act.02

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act.02

<side-SHINO>  俺の家に千春が夕方通ってきてくれるようになり始めてから数日が経った頃。  いつものように自分のデスクでパソコンを前に仕事をしていた俺に、血相を変えた川島が声をかけてきた。 「おい!! お前、今ネットでメチャクチャ話題になってるぞ!」 「何だよ、川島。また仕事さぼってネット見てたのか」  俺はうっとおしそうに川島を横目で見て仕事に戻ろうとしたが、川島がそれを許さなかった。 「何を呑気な事を! これって、お前だよな?!」  川島が俺の肩を掴んで、椅子ごと俺を引き寄せる。  俺が川島のパソコンの画面に目をやると、10日ほど前のあの街頭インタビューの様子がそのまま動画配信サイトにアップされていた。  動画のタイトルは『超絶イケメンが謎の女チハルちゃんに公開プロポーズ』。  俺は、思わずブッと吹き出した。  動画に寄せられたコメントには、『このイケメンは一体何者だ?』『あたしもこんなイケメンにプロポーズされたい』『これってリアルなの?』『電車男以来の珍事』『このお兄さんのその後が知りたい』『これほどのイケメンの彼女が超絶ブスだったら笑える』『全国のチハルちゃんのうち、身に覚えのある女子は直ちに名乗り出るべき』などなど・・・とにかく様々なコメントが書き込まれていて、異様に盛り上がっていた。  最悪な事に、川島の大きな騒ぎ声を聞きつけて、課の中にいる人間がワラワラと集まってくる。 「やだ! あの番組、録画してる人なんていたの?!」  日本酒課の紅一点、田中さんが第一声で悲鳴のような声を上げる。 「シノ、一体これはどういうことだ? お前、公開プロポーズしたのか?」  課長が訊いてくる。それに答えるように川島がまた再生ボタンを押そうとしたので、俺は慌ててその手を押さえ込んだ。 「やめろよ!」 「そうよ、川島さん。本人に無許可で上がってる動画なのよ」 「そんな堅い事言うなよ。これでちょっとした有名人じゃん、お前」   そう言う川崎の頭を課長が叩いた。 「無駄に騒ぎ立てるのはやめろ。プライベートなことだろう」  課長に怒られ、川島は口を尖らせた。  課長の大人な対応に正直ほっと胸を撫で下ろしたのだが、その次に言った課長の台詞に、俺は卒倒しかけたのだった。 「で、シノ。そのチハルちゃんとやらは、美人なのか?」      その日の昼。  社内のカフェテリアで俺は思わず「ハァ」と大きな溜め息をついた。 「大丈夫ですか? 篠田さん」  田中さんが俺の前に冷たいお茶の入ったグラスを置いてくれる。 「え? ああ、ありがとう」  俺は、お茶をゴクリと飲んだ。  実はあの後、会社中がちょっとした騒ぎになったんだ。  原因は川島が動画のことを言いふらしてしまったから。  他にも、川島に知らされる前に動画を見た人間もいて、俺が会社の中を移動する度に各部署で根掘り葉掘り訊いてこようとするので、俺はそれを交わすだけでもクタクタになっしまった。  最終的には社長にまで呼び出され、事情を訊かれ「結婚式はいつだ」と言われる始末で、取り敢えず「式をする予定はないです」と答えておいた。  幸い、会社内の浮ついた空気は、その後の社長の一喝で収まった。  「とにかく、社外にシノの個人情報を漏らすな」と言ってくれたのだ。  こんな調子でマスコミに俺の住所や電話番号が漏れれば、この騒ぎはきっと社内だけでは済まない事になる。  取り敢えず社長自らが予防線を張ってくれたので、よかった・・・。  やっと一息ついて、日替わり定食を食べ始めた俺に、向かいに座った田中さんが「でもよかったですね、篠田さん」と声をかけてきた。 「ん?」  俺は口をモゴモゴさせながら、田中さんを見る。  田中さんはパスタを器用にフォークに巻き付けながら、「だって、上手くいったんでしょう。プロポーズ」と言ってきた。 「それとも、まさか澤先生とまだ会えてないとかって言わないですよね?」  田中さんは顰め面をして、横目で俺を見つめてくる。  俺は田中さんのその台詞に、ゴキュ・・・と口の中のものを飲み込んだ。  同時に冷や汗がタラリと頬を伝う。  俺が完全に固まっていると、田中さんは身体を前に乗り出して、小声で言った。 「大丈夫ですよ。篠田さんと澤清順先生のこと知ってるのは、私達仲良し四人組だけですから」  思えば。  そもそも俺が公開プロポーズをしに街頭インタビューに乱入するきっかけを作ったのは、他でもないこの田中さんだった。 「そう言えば、なんであの日、あんなこと・・・」  俺は、田中さんが千春の小説本を持ってきた時の事を指して訊いた。  田中さんは、いわゆる『したり顔』ってやつを浮かべて、身を乗り出したまま先を続けた。 「澤先生が薫風の試飲ボトルを貰いに来た時があったでしょう。デパ地下で」 「あ、ああ」 「あの時、澤先生が顧客名簿に『成澤千春』って名前と篠田さんの家と同じ住所を書いたんで、それでわかりました」  ようはあの時、田中さんが千春を前にして固まっていたのは見惚れていたんじゃなくて、目の前に突然『作家・澤清順』が現れたから驚いていたって訳か。  驚き顔の俺を余所に、田中さんは自分の椅子にきちんと座り直すと淡々とした表情でパスタを口に運ぶ。  俺は再びお茶を飲んでなんとか心を落ち着かせると、ゴホンと咳払いをして、田中さんに訊いた。 「 ── で・・・、平気なの?」 「何がですか?」 「何がって・・・その・・・。俺と千春が付き合ってるってこと知って」 「え? それって、私が澤清順のファンとしてってことですか?」 「違うよ。まぁなんて言うか・・・男同士っていうか・・・」 「ああ、そっちのこと」  田中さんはしれっと言う。 「私は平気ですけどね。仲良し四人組も同じ見解ですから、安心して。あの動画も、あんな風に篠田さんを追い込んだのは私だし、動画サイトに削除してもらえるように依頼しておきます。肖像権の侵害だからって」 「あ、ああ」 「それに、課長や部長達にもちゃんと誤摩化しておきますから。あの年代の男共は頭が固いですからね。それから、川島さんにも釘を刺しとかないと。あの人、見かけによらずミーハーだから。だから篠田さんは、安心してください。社内のフォローは、私達がきちんとします」  田中さんの頼もしい言葉に「ありがとう」と返しながらも、女性のこの強さって一体どこからくるんだろうと俺の頭は?マークでいっぱいになったのだった。  その日の夜、夕食を食べながら俺が動画騒動を話すと、千春は明らかに心配げな表情を浮かべた。 「シノさん、大丈夫ですか?」  俺は肩を竦める。 「ああ。まぁ、なんとか。社長が騒ぎを押さえてくれたし、田中さんが動画の削除依頼をしてくれて、今はもう消えてる」 「そうですか・・・」  千春は、またあの不安そうな表情をして、俺から視線を外した。   ── やっぱ、話するんじゃなかったかなぁ・・・  千春と付き合う事になって幸せいっぱいな俺と比べ、千春は前よりもずっと苦しい思いをしているのではないかと思ってしまう。でも俺にできるのは、俺が千春を愛している事を真っ直ぐ伝えるだけ・・・ 「千春」  俺は、テーブルの上にある千春の手をそっと握る。  千春が、俺を見た。  俺は身体を前のめりにして、千春にキスをする。 「ん・・・」  千春の唇が微笑みを浮かべた形で俺の唇を受け止めてくれた。  キスを終えて、俺は思わずフフフと笑う。 「なに?」  千春が小首を傾げた。 「みそ汁の味がする」  俺がイシシと笑うと、むっすり顔の千春が「ムード台無し」と言って、手のひらの根元で俺のおでこをバチンと叩いた。 「いて!」  俺は少々大げさに痛がる振りをして額を両手で押さえる。千春はお見通しのようで、「何を大げさな」と顔を顰めた。 「ほら、早く風呂に入ってきたらどうです? 見たいドラマ、見られなくなりますよ」 「そうだ!」  ヤバい、すっかり忘れてた。  今日は手早くシャワーだけで我慢するか。 「ええと、後片付け・・・」  席を立った俺がうろうろしながらそう呟くと、千春が「後片付けはしておきますから」と苦笑いをしながら俺を見上げた。 「悪い!」  俺はそう断ると、一目散に風呂場に走った。 <side-CHIHARU>   シノさんは、「悪い!」と叫んで、バタバタとダイニングを出て行く。  僕はそんな子どもじみたシノさんの様子を見て、クスクスと笑った。   ── ホント、いちいち可愛いんだから。  僕は、テーブルの上の食器をシンクに運び、後片付けを始めた。  シノさんとこういう関係になってから、僕は自分がつくづく『尽くす男』だということを実感していた。  新作の小説を発表してからというもの、意外に売れ行きは好調で、流潮社には取材依頼が殺到していた。その他にも、コラムや単発のエッセイの依頼なども舞い込んでいて、そんな中で、こうして毎日シノさんの部屋に通ってきている現状は、なかなか大変なことだった。夕方から仕事をなるだけ入れないように岡崎さんに依頼した手前、以前は受けていなかった午前中の仕事も増えてきて、翌朝に仕事が入っている時は、シノさんの家に泊まっていく訳にはいかない。   ── 一緒に住めたら、問題解決なんだけど。  僕は、洗った食器を戸棚に片付けながらふいにそんな事を思い、人知れず頬を赤らめた。 「何考えてんだろ、僕」  頭をくしゃくしゃと掻き乱す。  ゲイにとって、一緒に暮らすというのは一世一代の大きな決意と言える。  婚姻という形態がないゲイの世界でそれはつまり、養子縁組に次ぐ『結婚的行為』で、さすがの僕も、過去そういうことになった男はいなかった。  シノさんはあのテレビ中継で「結婚しよう」と言ってくれたけれど、僕に取って『結婚』とはもっと重い意味があった。むろん、シノさんの思いが軽々しいものでないことは知っている。でもそれ以上に、僕に取って『結婚』とはいいイメージがなく、口にしがたい言葉だった。それは、僕の頭に両親の姿が常にあって、それがある意味トラウマになっているに違いなかった。  僕の両親の『結婚』なんて、薄っぺらい婚姻届と薄さはまったく同じで。  表面上はとても仲がいいが、互いの目が届かない場所に行くと、相手のことを汚く罵るような夫婦関係だ。  僕に興味を示さなかった両親だったが、唯一彼らが僕のところに来る時は、互いの悪口を吐き出す時だけだった。  こんな環境の中で育ってきた自分みたいな人間が、シノさんと一緒に住んでうまくやっていけるのかがとても不安だった。   ── シノさんといると、僕は本当にとことん臆病になってしまう・・・  僕の中の漠然とした不安は、鈍感なシノさんにですら伝わっているみたいで、シノさんは時々、露骨とも思えるぐらい愛情を示してくれる。シノさん、本当はとても恥ずかしがり屋で男っぽい性格をしてるから、こういうの慣れてないし、恥ずかしいんだろうけど。シノさん、無理してくれてるよね。  それはわかってるんだけどさ・・・。  シノさんのそんな不器用な愛情表現は、僕を最高に幸せな気分にしてくれる特効薬だった。  僕のためにシノさんがそう努力してくれていることがわかるから。   ああ、早くこの不安感を解消して、シノさんを安心させることができればいいんだけど。  しかしこればかりは理性でコントロールできるものでもなく、きっと僕は自分で答えを模索するしかない。  いつ答えが出るのか、このもやもやとする霧が晴れてくれるのかわからないけど・・・。 「上がったよ」  シノさんがTシャツにハーフパンツという姿で濡れた頭をタオルで拭きながらダイニングに入ってくる。 「ああ、丁度よかった。今片付け、済んだところです。僕も入ってこようかな」 「うん。あ、今夜、泊まっていく?」 「ええ。明日は午後から仕事場で取材を受けるようになっているので、泊まっていけます」 「じゃ、布団、敷いとくな」 「お願いします」  シノさんが、クローゼットからいそいそと客用の寝具セットを引き出している。  僕が泊まる日は、決まってこの布団が登場するのだ。  シノさんのベッドは、大の男二人で寝るには狭いから。  僕が風呂から上がると、シノさんは布団の上でテレビを見ながら、鼻をグスグスと言わせていた。  お気に入りのテレビドラマは硬派なヒューマンドラマで、毎回シノさんは涙ぐんでいる。  シノさん、感激屋さんだからね。  本格的にボロボロと涙を零す訳ではないけれど、目頭には涙がうるりと浮かんでいて。  口をへの字にしているシノさんの少年のような表情が、僕は大好きだった。  これもまた、『通い妻』をしだしてから気づいたシノさんの魅力。 「 ── また泣いてる」  僕がシノさんの隣に同じようにして胡座をかいて座ると、シノさんは目をシバシバとさせながら僕から視線を逸らす。  泣き顔を見られるのを、シノさんは嫌ってるのだ。  男らしい性格をしているから、泣き顔をみせるのは女々しいとでも思っているのだろう。  僕はといえば、普段からテレビをあまり見ない生活をしているので、ドラマにも今ひとつ感情移入しにくい。  テレビよりもどちらかというと視界の隅でシノさんを眺めながら、僕は髪の毛をタオルで拭いた。  やがてドラマが終わるとシノさんはその後のニュース番組を軽くチェックして、テレビを消した。  僕は、床にそのままになっていたシノさんの分のバスタオルも拾い上げて、立ち上がろうとする。  その背中にシノさんが、ガバッと抱きついてきた。 「ん? 何? シノさん」  僕が背中を振り返ると、篠田はトトロに出てくるメイちゃんがさつきちゃんに抱きつくような表情でぎゅっと抱きついている。  どうやらドラマを見たせいで、人恋しくなっているみたい。  僕はシノさんに向き合った。  軽くチュッとキスをする。  とろんとした顔つきのシノさんに、僕は「これ以上はダメ」と言った。 「えぇ! なんで!」  シノさんが声をあげる。 「だってシノさん、セックスする時全力過ぎるから。この前だって、そのせいで翌日遅刻したじゃない。僕と一緒にいるからって、シノさんを自堕落な生活にさせたくないんですよ、僕は」  シノさんはううん・・・と唸り声を上げている。  どうせシノさんの中で、「愛し合いたい」という欲望と「遅刻はダメ」という理性がせめぎあっているのだろう。 「僕だってしたいけど、シノさんとすると僕もヘトヘトになるから、翌日定時に起こす自信ないもの。だから、するのは翌日が休みの時だけ」 「えぇ! じゃ、週末までお預けってこと?!」 「つべこべ言わない」  僕が「メッ!」とシノさんを睨むと、シノさんはシュンとなった。  内心は僕だって週末までお預けなんて本当は残念でならなかったが、僕がシノさんの部屋に泊まる度にしていたら、シノさんは確実に落第社員に成り下がる。  渋々ながらでもシノさんは納得して、すごすごと自分のベッドに上がっていった。   ── ホント、これじゃどっちが年上かわかったもんじゃないね。  僕はバスタオルを洗濯機の中に放り込みながら、クスクスと笑った。  でも、本当のことをいうと、シノさんの真っ芯は、僕がどうやっても追いつかないほど懐が深くて、計り知れないほどの包容力があるんだ。  シノさんとこうなる前、吹越さんとの再会で深く傷ついた僕を無言で抱きしめてくれたシノさんの腕は、本当に大きくて温かかった。  それは、若くして両親を亡くし、男手ひとつで妹家族を養ってきた彼の苦労から生まれた『器の大きさ』なんだろうと思う。  自分でない誰かを守っていく事で形成されてきた心の形。  自分を庇う事で精一杯だった僕とは、大違いだ。   だからこそ僕は、今度こそ自分がシノさんを守りたいと思っていた。  まだまだ力不足なことは歴然としていたけれど、自分が理想とするシノさんの心の形に寄り添うには、『守る苦労』を積まなければならないのだと僕は考えていた。  これからきっと、シノさんは様々な辛い局面にぶつかる時が来るだろう。  男と付き合っていることでぶつかる壁。  むろん、周囲にバレなければそんな壁にもぶつからないだろうが、今日のシノさんの話を聞いていると、いつかは周囲にこの関係がバレてしまいそうな気がする。  でも、だからといって、僕はもうシノさんを手放す訳にはいかない。  僕の人生にはもう、シノさんは必要不可欠な、かけがえのない人になっているのだから。   ── それならば。  僕は決心していた。  それならば、僕が守るしかないと。  シノさんの美しい心が壊れないように、自分がもっともっと強くなって、彼の心を支えていかないと。  だから、いつまでも不安な顔をしてちゃダメなんだよね。  自分の弱さと向き合うのは、本当に難しい・・・。  結局。  その日の晩は、別々の布団で眠る事になったのだが、寝床に入って三十分もしないうちに、シノさんが僕の布団に潜り込んできた。  「だから、ダメって言ったでしょう」と思わず口から出そうになったが、シノさんはそのまま僕の背中にピタッと張り付いて直に寝息を立て始めた。  ようは、ただ単純に人肌が恋しかっただけか。  シノさん、本当に寂しがり屋なんだよね。ビックリするほど。  人懐っこいのに、激しく人見知りをする。男っぽい性格なのに涙もろくて、極度の寂しがり屋。子どもみたいな表情や仕草をよくするのに、時には凄く大人びた横顔を見せる。酷く鈍感なのに、僕の不安な空気を察することだけは鋭い。   ── 本当に複雑だよ、シノさん、あなたって人は。ま、そこに僕は参ってる訳だけど。  僕は布団の中で微笑むと、自分の身体に回されたシノさんの腕に、そっと手を添えたのだった。
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