1653人が本棚に入れています
本棚に追加
act.04
<side-SHINO>
連休初日は、妹と甥っ子が久しぶりに家にやってきた。
何でも、美優の旦那さん ── 枝重くんの東京出張が終わった後にあわせてディズニーランドに家族旅行に行くそうで、枝重くんの仕事が終わるまでの暇つぶしに俺の家に来たらしい。
玄関が開くなり、春俊が俺に飛びついてくる。
「おっとぉ! お前、重たくなったなぁ」
思わずバランスを崩しそうになって、俺は慌てて春俊を抱え上げた。
年始に会ってから三ヶ月しか経っていないのに、腰にずっしりとくる。
「今月から小学校に通い始めて、急に背が伸び始めたのよ。この子もお兄ちゃんみたいに大きくなるのかも」
俺は春俊を抱えたまま、ダイニングに引き返した。
「あら、寝室をこっちに移したんだぁ。いいじゃない、風通しよくなって」
美優が和室を覗き込む。
「これなら多少物臭でお布団干さなくても、寝室の汗臭い男の匂いがなくなるわね」
「汗臭いとは失礼な」
「だってそうでしょう? もうすぐしたら加齢臭だってそこに加わって来るんだから」
「加齢臭って・・・(汗)。酷い言い草だな、お前」
俺は顔を顰めた。春俊が「カレイシュウって何?」って訊いてくる。
「おっさんの臭いよ、ハル」
やかんを火にかけながら美優がそう答えると、春俊が俺を見上げて「おっさん」って言いながら笑い始めた。
「もう、お前、ハルに変な言葉教えんなよ・・・」
俺は溜息を吐く。
美優は手早くお茶の準備をしながら、「ま、今のお兄ちゃんならまだ大丈夫そうね。昔のお兄ちゃんならアウトだったろうけど」と言った。
「ええ?」
俺が眉間に皺を寄せると、向かいに座った美優がマジマジと俺を見つめてきた。
「な、なんだよ」
「 ── なんかお兄ちゃん、また雰囲気、変わったよね」
俺は内心、ドキリとする。
前回美優と会った時の俺と今の俺の違いと言えば、『童貞』か『童貞じゃないか』の違いだ。
まさかそんなことまで見抜けるとかっていうんじゃないだろうな?
「変わったって・・・。どう変わったっていうんだよ」
俺が恐る恐る訊いてみると、美優は頬杖をついて小首を傾げ、「なんか・・・よくわかんないけど・・・余裕が出てきたって感じ? 落ち着いてきた」と言った。
その言い草に、俺は苦笑いした。
「なんだよ、それじゃ前の俺が猿みたいに落ち着きがなかったみたいに聞こえるじゃないか」
俺がそう言うと、美優は小難しい顔をして「う~ん」と唸った。
「ま、確かに落ち着きがなかった訳じゃないけどさ・・・。なんなんだろう・・・。つまりぃ・・・。あ~~~~、よくわかんないって言ったでしょ、さっき。うまく表現できない」
「なんだそれ」
俺がそう言ったのと同時に、やかんがピーと音を立てる。
美優は立ち上がってお湯を急須に注ぎ、ダイニングテーブルの上で三人分のお茶を煎れた。
「そうそう。話は変わるけど、この間初めてPTAの懇親会があってさ、まぁ、ようはママさん達との飲み会だったんだけど、お兄ちゃん、大人気だったわよ。年齢層問わず」
俺はお茶を飲みながら、眉間に皺を寄せた。
「は? 何言ってんだ、お前」
「だからぁ、奥様方に大人気だったって言ってんの。よかったわね、お兄ちゃん。女の人にモテることがこれで実証されて。 ── まぁでも残念ながら、全員、既婚者だったけど」
そう言われても、俺にはチンプンカンプンだった。
だって、なんで美優のママ友が俺のこと知ってるっていうんだ?
美優にそれを問い正すと、美優は自分の携帯を取り出して少し操作した後、画面を俺の方に見せた。
この前の正月休みに春俊を抱いたところを美優が撮影した写真だ。
この時は千春が引っ越しをした直後でかなり落ち込んでた俺だけど、春俊が幼いながらもいろいろ察してくれて、元気づけてくれたんだ。
だからこの時の写真は、春俊も俺も笑顔だった。
「この写真を見せたの。ほら、皆初めて会う者同士だから、家族構成とかいろいろ知りたがるのよ。皆、まるでアイドルか俳優さんみたいだって言って、黄色い声を上げてたわ。私、人生で初めてお兄ちゃんを他の人に自慢しちゃったかも。今度連れてこいってしつこく言われて、兄は東京に住んでますから~って何とか逃げた。いやぁ、女っていくつになっても殿方に関しては夢をみたいものなのねぇ・・・」
美優は他人事のようにそう言いながら、お茶を啜った。
別に俺としては、千春にさえモテてれば他の人にどう思われようと関係ないんだけど、さすがにそのこと今言うべきかどうか、迷ってしまった。
だってつまりそれは、いわゆる「家族にカミングアウトをする」ってことで。
それは世の中のゲイと呼ばれる人達がまず始めにぶつかる、大きな壁と言える訳で。
でも俺の場合、本当に俺が根っからのゲイなのか、そうじゃなくてたまたま千春が好きっていうだけなのか、正直よくわからなくて、なんて説明していいかわからなかった。
だって、セックスも千春としかしてないしさ。
ううん、どうなんだろ。
なんて説明するのがいいのか・・・。
「お兄ちゃん、なに難しそうな顔してんのよ。そんなに人妻に人気だったのが嫌だった? 結婚してないっていったらハルのクラスの担任してる先生しか心当たりがないけど、ちょっとあの先生、神経質なのよねぇ・・・。ああ、そんなことより。私、お兄ちゃんに訊きたい事があったのよね」
美優と話していると、どんどん話題が変わっていくから、こっちはついていくのが必死だ。
女性というのがそういうモノなのか、美優が特にそうなのかわからないけど、千春との会話ではそんなことはないので、美優と話すより千春と話していた方がリラックスできる。俺は今、そのことに初めて気がついた。
俺が「なんだよ」と訊くと、美優はこう返してきた。
「お隣のお兄さんのことよ。 ── 千春さんだっけ?」
思わず口に少し含んだお茶を吹き出すところだった。
さっきより一段とドキドキが高まる。
なんだよ、美優。お前、超能力でもあるのか?
それともまさか、お前もあのテレビ中継を見てたっていうんじゃぁないだろうな。
ひょっとして俺と千春が付き合っていること、もう知ってるってことは・・・。
俺は何かの感情と一緒にお茶を飲み込みつつ美優を見つめたものの、美優は部屋の中の様子に目を向けていたから、俺の焦り顔に気づかなかった。
「仲直りしたんでしょ? 千春さんと。こうして部屋の中が片付いてるってことはさ」
ふいにパッと美優が俺に目線を戻した。
「え?!」
俺が思わず身体をビクリとさせると、美優は少し顔を顰めた。
「あれ? 違うの? 部屋の中がキレイに整理整頓までされてるから、てっきりそうだと思ったんだけど。来てくれてるんでしょ? 千春さん」
「あ、ああ・・・」
「そうだと思った。この新しく買い足してる籠とかの収納グッズの使い方もおしゃれ。こんなの、お兄ちゃんには絶対に無理な芸当だもん。誰かがやってくれないとこうはならないはず。 ── でも、よかったわね。お正月会った時はゾンビみたいな顔してたからさ。大丈夫かしらってシゲちゃんと心配してたんだ」
「 ── ゾンビってお前・・・」
美優の言い草に俺が苦笑いすると、「マジな話をしてるのよ」と釘を刺された。
「お兄ちゃん極度の寂しがり屋じゃない。あんなに仲良くしてくれてた千春さんが引っ越ししたって聞いて、もうダメだ~ってアタシも思ってたんだけど、一先ず安心。食事も相変わらず作ってもらってるんでしょ? コンビニ食は身体に悪いから。 ── もうくれぐれもつまんない事でケンカしないでね。これまでのお兄ちゃんの友達の中で、あんなにスペック高い人いないから」
「あ~~~・・・、それなんだがな、美優。実は・・・」
俺がそう口を開きかけた時。
玄関のチャイムが鳴った。
「あ、多分、シゲちゃんだ」
美優が玄関を振り返る。
俺の膝から飛び降りた春俊が、「パパ~」と言いながら玄関まで走って行った。
春俊のその様子を見て心底驚いた俺は、その後なんかちょっとジーンときてしまった。
「・・・ハル、とうとうパパって、呼び始めたんだ」
「うん。そうなの。ハルが『シゲちゃん』って呼ぶのはもう卒業」
美優はそう言った後、今までに見せたことのないような幸せそうで同時に照れくさそうな笑顔を浮かべたのだった。
実はこれまで、美優と枝重くんが結婚してからも、春俊は二人が付き合っていた頃と同じように「シゲちゃん」と枝重くんのことを呼び続けていたんだ。むろん、今年の正月に枝重家に泊まりに行った時もそうだった。
俺と美優は同時に席を立ち、玄関に向かった。
玄関では、まだスーツ姿の枝重くんに、春俊がジャンプして抱きついているところだった。
枝重くんも、「おっと!」と声を出している。
「ちょっと、ハル! 降りて! もう、そのくっつき魔は完全に篠田の男の血ね」
「え?」
俺はぎょっとして美優を見る。
美優は「なんでそんな顔でアタシを見るの?」と言わんばかりの顔つきで、俺を見た。
「やだ、お兄ちゃん、自覚ないの? お兄ちゃんもそうでしょ」
「くっつき魔?」
「そうよ。ちっちゃな頃からそうじゃない! ちなみにお父さんもそうだった」
美優はそう言い切ると、「じゃ、もう行くね。ホテルのチェックインの時間があるから」と玄関先に置いてあった旅行カバンをガタガタとドアの外に出した。
「慌ただしくて、すみません」
枝重くんが申し訳なさそうに頭を掻く。
「いや、仕事終わりなのに大変だな。気をつけて。おい、ハル。お父さんをあんまり疲れさせるんじゃないぞ」
「は~い」
返事をする春俊の向こうから、美優がこう言ってくる。
「お兄ちゃんも、早くいい嫁、見つけなさいよ!」
「 ── いや、美優、だからさ・・・・」
俺が言う側から、美優は口を開く。
「いつまでも千春さんに頼ってばかりじゃダメだからね、じゃ!」
美優は自分の言いたい事だけ早口でまくしたてると、さっさとドアを閉めて行ったのだった。
・・・・・・。
我が妹ながら・・・。
何といっていいか・・・。
・・・・・・。
── おい、人の話を聞け。
最初のコメントを投稿しよう!