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act.33
<side-SHINO>
二度目のドライヤーを俺が使っていると、先にTシャツ・タイパンツに着替えた千春が、「シノさん、電話!」とこざっぱりした声とともに、俺の真新しいiphoneを持ってきてくれた。
さっきまで激甘だった千春が、もういつものキリッとした千春に戻ってて俺としては何だか寂しかったが、きっともうこれ以上俺を挑発しないために、わざとそうしてるんだって思った。
いつもの流れなら、裸のまま寝室に行って第二ラウンドに突入・・・といったところだけど、明日俺は普通に仕事な訳で、一回こっきりで我慢しろ、ということだ。
うう、物足りない・・・。でも、我慢しなきゃ。
とはいえ、電話を渡してくれた時に指先が少し触れて俺が千春を見ると、千春は直ぐに俺に背を向け洗面所を出て行ったが、その頬が少し赤く染まったのを発見して、きっと千春も俺と同じようにちょっと物足りないって思ってるんだろうなった思った。
内心、ほっこり温かい気分になりながら電話に出ると、一気にその気分が覚めた。
『お兄ちゃん、アタシになにか言わないといけないこと、ない?』
── あ、わ、忘れてた(汗)。
「美優!」
俺が思わず驚いた声を上げると、『何よ、その反応』と不機嫌そうな美優の声が聞こえてきた。
千春がさっきの俺の声を聞いて、また洗面所に顔を覗かせる。
その表情はさっきとは打って変わって、不安そうな顔つきをしていた。
「いや、純粋に驚いただけだろ」
俺は美優にそう言いながら、千春には目で”大丈夫”と目配せをした。
千春は不安げな表情のままだったけれど、“わかった”といった具合に頷いて姿を消した。
「なんだよ、お前」
俺がそう言うと、美優に『なんだよ、じゃないでしょ!』と怒鳴られた。
俺は思わず電話を耳から放した。
「電話口でそんなに大声を出すなよ。ハルもびっくりするだろ?」
『ハルならもう寝てるわよ。今だって、家の外で電話かけてるんだから。大体、話の内容が微妙過ぎて、ハルにもシゲちゃんにも聞かせられない』
美優にそう言われ、やっぱり”あの事”で電話をかけてきてるんだって思った。
「おう、そ、そうか」
と俺が答えると、美優は『なにすっとぼけてんのよ』と突っ込まれた。
『アタシが何も知らないとでも思ってるの?』
「え、お前、あの雑誌買ったの?」
そう訊くと、受話器の向こうから溜息が聞こえてきた。
『 ── 私が買う訳ないでしょ、写真週刊誌なんか。ゴシップ好きのママ友が家まで持って来たのよ。凄くお兄さんに似てるけどって。取り敢えず、そのママ友には「人違いだと思います」って答えておいたけど、やっぱりあれ、お兄ちゃんのことだったのね・・・。って、あのマンションの近所で撮影された写真見たら、間違えようがないけど。自分が昔ずっと住んでたとこなんだし。 ── それにしても、成澤さんとのこと、なんで言ってくれなかったの』
「言おうとしてたんだけど、タイミング逃しちまってさ」
『隠してた訳じゃないのね?』
「違う」
『ま、お兄ちゃんの性格なら、コソコソはしないだろうと思ってたけどさ・・・。でもまさか、ホントに成澤さんと付き合ってたなんて。正直、ビックリ』
「すまん」
『今まで浮いた話ひとつもなかったのは、昔からお兄ちゃん、恋愛対象そっちの方向だったの?』
「いや、そういう訳では・・・。気づいたら、千春の事を好きになってた」
俺がそう言うと、今まで重苦しい雰囲気だったのに、不意に美優が笑い出した。
『まさかここにきてノロケられるとは思わなかった! ── 今も傍にいるの?』
「千春?」
『そ』
「ああ。今日はこっちのマンションにいる」
『晩ご飯は何食べたの?』
俺が今夜の献立を説明すると、美優は『それ全部手作りなの?』と訊いてきた。
「当たり前だろ」
『食べるだけの人がなに偉ぶってんのよ。ブリ大根って上手に作るの結構手間かかるのよ。下ごしらえとかさ。私は作ろうと思わない。 ── お兄ちゃん、随分愛されてるじゃないの』
美優の声が幾分柔らかくなって、俺の肩から力が抜けた。
「いいのか?」
『いいのかって?』
「俺が、同性と付き合ってて・・・さ」
『じゃ、アタシが反対すれば付き合うの、やめるの?』
「いや、やめない」
『でしょ? なら訊かないでよ、そんなこと。お兄ちゃんが他人の指図を受けない人だったことは、痛いほどわかってますから』
「でも俺は、そういう意味で美優に俺達の関係を納得してほしくないよ。できれば、もっと前向きに受け止めてほしいと思ってる」
俺がそう言うと、しばらく沈黙が流れた。
「・・・美優?」
俺が恐る恐る訊き返すと、向こうで苦笑いする声が聞こえた。
『今度、こっちの家にも遊びに来て。二人、一緒にね』
「美優・・・」
『私は、お兄ちゃんの面倒をここまで見てくれてるんだから、それだけで成澤さんには凄く感謝してるわ。やっとほっとできた感じ』
いつになく美優の声は優しかった。
やはり世界でただ一人の妹だって思う。
前はぶつかることも多かったけれど、根っこはしっかりと繋がっている。
『でもお兄ちゃん、気をつけてね。あの記事、結構酷い書かれっぷりだった。アタシの記事については否定できない内容だったけど、お兄ちゃんの方は全然違ってたじゃない。まるで遊びほうけて高校を中退したかのような書きようだった。あれじゃ知り合いの人達に誤解されちゃう。相手の出版社には抗議してるの?』
「そこら辺は、味方してくれてる人がたくさんいるよ。会社の同僚とか社長とか、千春の出版社の人達とか。だから心配ない」
『会社にもバレちゃったんだ・・・。お兄ちゃん、くれぐれも気をつけてね』
「ああ、心配するなって」
『わかった、そうする。だって私、現在妊娠三ヶ月。お兄ちゃんのこと心配してる場合じゃないの。じゃぁね。ばっはは~い』
「え?! お、おい!!」
── ガチャ。
美優は、いつものように自分の言いたい事だけ言って、電話を一方的に切ったのだった。
「まったく・・・。あいつ、最後の最後に爆弾発言しやがって・・・」
俺はそう呟きながら、洗面所を出た。
リビングダイニングに入ると、千春は丁度食器を片付け終えたところだった。
「電話、妹さんから?」
千春はさりげなくそう訊いてきたが、凄く緊張している様子だった。
俺が「うん」と答えながら椅子に座ると、千春はホットミルクを出してくれた。
だけど千春は一向に椅子に座る気配はなく、棚の中の食器を入れたり出したりしていた。
「千春」
「 ── ん?」
食器棚に向き合ったまま、千春は気のない返事をする。
「千春、座って」
俺がそう声をかけると、千春は観念したかのようにフーと息を吐き出して、俺の向かいに座った。
俺がホットミルクの入ったカップを差し出すと、千春は少し笑って、両手で抱き締めるようにカップに両手を添えた。
「妹さんからの電話、ひょっとして、あの記事のことで?」
千春がテーブルに目線を落としたまま、そう訊いてくる。
「うん」
千春は、また大きく息を吐いた。
「 ── で、なんて?」
硬い表情。
俺は、ごく普通の口調で答えた。
「今度二人一緒に、遊びに来いってさ」
千春は一瞬顔を上げ俺の顔を見た後、またすぐに俯いてしまった。
カップを持つ手が、小刻みに震えていた。
俺が左手を千春の手に添えると、千春は無言で俺の手をギュッと握り返してきたのだった。
翌朝、俺はいつも通り出勤した。
千春は、記者がまだマンションの前に張り付いているかもしれないと不安がっていたが、朝から追いかけられることはなかった。
きっと、こんな一般人なんて一晩中張り付く程のことではなかったんだろうって思う。
千春はまだ、凄く警戒しているけどさ。
俺は会社に着く間際、千春に無事何もなく会社に着けたことをメールした。
今日は千春も仕事に出なければならないと聞いていたから、これで安心して俺の家から出られるんじゃないかって思う。
日本酒課に上がると後から出社してきた課長に、「おい、今日からシノも外回り復帰するんだぞ」と肩を叩かれた。
まるでそれを合図にしたかのように、他の課から配送分担表が回されてきた。
うちは営業がどの課も少数精鋭なので、互いの課の配送分を担当エリアごとに取りまとめをして配送している。
営業は行った先で顧客の要望を聞いて、自分の担当課以外の問い合わせが来た時には、電話で互いに確認しあったり、一度持ち帰って営業会議にかけたりしてこまめに対応をするようにしている。なので、各課に分かれていはいるが、営業の社員は他の部と違って横の繋がりが強い。
俺は配送部の浅川と一緒に、トラックに乗り込んだ。
久しぶりの外回りは、拍子抜けする程いつもと変わらない調子だった。
ほとんどの取引先が、俺が外回りを控えていた理由を知らず、逆に俺の体調を心配してくれたお客様の方が多かった。俺は内勤に変わっていただけで決して病欠していた訳じゃないことを説明して、ご心配をおかけしましたと頭を下げた。
空いた瓶ビールが入ったケースを荷台に積みながら、浅川が言った。
「よかったですね。そりゃ、みんながみんな、あの週刊誌を買って読んでる訳じゃないですもんね」
「ん? あ、ああ・・・」
俺はそう何となく返事をしながら、妙な違和感を覚えていた。
それって、やっぱ、「よかった」って思うものなのかな。
同性と付き合ってることって、人に知られると「悪い」ものなのか・・・。
幸い、あの報道後、なぜか会社内で俺を避けるような社員はいなかった。
内心、皆がどう思っているかは定かでなかったが、これまでのところ、嫌な思いはしていない。
小さな会社だし、社員同士も大企業に比べるとそれなりに付き合いがある。
元からの社風なのか、社長が配慮してくれてのことなのかよくわからないけど、会社内の俺の扱いは”普通”だった。
でもそれって、やっぱり皆に気を使わせてるのかな。
本当は、誰か俺のことを気持ち悪いだとか、関わり合いたくないと思ってる人もいるのかも・・・。
俺は車窓の外を流れて行く風景に目をやりながら、ぼんやりとそう思った。
そうして、ハンドルを握る浅川に目をやる。
「なぁ・・・」
俺がそう声をかけると、浅川は前を向いたまま「はい?」と答えた。
「浅川は、何とも思ってないのか?」
「何がですか?」
「いや、さっき、よかったですねって言ったじゃないか。やっぱり俺のしてることって、世間一般ではマズいことな訳だろ。そんな俺と二人っきりで外回りだなんて、嫌じゃないのかなって」
俺がそう言った時、丁度赤信号に引っかかった。
浅川が、俺を見る。
「嫌だったら、とっくに担当替えてくれって言ってますよ」
「え?」
「これまで篠田さんと回っていて嫌な思いをしたことはないし、別に俺を襲おうって気もないでしょ」
俺は目を丸くした。
「襲う?! そんなこと、微塵も思い浮かばないよ!」
浅川が笑う。
信号が変わったので、また車は動き始めた。
「他の皆も、そう思ってますよ。篠田さんは超絶面食いだから、俺達はあいつの眼中に全く引っかからないってね」
「えぇ? なんだそれ」
「いや、まぁ、それは冗談ですけどね。でも篠田さん、ちっともわかってませんよ。篠田さんが社内でどれだけ信頼されてるか」
俺はそれを聞いて、一瞬息を飲んだ。
「・・・浅川・・・」
「これまでの篠田さんの頑張りは、社内の誰もが知ってます。正直、驚きはしたけど、それで篠田さんが前と変わった訳じゃないし。 ── でも、外の人はそこまで篠田さんを知らないじゃないですか。見た目や噂なんかで、すぐに影響を受けたりする。そういうのは、ないにこしたことはないって俺は思うから、だからさっき『よかったですね』って言いました」
そう言われて、俺は思わず心が熱くなった。
皆、俺のこと、そんな風に思ってくれていたんだ。
俺は、鼻の下を指で擦った。
「本当、俺は同僚達に恵まれてるな・・・」
浅川は、フフッと笑って横目で俺を見ると、「今度、なんか奢ってくださいよ」と返してきた。
「何だよっ! 結局はモノで買収か!!」
俺が悲鳴をあげると、浅川は大きな声を上げて笑った。
<side-CHIHARU>
シノさんから『無事会社に着いた』のメールを受け取って、僕はほっとした。
『心配せずに、部屋から出ても大丈夫だよ』
と最後にひと言、そう添えられていた。
シノさんには、昨夜も「俺達が付き合っていることを隠す必要なんてない。堂々としてりゃいい」って言われたけど、頭ではそうわかっていても、身体・・・というか心がついていかない。
それだけ、僕がこれまで経験してきたことがろくなものじゃなかったって証拠なんだろうけど。
やっぱり僕は、臆病過ぎるのかな?
こんなネガティブな思考してたら、外の影響うんぬんより、僕自体を嫌いになってシノさん離れていってしまうよね。
自分の臆病さ加減にほとほと呆れてしまう。
前はこんなんじゃなかったのにね・・・。
人を愛するってことは人を強くするっていうけど、でも同時に大変な弱みを握るってことにもなるんだということを、僕は知った。
その愛が大きければ大きい程、その愛を失う怖さも大きくなる。
本当に、難しい。 ── 難しい・・・。
「これって、やっぱり小説の題材にすべきだよな」
鏡の前で身だしなみを整えながら、僕は呟いた。
はぁ・・・。
意外にも僕は、自分が思っている以上に、根っからの小説家らしい。
まさかこんなことで、それを自覚させられるとは。
シノさんのマンションまで、流潮社の車に迎えに来てもらって、僕は新刊の記者発表会場に向かった。
会場と言っても、流潮社のエントランスに隣接している多目的ホールのことであるが。
「昨夜は、マンションの前に追っかけ記者がいるだなんて連絡受けたから、正直心配してたのよ」
後部座席の隣に座る岡崎さんが、少し気の抜けた声でそう言った。
「よかったじゃない。追っかけ記者、いなくなってたわね。うちからの抗議が効いたのかしら」
僕は少し目を見開いて、岡崎さんを見た。
「え? そうなんですか? 抗議、正式に出したんですか?」
岡崎さんは頷いた。
「ええ。正式にも非公式にも両方出したわよ。出版社同士、つながりが全くない訳じゃないからね。私も、相手の出版社にいる知り合いに、電話で文句言っておいたわ。澤清順のことはともかく、相手の方は一般人なんですよ? 立派な人権侵害じゃないの?って」
「で、相手はなんて?」
岡崎さんは肩を竦めた。
「まぁ、その知り合いがいる部署は写真週刊誌の部署とはまるで違うけど。 ── 確かに、その通りかもしれないなって呟いてたわ。だって篠田さんにしてみれば、同性と付き合ってるだなんて、最もプライベートで公開するには繊細になるべき情報を無理矢理公にされた訳だから。あなたが言っていうように、社会的影響が大き過ぎるもの」
岡崎さんが話すのを聞きながら、僕は思っていた。
── なんだ、僕の脅しがあの記者に響いた訳じゃないんだ、って。
まぁ、いいか。理由はどうであれ、騒ぎが小さくなるのは有り難いことだ。
「あ、でも今日の記者発表で絶対に週刊誌のこと訊かれるわよ。プライベートな質問はなしと断り書きしてるけど、奴らはハイエナだから。答え、考えておくことね」
「わかりました」
僕は溜息まじりに返事を返した。
── うーん・・・、こういう場合、どう答えたらいいんだろう・・・。悩む・・・・。
まさか自分がまるで芸能人みたいに囲み取材を受ける立場になるとは、思ってもみなかった。
そう思っていたら、ポケットのスマホがブルリと震えた。
画面を表示させると、メールを受け取ったとのメッセージ。
シノさんかなって思ったけど、差し出し人はカメラマンの小出さんだった。
『お待たせしてすまなかったね。頼まれていた写真アルバム、できたよ』
そのメールを読んで、僕は内心喜んだ。
だが、その思いがモロに顔に出ていたらしい。
岡崎さんに見られていた。
「いい笑顔じゃないの。記者発表も、どうぞそのままの笑顔でお願いしますね」
以前は、多少不機嫌な方がミステリアスな雰囲気を保てていいと言っていたくせに、シノさんと付き合い始めてから、機嫌のいい僕バージョンで取材を受けることも多くなった。意外にそちらの方も書籍の売り上げに繋がっているようだということがわかって以来、岡崎さんはそちらを推してくるようになった。
正直、僕はロボットでないから、そんなに自分のイメージはコントロールできないですけどね。
記者発表は、予想以上のマスコミの数が集まってきていた。
なんと普段見慣れないワイドショー関係のカメラまで来ていて、正直驚いた。
世間は、なんと暇なことか。
ゲイ作家のプライベートなど、そんなに追いかけるべきネタなのか?
出版される本の内容の簡単な宣伝と写真撮影の後、質疑応答が始まった。
プライベートな質問はなしと事前資料に書いてあったにもかかわらず、集まった記者達は出版されたコラム集に質問を絡める形で、僕の私生活のことを訊き出そうとヘンテコな質問をしてくる者もいた。岡崎さんが予想していた通りだ。
「今回のコラム集は、澤先生の気になるテーマを自由に選んで執筆されたとのことですが、今一番気になっていることは、やはり今お付き合いされている方のことですか?」
女性レポーターが、質問してくる。
その露骨さに、僕は思わず苦笑いした。
他の記者もそう思ったらしい。会場中から失笑めいた笑い声が沸き上がった。
それでも彼らは、どうなんですか?とマイクを向けてくる。
そんなの、はっきり「そうです」とかって答えられる訳ないじゃないか。僕がここで惚気た発言をすればする程、シノさんに迷惑がかかってしまう訳だから。
似たような業界にいるとはいえ、マスコミのデリカシーのなさにはほとほと呆れてしまう。
さて、この難局をどう乗り切ればいいか・・・。
記者越しに、ヒヤヒヤした顔つきで僕を見ている岡崎さんを目の端に捉えながら、僕は考えを巡らせた。
そして僕は質問した女性レポーターにニッコリとした笑顔を向けると、「今僕が一番気になるのは、あなたが付き合っている相手のことが気になりますけどね」と答えた。
一瞬、その女性レポーターは一体自分が何を言われたかわからないといった風な顔つきをした。
僕は彼女の手を覗き込んで、左手の薬指に指輪をしていることを確認した。
「ああ、失礼。ご結婚されているんですね。羨ましいな。あなたみたいな、カワイイ女性を虜にしているのは、どんなご主人様なんだろう」
まるで口説くように僕が顔を寄せてそう言うと、女性レポーターは見るからに顔を赤らめて、「えっ!? いや、澤先生って男性がお好みじゃなかったんですかっ?!」と焦った声で返してきた。
さっき以上に、会場に笑いが起こる。
僕は再度、笑顔を浮かべた。
「そうですよ。だから、僕が思いを巡らせているのは、あなたのご主人の方です。ご主人のこと、詳しく教えてくださいますか?」
僕がそう言うと、女性レポーターはそれ以上、何も言えなくなってしまった。
視界の隅の岡崎さんが、「それはやり過ぎよ!」といった風な表情を浮かべ、恒例のバツ印を出しているのを見て、確かにちょっとやり過ぎたかなって思った。
僕はコホンと咳払いをすると、女性レポーターの手に僕の手をそっと添えた。
「失礼しました。僕はゲイですが、美しいものは男女関係なく好みます。あなたの質問が真摯なものだったので、つい反応してしまった。くれぐれも、このようなゲイにはお気をつけください」
女性レポーターは、僕の顔と僕の手が添えられた彼女の手を両方見比べた後、まるで少女のように益々顔を赤くして俯いてしまった。
一旦は微妙な空気だったその場が少し和らぐ。
「では、正直に答えましょう。僕が今一番気になってること」
僕は身体を起こすと、高らかにこう言った。
再び一気に僕に注目が集まる。
僕は至極真面目な顔つきで、口を開いた。
「はっきりいって、今一番気になっているのは、このコラム本の売り上げです」
僕の言い草に、この日一番の笑い声がどっと涌いた。
<side-SHINO>
「次が最後ですね」
「ああ、そうだな」
配送リストを覗き込んで、俺と浅川は漏れがないかどうか確認をした。
順調に次の注文も入ったし、いつもの日常が帰ってきた・・・という感じだった。
その日最後に回るのは、パートの迫田さんがいる小さなスーパーだった。
大手スーパーとは違い、古くからある庶民的なスーパーだが都内に七店舗、店を構えている。
俺が担当するのは、その七店舗のうちの一番西にある店舗だった。
このスーパーは、もともとビール・発泡酒課の課長をしていた上谷配送部長が開拓した顧客だ。
一店舗当たりの発注数は多くないものの、店舗全体の発注を併せるとそれなりの規模のお客様だ。
細かい注文に答えるために、一週間に一回の納入と発注作業を行っている。
「毎度、お世話になります」
浅川と一緒に納入品の箱を台車に乗せてバックヤードに入ると、丁度一番親しく声をかけてくれる迫田さんがいた。
「今日もよかったら、陳列、手伝いましょうか」
俺がそう声をかけると、迫田さんは周囲のパートさんと顔を見合わせて少し笑うと、「いや、いいのよぉ。悪いからぁ」と返事を返してきた。
初めて聞く返事だったので、俺は浅川と顔を見合わせた。
「え? 手伝わなくて、いいんですか?」
このスーパーは正社員が少なく、女性のパートさんがほとんどだったから、酒類のような重い商品の陳列はいつも大変なのだ。
納品する度に手伝っていたのだが、この日に限っては手伝わなくてもいいという。
「商品、そこに置いててくれたら、あとはアタシ達でなんとかするから」
「え? でも大変ですよ? 手伝う時間はありますから」
俺がそう言うと、迫田さんは気まずそうな表情を浮かべた。
「実はねぇ・・・。社長がお宅との取引は今日で終わりにするからって言って・・・。それなのに、手伝ってもらうのなんて、悪いじゃない?」
愕然とした。
俺と浅川は、これまでとは別の意味で顔を見合わせたのだった。
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