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夜明け前、君のメロディーが聴こえる
小学校の頃から、私の地域でまことしやかに囁かれいてた都市伝説がある。”夜中の3時は、一番幽霊が出やすい時間帯だ”。
子供の頃は、それを素直に信じていた。夜うっかり目が覚めた途端に時間を確認して、「ああ、良かった。もう5時だった」と安堵したこともある。大人になった今からすると、バカバカしいことこの上ない。そもそも幽霊や死後の世界を信じるなんてナンセンス。…そう思っていたのに。
<ーー時計の針が、今日も午前3時を指す。>
”ぽーん”と自主練習用の遮音室で、グランドピアノが鳴る。だいぶ前から、眠る時には扉を開けっ放しにするようになったので、"妻"の合図はよく聞こえる。
ベッドから降り、裸足にスリッパを履いて私は寝室を出た。妻に気を使って、廊下の電灯は点けない。遮音室まではすぐそばだから、わざわざ明るくする必要もないのだ。
「…やあ、おかえり。最近は里帰りが多いね」
また、”ポーン”と鍵盤が押される音が一つだけ響く。”ド”の音だ。どうやら鍵盤の位置はしっかり覚えられているようだ。
遮音室にはガラス窓もないから、室内は真っ暗だけれど、3年前に交通事故死した妻の魂はぼうっ、と不思議に光っている。もう声は出せないけれど、きっと妻は今、「私だってやればできるのよ!」と自慢げに笑っているに違いない。
「じゃあ、前回の続きから始めようか。ーーもう少し頑張れば、私と連弾だってできるよ」
<ーー私たちに子供はいない。だから、唐突に彼女が死んでしまった時、本当に独りぼっちになってしまったような気がした。>
<ーー音楽教師の仕事も辞め、ただ酒浸りになって堕ちていきかけた私の前を妻は放っておけなかったようだ。>
妻のメロディーはまだまだ荒削りだ。生前から、音楽センスが乏しいことを悔やんでいた彼女。でも、私は妻のたどたどしいメロディーが愛おしくてたまらない。
「いずれ、君は成仏する時が来るから。…お互いに心残りがないようにしなくてはね」
<ーー次の仕事も見つかったから。君に心配をかけることも減りそうだ。>
午前3時からのピアノレッスン。メロディーと指導の声は1時間続いた後、ぷつ、と途切れて消えていった。
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