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act.29
<side-SHINO>
会社に出社すると、なぜか受付で他でもない田中さんに捕まった。
しかもそこで、体調チェックまでされた(汗)。
出社してくる他の社員達にからかわれながら、熱まで計られた。
「上にあがってよし!」
晴れて田中さんからお墨付きをもらって、上のフロアに上がるお許しを得た。
まだ咳は出ていたからマスク姿だったけど、気持ちとしては心身共にすっきりとしていた。
昨夜千春に、心と身体の毒を抜いてもらったんだと思う。
だから、先に出社していた川島と顔をあわせた時も、真っ直ぐ顔をあわせることができた。
「川島、おはよう」
椅子に座っていた川島は、俺の顔を見上げると「風邪、大丈夫なのか?」とマスク姿の俺を見て、そう訊いてきた。
俺は「うん」と頷くと、「ちょっと話がしたい、いいか」と言った。
川島は、「ああ」とどこか観念したかのような表情を浮かべ、立ち上がった。
朝の休憩室は、むろん誰もいなかった。
俺は自販機で缶コーヒーを二つ買うと、ひとつを川島の方に向かって投げた。
俺が長椅子に腰掛けると、川島もその隣に腰掛けた。
「確かに俺は、いい気になり過ぎてた。お前の言う通りだよ」
俺がそう切り出すと、川島は気まずそうに「おい、シノ、それは・・・」と口を挟んだが、俺は「まぁ最後まで聞いてくれ」と川島の声を遮った。
「お前にそう言われて、周りのことが何にも見えてなかった自分に気がついたよ。川島に嫌な思いをさせてしまって、本当に悪かった。ごめん」
俺は頭を下げた。
「シノ・・・」
しゅんとしてる川島の方に俺は身体を向けると、川島の目を見た。
「でも、川島にわかってほしいのは、俺は絶対にお前のこと一度もバカにしたことはないし、お前の荷物を半分持ちたいと思ったのは本心だ。 ── 偽善者と言われても、俺にはこんな生き方しかできない。ごめん」
川島はしばらくそのまま黙っていたが、やがてスンと鼻を鳴らした。
「何言ってるんだ。悪いのは俺の方じゃねぇか。それなのに謝ったりするから、偽善者なんて言われるんだ」
「川島・・・」
「お前は人が良すぎるんだよ。八つ当たりされたこともわからないで、マジで受け止めるなって。心臓いくつあっても足りねぇぞ」
川島はふいに立ち上がると、俺の目の前に土下座した。
「シノ、すまん!」
俺は、突然のことに驚いた。
「え?! な、なにやってるんだよ、川島!!」
俺は慌てて川島の傍らに膝をついて身体を起こさせようとしたが、川島はそれを拒んだ。
「前に、お前がネットで騒がれたことがあったろ・・・」
川島は土下座したまま、話し始めた。
「実はそのことを美樹ちゃんに話して一緒に観たんだよ、あの日。そしたら、美樹ちゃん、お前のことやたらカッコいいって言い出してさ。『英会話に通っていた時と全然違う!』って言って、はしゃいじゃって。それからというもの、ケンカする度に『どうせ付き合うんなら、篠田さんがよかった』って言われるようになった。そんなこんなでムシャクシャしてたらさ、ある日会社の前で、全然見たこともない男に声を掛けられてさ。即金で10万払うから、シノのこといろいろ教えてほしいって言われて、それで俺・・・・」
「教えたのか」
「うん・・・。その金でスーツ買ったんだ。アルマーニの中古」
顔を上げた川島は、涙でグショグショの顔をしていた。
「お前の自宅の住所も教えちまったんだ、俺。なんかよくないことが起こるかもしれない。本当に、すまなかった」
川島はそうしてまた、頭を下げたのだった。
<side-CHIHARU>
結局。
僕は岡崎さんに、強制的に病院に連れて行かれた。
僕の風邪が長引くと、今後のスケジュールに支障が出るためだ。
岡崎さんに連れて行かれた病院は、古めかしい建物だったが腕は確かな、芸能人や政府関係者がお忍びで来る病院らしく、他の患者に顔をあわせることなく、注射を一本打たれて解放された。そのかいあってか熱は午後には引いて、少しスケジュールは押してしまったが、結局僕の仕事場で岡崎さんと打ち合わせをすることになった。
岡崎さんからの相談は、「そろそろ、連載小説にチャレンジしてみたらどうか」という申し出だった。
「これまで、すべて書き下ろしで本を出してきたでしょ。そうするとやはり出版するスパンが、どうしても空いてしまうのよ。前作のヒットで澤清順の小説を求める声は一段と高まってきているの」
そう言われ、僕はう~んと唸り声を上げた。
別に風邪のせいで頭が痛かった訳じゃない。
連載小説は、”連載”するとあって、書き下ろしにはないプレッシャーがある。
これまで遊び半分に小説を書いてきた僕にとって、そんなプレッシャーと戦ってまで小説を書く理由がなかったし、それをこなせる才能が僕には到底ないと思ってきた。
確かに、小説に対する僕の姿勢が変わってきているのは事実だけど、小説の連載なんて始めたら、今以上に忙しくなるのは目に見えているし、そうすると下手したらシノさんの家に通う時間が制限されてしまうかもしれない。
シノさんに会える時間が今以上になくなってしまうなんて、そんなの、僕に耐えられるだろうか。
「 ── どうやらその様子を見てると、いい返事はもらえなさそうね」
岡崎さんに心の内を見透かされ、僕は苦笑いした。
「すみません。今もシノさんの家に通える時間を割くのに苦心しているんです」
僕がそう言うと、「そういうことねぇ」と岡崎さんはそう笑って、さっき岡崎さん自身が煎れたコーヒーを啜った。
「ホント、まさかあの澤清順が、こんなに甲斐甲斐しく通い妻してるだなんて、世間に知られたら皆ひっくり返るわよ。ドSが売りなのに」
「酷いな」
「あなた達、もう一緒に住めばいいじゃない。ここだって充分広いんだし。それじゃダメなの?」
岡崎さんにそう突っ込まれ、僕は再度苦笑を浮かべなくてはならなかった。
「ゲイが一緒に住むって、そんなに単純な話じゃないんですよ」
さすがに岡崎さんには、僕がシノさんに一緒に住むことを断られたとは言い出せず、僕は何気なしに言葉を濁した。
岡崎さんは、「こんなに仲がいいのに、なに難しく考える必要があるのよ」とか何とか呟いていたが、僕がそれ以上のってこないことを悟ると、いつものルーチン仕事になっている雑誌のコラムのゲラの確認作業に移った。
僕が、校正作業を行っている最中、やや散らかりかけていたプライベートルームの片付けを岡崎さんがしてくれる。
彼女は、僕がシノさんと付き合い始める前、ここに引きこもった時から、なぜか僕に母性を感じるようになったらしく、時々こうして僕の世話を焼いてくれるようになった。
仕事場のプライベートルームが散らかってしまうのは、僕の掃除力がシノさんの部屋で使い果たされてしまうからだ。
確かに一緒に住めば、こういう問題も解消されるんだろうけど。
もうそのことについては言わない、考えないって、僕の中で踏ん切りはついたんだし。
シノさんを追いつめたりはしたくないんだ。
一緒に住めなくったっていい。
シノさんを失うより、ずっとマシだもの。
ふと、隣の部屋で岡崎さんの携帯電話の着信音が鳴る音がした。
僕は特に気に留めず校正作業を続けたが、突然凄い勢いでドアが開いて、岡崎さんがリビングに飛び込んできた。
「澤君、大変なことになったわ・・・」
岡崎さんは携帯電話を握りしめたまま、僕の顔を見てそう呟いた。
── 澤清順のスキャンダル記事が、明日発売の写真週刊誌に掲載されるらしい。
岡崎さんの携帯に入ってきた情報は、その知らせだった。
そのスキャンダル記事っていうのが、夜の盛り場で男と遊び回ってるっていうような内容だったら僕も一切動じないところだが、その内容がどうも僕とシノさんに関することらしいと知って、僕は顔面が蒼白になった。
「待って。落ち着いて。今、浅田君が現物を馴染みの書店からぶんどって、こっちに向かってるっていうから・・・」
岡崎さんは「落ち着け」と僕に言ったが、そう言ってる岡崎さんの声自体も、ちょっと震えていた。
写真週刊誌に僕のことが掲載されたことは、過去にもあった。
文壇デビューした後、僕の姿が写真やテレビに取り上げられて『ハンサム過ぎる小説家』などと陳腐な形容詞をつけられて騒がれた時は、僕がゲイであることをカミングアウトしていることや、奔放な夜遊びの様をまるでどこかのタレントと同じような扱いで記事にされた。
ドSで私生活が派手な若いゲイの小説家っていうレッテルが世間一般に広まったのは、その記事のせいだった。
そのお陰というのも変な話だが、それ以来、作家以外の仕事が舞い込んで来るようになって、ほとほと困った僕を見かねて、流潮社がマネジメントまでしてくれるようになったっていうのがこれまでの経緯で・・・。
それ以後は、写真週刊誌が取り上げるまでもなく、僕の姿は巷で溢れ変えるようになったから、特にマークされることもなくなっていた筈なのに、なぜ今このタイミングで?
第一、どこかのアイドルや俳優じゃあるまいし、小説家の私生活なんか取り上げて、雑誌の売り上げが上がるとでも思ってるのだろうか。別に誰かを殺した訳でも、隠し子を作っていた訳でもない。
僕がそんな疑問を思わず口にすると、岡崎さんはハァ~と長い溜息をついて、「雑誌の売り上げは上がるでしょ。ドSキャラだった澤清順が今は純愛に胸を熱くして通い妻してるってネタは」と脱力した声で言った。
「澤くん、あなた自分が世間から結構注目されてるってこと、もう少し自覚した方がいいと思うわ。世間の人にとって、あなたみたいに美しくて若いゲイの小説家なんて、いまだに謎に満ちた存在なのよ」
岡崎さんは僕の向かいの椅子に腰掛けると、「つい最近まで、私にとっても謎だらけの存在だったんだから」と呟いた。
重苦しい空気が辺りを包んだその時、慌ただしく鳴らされたチャイムの音が、沈黙を切り裂いた。
二人で顔を見合わせて、玄関に走り出る。
ドアを開けると、岡崎さんの部下の浅田君が息を切らしながら飛び込んできて、紙袋に入った週刊誌を前に突き出した。
「ハァ・・・ハぁ・・・、こ、これです・・・」
岡崎さんが受け取って、乱暴な手つきで紙袋の口を破ると、その袋を床に叩き付けながら雑誌を取り出した。
「・・あー・・・」
思わず二人同時に声が出る。
表紙から既に、『美し過ぎるゲイ作家・澤清順に本命の恋人発覚!~恋人もまた美し過ぎる一般会社員だった!』とでっかい字が踊っている。
「なんてセンスのない見出し・・・」
職業病なのか、岡崎さんがその見出しにダメ出しをする。
「岡崎さん・・・、そ、そんなこと言ってる場合じゃないですよ・・・。な、中、見てください」
「ああ、そうだったわね」
岡崎さんが浅田君に促されて、ページを捲る。
なんと僕の記事は、ご丁寧にカラーページに掲載されていた。
「あぁ・・・・」
思わず僕の口から声が漏れる。
どれもこれも、身に覚えのある光景が写真に写っていた。
一番大きく掲載されていたのは、葵さんと三人でレストランに食事に行った時、葵さんを待っている間に僕がシノさんにバラの花束を手渡してるところだった。
本来は、葵さんへの誕生日プレゼントを買い忘れたシノさんに「シノさんから葵さんに渡して」と僕がシノさんに花束を預けているところなのだが、写真のキャプションには『プロポーズの返事は定番の赤いバラで?!』とバカバカしい文言が並んでいた。
写真は、レストランでの食事の後、タクシーに乗り込む僕とシノさんの姿や ── その時は葵さんもいたのに、彼女の姿は都合よくカットされている ── 、葵さんの誕生日パーティーの帰り、シノさんのマンションの近くで少し言い争いをした後、手を繋いでマンションに入るところまで連続で撮られた写真も載っている。
他には、シノさんだけが撮影された写真もあった。会社から出てくる瞬間の写真だ。その写真のキャプションには、『S.Sさんは、そのままの写真をご紹介できないのが惜しいほどのハンサム』と書かれている。
僕の顔はそのまま掲載されていたが、シノさんの顔にだけは、まるで犯罪者みたいに”目線”(目を隠す黒い線)が印刷されていて、なんだか滑稽だった。
しかしその”目線”は凄く細くて、シノさんを知らない人なら街でシノさんに会っても気づかないかもしれないけれど、シノさんのことを知っている人なら、確実にシノさんとわかるだろうなって感じで、会社から出てくる写真に至っては、会社の名前が入っている箇所は”ぼかし”処理がされていたが、建物の形はよくわかる写真で、社員なら一発でシノさんだとわかるに違いない。
記事には、シノさんが『千春』という人物にテレビで公開プロポーズをしたことにも触れられていて、僕の本名が成澤『千春』であること、僕が甲斐甲斐しくシノさんのマンションに通っていること、僕がシノさんと付き合い始めてから一切夜遊びをしなくなったこと、シノさんが僕に負けず劣らず物凄く美形であること、二人で既に”ハネムーン”旅行に行ってきたこと ── どうやら温泉旅行のことらしい ── 、そしてシノさんの身長や身体付き、高校を中退して今の酒類卸メーカーに就職していることなど、シノさんの簡単なプロフィールまで事細かに書かれていた。
『ドSな顔の裏に、貞淑な妻の顔 ── 』だなんてチープなキャッチコピーまでつけられて、まるで女子会でキャピキャピ騒ぎまくる女の子達の会話のような記事・・・。
どうしよう。
僕の身の回りはともかく、これでシノさんの周囲にシノさんがゲイの男と付き合ってることがバレてしまう。
シノさんへのゲイに対する迫害や偏見が降り注いで、シノさんが傷つくのは目に見えている。
そんなの、僕には耐えられない。
シノさんが僕と付き合うことで辛い思いをするのなら僕は、そのまま付き合ってなどいられない。
でも、シノさんを失うなんてこと、今の僕に耐えられるのか。
どうしよう・・・どうしよう・・・。
目の前が、グラグラする・・・。
「ちょっと、澤君、大丈夫?」
「澤先生、顔色、真っ青ですよ」
そういう二人の声が遠くでこだまして。
僕の意識は、岡崎さんの悲鳴とともに、暗転した。
******
作者から、大切なお知らせ
(チコっと長いですが、最後までお読み頂けると助かります)
29話までお読み頂き、ありがとうございました!
ここまで、ご縁を結んで頂いたことに感謝致します。
本当にありがとうございます。
誠に僭越ながら30話より、図書券利用とさせて頂きます。
図書券100枚(108円相当)を一回お支払い頂くと、最後までお読み頂けます。
なお、iOSアプリ版では図書券購入ができません。ブラウザ版に切り替えて頂きますと、iOSでもクレカ決済で図書券購入可能です。お手数をおかけ致しますが、もしよろしければ、切り替えをお願い致します。
そして、どさくさ紛れにこそっと呟きますが、docomo月額コース(プレミアム会員)では作者に購入代金が還元されないため、図書券を使ってもらった方が、有難いです。
でももちろん、プレミアム会員の方が決済しやすくて、そちらの方がご都合が良い方は、そちらをご利用ください!
また、図書券購入はあくまでカンパ的意味合いで設定しています。
この作品が読者様の「心の栄養」となれた時に、課金していただくで構いません。
したがって、無料のまま最後までお読み頂ける環境を用意しています。
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いろいろとご不便をおかけしますが、何卒、ご理解ご協力のほど、よろしくお願い致します。
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