act.12

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act.12

<side-CHIHARU>  昼食後、シノさんに温泉宿の立寄湯に行こうと誘われたが、僕はそれを断った。  別に嫌だった訳じゃない。  奥さんと娘さんが夕食の宴会料理の準備を始めたので、それを手伝いたいと思ったんだ。  何でもご主人が三匹も魚を買って来ているとのことで、それを全て奥さんが捌くのは大変だと思ったからだ。  僕がそのことを伝えると、なぜかシノさんは嬉しそうな顔をして、「じゃ、俺は親父さん誘って行ってくるようにしよ」と言いながら、部屋を出て行った。  僕がちょっと緊張気味に奥の部屋の隣にある台所を覗くと、奥さんと娘さんが黙々と準備をしていた。酒粕が煮える甘い匂いがする。 「あら? なにか?」  先に娘さんが僕のことに気がついて、声をかけてくれる。  まな板の上の魚と向き合っていた奥さんが、僕を見た。  僕はコホンと咳払いをして、「よければ、お手伝いさせてください。僕、魚捌けるので」と言ってみる。  そしたら二人とも目を丸くして驚いた。 「ホントにぃ。成澤くんはお料理すんのけ?」  娘さんが訊いてくる。僕は頷いて、「といっても見よう見まねで覚えたので、上手じゃないとは思いますが」と答えた。  娘さんが溜息をついて、首を横に振る。 「うちの男連中に爪のあかを煎じて飲ませてやりたいわ」  それを聞いて、奥さんがハハハと笑った。 「じゃ、手伝ってもらおうかしら。カツオ、おろせる? 初ガツオだから、そんなに大きくはねぇと思うから」 「問題ないです」  僕は、奥さんが用意してくれたもう一枚のまな板と出刃包丁を使って、カツオを捌き始める。 「あら、ホント、上手だっぺ。男の人だから力があって、ええんだべさ。このサワラも頼もうかしら」 「いいですよ。置いておいてください」 「じゃ、おばさんはイカをお刺身にすっぺ」  それから各自が再び黙々と作業に没頭した。  娘さんはそば打ちができるらしく、作業テーブルの上で手際よく蕎麦を練っていく。 「あれは山鳥の出汁で食べるんよ」 「へぇ・・・」 「こっちは、”しみつかれ”。大根とニンジンをすりおろして、鮭の頭と大豆を入れて酒粕で煮込むの。本当は冬に食べるのがおいしいんだけど、折角東京から来てくれたんだし、栃木らしい食べ物も食べてもらおうと思って。成澤くんはお酒好きなんでしょう?」 「ええ」 「それなら多分、食べられると思うべ。なかなか癖のある味だから、ダメな人もいっからね」  台所を包む香りは、この鍋から出てくる湯気のせいだったらしい。 「ちなみに俊ちゃんは、初めてうちに泊まった時に、無理してこれをたくさん食べ過ぎて酔っぱらっちゃったんよ」  奥さんがそう言って笑うと、娘さんも「そうそう!」と声を上げて笑った。  僕もその姿が容易に想像ができて、笑ってしまった。 「シノさん、お酒弱いですものね」 「そうなの。あれでよく、お酒の営業していられるなって感心しとるのよ」  そう言ってまた二人して笑う。  柿谷酒造の人は、本当によく笑う。  ご主人だけはどうもそうではないらしいが、奥さんも娘さんも酒蔵で会った従業員さんも、ニコニコとよく笑った。  だからこちらも思わず釣られてしまう。  その後、仕出しの料理もいくつか届いて、最終的には従業員の家族も巻き込んでの大宴会となった。  まるで、田舎の大家族の中にポンと放り込まれたかのようだった。  僕はそんな環境に置かれたことは過去に一度もなかったので、正直どうしてたらいいのかわからなかったが、席上にいる全員が代わる代わる僕にお酌をしに来てくれたので、僕は大忙しだった。  幸い、隣にずっとシノさんや柿谷のご主人さん、奥さんが交代でいてくれたので、なんとかついていくことができた。  皆、僕が飲んでも飲んでも全然素面なのに驚いて、「こりゃ、とんだ酒豪が現れたもんだ」と盛り上がっていた。  柿谷のご主人は、当初随分がっくり来ていたようだが ── シノさんが「お嫁さん」でなく、「普通の友達」をつれてきたせいだ ── 、僕の酒の飲みっぷりと魚を捌いた話を奥さんから聞いて、僕に興味を持ってくれたようだ。 「俊介と酒を飲もうにも、あれはすぐに酔いつぶれてしまうからいかん」  親父さんはそう言って、柿谷酒造自慢の酒を次々と持って来ては栓を抜いた。  今までこんな世界とは無縁だった僕なんかが、果たして馴染めるかどうか不安だったけど。  そんな不安も考える暇なく皆が話しかけてくれて、僕はいつの間にかずっと笑っていた。皆と一緒に。  そしてその輪の中に、シノさんがいて。  笑ってる僕を見て、シノさんも笑った。   ── ああ、こういうのが幸せって言うんだろうな・・・・。  あまりにも賑やかな宴会だったせいか。  会の途中で帰って来た柿谷の息子さんが、「俺の誕生日にだって、こんなことしてくれりゃせんのに」と顔を顰める有様だった。  柿谷のご主人は、「お前も嫁を連れて来たら、こんなにしてやるべな」と言い返し、結局また笑いの渦に包まれた。    ようやく会がお開きになって。  僕とシノさんは後片付けを手伝おうとしたけれど、奥さんもご主人も「お客さんにそんなことさせたら、バチが当たっぺ」と頑固に断られた。  娘さんに「お風呂、よければどうぞ」と言われ、昼間温泉に行かなかった僕だけいただくことにした。  古いタイル敷きのお風呂は、翡翠庵の露天風呂と引けを取らないほど素敵で。  僕はつくづく、アンティークなものに惹かれるし、そういうものに囲まれていると落ち着くんだということを実感した。  タオルで頭を拭きながら二階の部屋に上がると、シノさんがデジカメで撮った写真を整理していた。  二つ敷かれた布団の真ん中に胡座をかいて座っているシノさんの隣に、僕は腰を下ろした。  シノさんの手元を覗き込むと、昨日から今日までの写真が次々とディスプレイに映し出された。  翡翠庵までの道のりや翡翠庵での風景、柿谷酒造の外観写真など様々な写真があったが、さっきの宴会の写真が一番多い。  僕はシノさんの赤ら顔写真を何枚も見て、爆笑してしまった。 「なんで千春はいつも、涼しい顔してんだ?!」 「そりゃ、僕の方が酒が強いからに決まってるでしょ。フフフフフ、アハハハハ・・・」 「む~~~~」  シノさんが頬を赤らめながら、口を尖らせる。  カチカチと画像を送っているうち、シノさんの手が止まった。 「あ、これいい写真」 「ん?」  僕が覗き込むと、宴会の最後に皆で撮った集合写真だった。  僕とシノさんが真ん中に並んで座って写ってる。  今回の旅の写真で・・・というよりは、付き合い始めて初めて二人で一緒に写った写真。  僕は、自分がこんなにも穏やかな笑顔で笑えるんだということに、初めて気づかされた。 「皆で写ってるのがいいな」 「そうですね。皆、楽しそう」 「来てよかったな」 「ええ、本当に」 「千春がこんなに一発で馴染むとは思ってなかったよ」 「僕も正直、信じられませんよ。でも、皆が凄く気を使ってくれたし、優しくしてくれたから・・・。 ── 僕、何だか本当の家族ができたような気がして、嬉しかったです」 「千春・・・」  シノさんが、少しだけ複雑な表情を浮かべた。  僕は苦笑いする。 「僕、今までに本物の家族って呼べる人、祖母しかいませんでしたからね。その祖母も十代の頃に亡くなってしまって、僕は本当にひとりぼっちだった。その世界をシノさんが全部変えてくれたんです。モノクロの映像がカラーになるみたいに」  シノさんの手が、僕の手を握った。 「本当の家族ができたよう・・・じゃないだろ」 「?」  僕が小首を傾げると、シノさんが僕の目を真っ直ぐ見て言った。 「俺達、もう本物の家族じゃないか」  シノさんのその言葉に。  迂闊にも僕は、息が詰まって。  気づけば、また僕は、ぽろぽろと涙を零していた。     シノさんと付き合い始めて、僕はすっかり涙脆くなってしまった。  これまでの人生で泣けてこなかった分を取り戻す勢いで、僕はどんどん泣き虫になっている。  それは、いつも泣かすようなことを言う、篠田俊介のせいなんだけど。  シノさんは、タオルで僕の涙を拭いてくれた後、ギュッと抱き締めてくれた。 「愛してる・・・千春」 「うん・・・。ありがとう、シノさん・・・」  しばらく抱き締めあって。  ふいに背後の閉じた障子の向こうでカタリと音がして、僕らは顔を起こした。  二人で顔を見合わせた後、シノさんが障子を開け、外を覗き込む。  僕は一気に不安になって、シノさんの背中を見た。 「なんでした?」  僕が訊くと、シノさんは振り返って肩を竦めた。 「誰もいないよ」  取り敢えずホッと息を吐き出す。  もし今の会話聞かれてたら、マズいことになる。  シノさんは障子を閉めて僕の前にまた座ると、僕の両手を握って「誰もいなかったから大丈夫」と繰り返し言った。  きっと僕がいつまでも不安な顔してるからだよね。  ごめんね、シノさん。  僕が微笑みを浮かべると、シノさんが頬を撫でて、僕にキスをした・・・。        <side-SHINO>  本当は、それ以上のことしたかったけど。  さすがに柿谷酒造の中でする訳にもいかず。  それに一瞬、千春のあの台詞が頭に浮かんだのだ。   ── 今度は僕がしていい?  う~ん・・・、俺って本当に肝っ玉小さいよな。  千春は俺にずっと身体を許してくれてるのに、俺はダメだなんて、そんなのよくないって思うんだけど。  これまで生きてきて、自分が抱かれる側の立場になるだなんて考えたこともなかったし、何よりセックスして二回目にして少しそこを触られただけで感じてしまった自分が、本格的にそこを触られてどうなってしまうのか正直、凄く怖くて・・・。  俺、メチャクチャみっともないことになって千春を失望させてしまいそうだ。  お世辞にも俺のガッチリ体型なんて、キレイでもないし、可愛くもないし。  でもやっぱり千春のどこかに触れていたくて。  その晩は、二人で手を繋いで眠った。
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