act.06

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act.06

<side-CHIHARU>  脱衣所には、今しがた風呂から上がった様子の中年グループが三人と、これから入ろうとしている初老の男性がいた。  思ったより混雑していない。  貸し切り風呂の方が人気なのかな。  僕が脱衣所の様子を観察している間に、シノさんはさっさと浴衣と下着を脱いで、特別室に備え付けてあった手ぬぐいを肩に掛け、そのまま堂々とした足取りで風呂場に向かう。   ── ちょっと! 手ぬぐい持ってるんだから、前ぐらい隠してくださいよ!  あまりに堂々と歩いたものだから、脱衣所にいた全員がシノさんの身体を露骨に見た。  ゲイじゃなくったって、シノさんのバランスの取れた筋肉質の身体は思わず見てしまうだろう。  しかも皆、シノさんの股間までしっかり見てるんだから、僕は悲鳴をあげそうになる。  そして気づけば皆の視線が僕に集まっていて、僕は益々脱ぎにくくなってしまった。  きっと若い男の身体を値踏みしたいんだろうと思う。  ノンケの人でも、男ってのはいくつになっても対抗意識があるものなのか、自分の身体と他人の身体を見比べたがる習性がある。  ゲイになると、そこにセクシャルな要素が絡んでくる訳だけど。  まさかこの宿に僕みたいなゲイの客がいるとは思えないが、それにしてもみんな、シノさんの身体、見過ぎでしょ(汗)。  僕は努めて素知らぬ振りをしながら、風呂場への入口になるだけ近い場所で浴衣を脱いで、さっさと風呂場に出た。  風呂場は中央奥に内風呂があって、その後ろのガラス張りの壁の向こうに茅葺き屋根つきの露天風呂が見えた。  内風呂に入っている人は一人もいなくて、五人くらいの客が全員露天風呂に入っていた。  僕はシノさんを探す。  いた。  内風呂の右手に並ぶ洗い場に座ってる。  シノさん、既に髪の毛がシャンプー塗れになってた。  凄い、段取り早い。  それなのに、なんでいつも長風呂なんだろ、この人。  僕がシノさんの隣に腰掛けると、僕に気がついたシノさんは目の前の数種類あるシャンプーの中のひとつを指差して、「これが一番香りがいい」と言った。  確かに、柑橘系の香りがいい感じだ。  僕がチラリとシノさんを見ると、シノさんは頭をゴシゴシ洗いながら鼻歌を歌っている。  超絶ご機嫌。  全然邪な雰囲気なし。  めちゃめちゃ健康的。  僕もそれに倣って黙々と髪の毛を洗った。  ふと気がつくと、シノさんが僕の背中を手ぬぐいでゴシゴシと擦り出す。 「シノさん!」  僕が驚いて振り返ると、きょとんとしたシノさんの顔が見えた。   その無垢な顔を見ていたら、この期に及んで艶っぽいこと考えているのは僕だけだと思って、やたら恥ずかしくなった。     僕は頭の泡ごと全身についてる石けんをシャワーでざっと流すと「シノさん、あっち向いて」と極めて淡白にそう言って、シノさんが僕にしたようにゴシゴシと背中を擦った。  なるだけ変に思われないように、モロ体育会系のノリで。  あぁ、でもシノさんのお尻、形がよくてカワイイんだよな・・・。  僕はブルブルと頭を振る。  ── 本当に、僕って最低。だから根っからのゲイの性分って嫌なんだ。      髪と身体を洗い終わった僕らは、軽く手ぬぐいを洗ってお風呂に浸かることにする。 「千春、露天風呂行く?」  シノさんが訊いてくる。  僕は、露天風呂の様子をチラリと見て、小さく首を横に振った。 「シノさん、僕の事気にしないで入ってきて。僕は少し内風呂に浸かってから行きます」  露天風呂には結構若い客が多くいて、またジロジロ見られるんだと思うと落ち着かなかった。  下手したら僕の素性を知ってるかもしれないし、もしそうだとしたら、彼らも気分が悪いだろう。  シノさんも僕と同じように露天風呂の様子に目をやり、また僕を見た。  シノさんは僕の濡れた胸元を見て何を思ったのか、「そうだな。もっと向こうのお客さんが少なくなってから、ゆっくり入りに行こう」と言って、内風呂の方に浸かった。  僕もシノさんの隣に座って、「ごめんね、気を使わせちゃって」と謝った。  シノさんは僕を横目で見て、「別に気を使ってなんかない。他の男に千春の裸を見られるのが嫌だなって思っただけ」と言った。  それを聞いて、僕は思わず顔が熱くなるのを感じた。  少なからず温泉に浸かっているせいもあるんだろうけど、シノさんにそんなこと言われると、猛烈にテレるよ。  ホント、シノさん、発想がまさにノンケの男の人って感じ。  完全に僕の事、『彼女に対する目線』で見てるよね。  でもそれを満更でもないって思っている僕がいて。  ホント冷や汗掻くよ。  もっと容姿が女の子っぽかった昔は、女の子扱いをされるとメチャメチャ腹が立って激しく反抗してたのに、シノさんからそういう扱いされても、嫌じゃないなんてさ。  これってトコトン僕がシノさんに溺れてるって証拠なんだろうか。  僕は顔を手でパタパタと扇ぎながら、少し涼むために一段高いところに腰掛け直した。丁度半身浴してる格好になる。 「あれ? もうのぼせた?」  シノさんがクリクリとした瞳で僕を見上げてくる。  温泉は長く浸かっていられるためにか温めの温度だったんで、シノさんも不思議に思ったんだろう。  まさか僕も、シノさんの言った事にテレちゃって、だなんて口が裂けても言えないから、「あ~、うん、大丈夫です」と適当に誤摩化した。  シノさんは終始ご機嫌で、外の風景が見えるガラスの壁の側までお湯につかったまま移動して行って、浴槽の縁に両腕を置いて外を眺め始めた。しばらく見ていると、その頭が左右に揺れて何だかリズムを取っている。  よく耳を澄ますと、ミスチルの『Sign』を歌っていた。  なんだか、シノさんの長風呂の理由がわかった気がする。  だって、サビのところ、途中から無限ループになってるもの(笑)。  でも結構シノさん歌が上手くてビックリした。  シノさんって不器用そうだから、歌が上手いってイメージなかったけど。  仕事とかの接待でカラオケとかも行くんだろうか。  はっきりいって僕は音痴という訳でもなかったけれど、カラオケとはほぼ無縁の生活をしてきたので、これまでのシノさんとの付き合いの中でも一緒にカラオケなんて行った事なかった。シノさんも、「カラオケ行こう」なんて言わないし。  でも今度、シノさんがマイク持って歌ってる姿を見るのもいいかも、なんて思ってしまった。 「シノさん、その曲好きなの?」  後ろから僕が声をかけると、シノさんは振り返って「え?」と訊き返してきた。 「ミスチルの『Sign』」  僕がそう言うと、シノさんは「ああ」と爽やかに笑った。 「そうだな、結構好きかも。でも一番好きなのは、『Gift』」 「へぇ」 「いつかのオリンピックでさ、どこかの局のテーマソングになってたじゃん。あれの総集編のVTRで凄く感動しちゃって。それから好きだね」  僕もそれは覚えていた。  普段はテレビあまり見ないけれど、スポーツものだけは見るから。  きっとあの映像見て、シノさん号泣したはずだ。  ああいう一生懸命頑張ってる人にシノさん凄く弱いし、現に今も思い出したのか目がちょっとうるってなってる。   ── ああ、本当にカワイイなぁ、この人。  そうこうしてたら、露天風呂に入っていた人達が一気に出た。  どうやら団体客だったらしい。 「千春、露天風呂行こう」  シノさんにそう言われ、露天風呂に移る。 「うわぁ、気持ちいい!」  露天風呂に浸かったシノさんは大きく背伸びした。  本当だね、凄く気持ちいい。  渓流から涼やかな風が吹いてきて、さらりと頬を撫でていく。  火照った顔が程よく冷めて、本当に心地よかった。 「千春、ここから川が見える」  シノさんが手招きするので隣に移動すると、木々の合間から美しい渓流のせせらぎが見えた。 「露天風呂って・・・いいものですね」  思わず僕の口からそう溢れた。  シノさんが目を見開いて僕を見る。 「え? 千春、露天風呂、もしかして初めて?」  僕が頷くと、「どうして?!」と大きな声でそう訊かれた。  金銭的に裕福な僕だから、きっといろんなところに行ってるんだろうってシノさん思ってたみたい。  僕が小さな頃からあまり旅行に行ったことがないことを話すと、「そっかぁ・・・」としみじみ彼は呟いた。  きっとシノさん、僕の子どもの頃を想像してるよね。  僕は両親からあまり興味を持ってもらえなかったから、彼らが二人で旅行に行くことはあっても、僕を交えて三人で家族旅行をしたことは一度もなかった。  僕の初めての旅は、一人で祖母のいる東京に名古屋から出てきた時だったし、祖母は足が悪かったから二人で旅行することもなかった。  次から次へとできた『恋人』達はいろんな場所への旅行に誘ってきたけれど、僕が承諾したのは精々都心のホテルに泊まることぐらいで。  その頃の僕は、はっきり言って旅行なんて面倒くさいものって思ってたから。  だからシノさんとこうして一泊っていう短い間でも旅行らしい旅行に出ることになって、ホント言うと僕はかなりテンションが上がっちゃったんだ。  好きな人と旅にでかけることがこんなに楽しいことだって、知らなかった。  だからシノさんから優しい声で、「これからいっぱい、いろんなトコに行こうな」って言ってもらって、僕はジンとしてしまった。  僕が小さく「うん」と頷くと、シノさんが柔らかく微笑んだ。  ああ、好きだよ、シノさん。  僕はシノさんがいないと生きていけない、本当に。  凄くキスがしたくなっちゃったけど、丁度後から他のお客さんが入ってきたし、こうして二人でのんびり何もせずにただ温泉に浸かって自然の景色を眺めているのもいいもんだなってしみじみ思えたから、このままでも僕は凄く幸せだった。  でも結局のところ。  僕は本気でのぼせそうになったので、先に風呂を出た。  備え付けのバスタオルで身体を拭いて、浴衣を身に着けた後、鏡の前のカウンター席に座って、しばらくぼうっとする。  カウンターの端には小さな冷蔵庫が置いてあって、中にはサービスの飲料水がポットに入っていた。備え付けのグラスでそれを飲む。どうやら天然水っぽくて凄く美味しい。やっと生き返ってきた(笑)。  鏡の中の僕は頬が真っ赤になってて、完全に茹で蛸って感じだった。  僕はパタパタとまた手で顔を扇ぎながら、手近にあったドライヤーを取り、冷風を顔に当てた。   ── ああ、気持ちいい。  僕が目を瞑って冷風を浴びてる間に、いつの間にかシノさんも上がってきたらしい。  僕の姿を見て、ハッハッハと高笑いした。 「大丈夫? 千春」  鏡に映るシノさんは、バスタオルで身体を拭きながらもまだ笑いながら鏡越しに僕を見ていた。 「大丈夫じゃないです」  僕がムスッとした顔で答えると、バスタオルを腰に巻いたままのシノさんが近づいてきて、冷たい水の入ったグラスを僕の項に当ててくれた。  自然、ハァと僕の口から溜息が溢れる。 「千春がこんなにのぼせやすいとは思わなかったよ。ごめん、ごめん。俺の長風呂に付き合わせて」 「大分マシになってきた。僕、髪の毛乾かすから、シノさん早く浴衣着たら?」 「ああ」  シノさんは隣で僕の項を冷やしていたグラスに水を継ぎ足すと、ゴクゴクとそれを一気に飲んだ。  そんな何気ない仕草までこの人は僕の目を惹きつけてしまう。  グラスを持つ指が、凄く美しいし。  鏡越し周囲に目をやると、今しがた入ってきたハリー・ポッター風の眼鏡をかけた若い子もシノさんの仕草をじっと見ていた。   ── なんだろ。なんかあの子、同族の臭いがする。  僕の嗅覚って結構鋭いから、ひょっとしたら彼、そうなのかもしれない。少なくとも、ゲイじゃないのならバイとか。彼女がいたとしても、潜在的に男が好きだとか。 「シノさん、早く浴衣着た方がいい。風邪引くよ」  僕はドライヤーで髪を乾かしながら、そう言った。  シノさんは本当に無防備だから、気をつけなきゃ。  現に問題の彼、シノさんが浴衣を着ている間もさり気なくシノさんを盗み見てた。  ヤダな、シノさん。こんなところで、潜在ゲイの目を覚まさせなくたっていいから。  浴衣の袖を豪快に腕まくりしたシノさんが、僕から手渡されたドライヤーでこれまた豪快に髪を乾かす。  まったく! シノさん、脇、甘過ぎだから。見えてるそれ、見えてる! 逞しい胸元まで!  いつまで経っても風呂場に行こうとしない問題の彼とシノさんの間に僕はさり気なく立つと、今度は露骨に、彼に目をやった。  彼は僕の視線にハッと正気に戻ったのか、そそくさと服を脱いで風呂場へと消えて行った。 「なんでそんなに怖い顔してるの?」  シノさんにそう声をかけられ、僕は「そんなことないですよ」と肩を竦めた。 「そう見えました?」  シノさんが頼りなさそうな顔つきをして「うん」と頷く。 「まだちょっとのぼせてるのかも。部屋に帰ったら、少し横になっていいですか?」  僕がそう言いながら微笑むと、シノさんもホッとした様子で顔を綻ばせた。 「そうだね。昼寝するには遅い時間かもしれないけど、ちょっと眠った方がいいかも。根を詰めて仕事をしたせいだ。きっと疲れてるんだよ。そうした方がいい」  シノさんに言ったのは嘘だったんだけど。  実際に部屋に帰ったら本当に疲れてたみたいで、布団に横になった僕は、本気で寝そうになった。  シノさんが寝入る僕の姿をすぐ側で見つめてるのがわかったんだけど、強烈な睡魔には勝てず。  キスもしないで僕は、そのまま眠ってしまったのだった。
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