、現地の法律や労働組合の規約など気をつけなければならないことが多く、一筋縄ではいかない。だから夫を含め数人の社員がその専門家として抜擢され、世界の店舗を渡り歩いたのだ。その店の短い歴史を、終わらせるために。  複雑な閉店業務の中でも一番神経をすり減らすのは、人切り、つまり従業員の解雇だ。  夫は仕事のことをあまり口に出さない人なので私はよく知らないが、どの国で仕事をしている時でも、夫を一番悩ませていたのは人切りだったと思う。  SNSが発達し、世界中の人たちが簡単に交流できるようになると、夫には「死神」という不本意な異名がついた。  夫の仕事によって実際に命を落とした元従業員がいるとは思わない。でも、業績の悪い店舗に現れてはその閉鎖と解雇を繰り返す夫は、当事者にとっては死神のように不気味な存在だったのだろう。彼の情報はSNSで共有され、いつしか死神と呼ばれるようになった。  夫は真面目で温厚な性格だ。  趣味といえば釣りくらいで、二人の子どもの成長を何よりの楽しみにしていた。そんな人間性を全く無視して付けられた異名は、夫にとっては強いストレスだっただろう。 「いつかまたスペインに行きたいけど、もし元従業員に見つかったら、刺されるかもしれないなぁ」  そう言って寂しげに笑う夫に、 「定年したらこっそり行きましょ。変装して行くのも、おもしろいかもしれないわね」  私はそう答えた。  スペインは私たち夫婦が出会った国だ。マドリードに駐在していた夫と留学していた私は飲み屋(バル)で知り合うとすぐに意気投合。間もなく二人で出かけるようになり、旅行に行った真夏のセビリアでプロポーズされた。  抜けるような青い空。  一面のひまわり畑。  スペインのフライパンと呼ばれる灼熱の街で、まだ若かった私たちは太陽よりも熱かった。
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