act.09

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act.09

<side-CHIHARU>  結局、お風呂で一回、部屋に帰って二回して。  予定通り、僕らはヘトヘトになった訳で。  葵さんにバカップルって呼ばれても、言い訳ひとつできないという状況だったけれど、僕は幸せだった。  もちろん恋愛って、身体だけじゃなくて気持ちで愛し合うことが大切だと思うけど、その溢れ出る気持ちを身体で確かめ合うのも凄く大切だって思うんだ。  僕は若い頃からバカみたいにセックスだけはしてきたけど、気持ちをやりとりするセックスをするのはシノさんとが初めてで、そしてそれが過去のどのセックスよりいいんだってことを身をもって実感してしまった。  好きでもなんでもない人とのセックスなんて、ゴミ同然だ。  一度この心地よさを知ってしまうと、心底そう思える。  終わった後に、シノさんがゆるゆると身体を起こして、枕元に置いてあったタオルを手に取った。  二枚のうち一枚を、僕に手渡してくれる。   僕はそれでも横になったままで、逞しい胸元に光る汗をタオルで拭ってるシノさんを眺めた。  結局今日もシノさんに抱かれちゃった訳だけど。  2ラウンド目でシノさんの上にのってしてたら、やっぱりあの計画がムクムクと僕の中で復活してきて。  計画ってほら、『シノさん・夜だけ奥様作戦』。  シノさんと愛を育んでいくんなら、ゆくゆくは僕だってシノさんを抱きたい。  もちろん、シノさんに抱かれて不満が残ってる訳じゃ全くないんだけどさ。  これだけ愛してる人だからこそ、全ての快楽を分かち合いたいって思うじゃない。  僕だって男としての欲望は自然にあるんだし。  折角、男同士で付き合ってるんだからさ。   だから思わず言っちゃったんだ。 「ね、次する時は、僕がしていい?」  そう僕が言った瞬間。  シノさんは完全にフリーズしたのだった。   <side-SHINO>  「あ~~~・・・・」  俺は、起きてから何度目になるかわからない欠伸を、なんとか噛み殺した。  目の前では、さっぱりした顔つきの千春が、朝食の後のコーヒーを淡々と啜っている。  メチャメチャクールじゃないですか、チー様・・・。  すっきり熟睡の千春と、寝不足の俺。  これじゃ、完全にいつもと逆だ。  でも千春から昨夜言われたことが頭の中に張り付いて、あんまりよく眠れなかったんだ(汗)。   ── 次する時は、僕がしていい?  つまりはそれって、俺が千春に抱かれるってことだろ?  これまで俺が千春に一方的に突っ込んできてて、こんなこと思うのは酷いのかもしれないけど、もしそうなってしまったら、俺は自分がどうなるか全く想像できなかった。そしてそういうのが凄く怖いって感じることも初めて知った。  だって、千春よりあちこちが分厚い俺が、千春に抱かれるんだぜ?  それって、全く絵にならないんじゃぁ・・・。  俺に抱かれてる時の千春は本当にセクシーで、エロいけどでも凄く美しくて、感じている姿を眺めているだけで幸せな気分になる。  でも、俺がだよ? 俺が千春に組み敷かれてるのって、ゴツ過ぎてイケてないんじゃないか?  う~ん、考えれば考えるほど、その図が気持ち悪い。  千春が、じゃなくて、抱かれてる俺の姿が不気味。  そんな俺を「抱きたい」だなんて、千春、チャレンジャー過ぎるよ・・・。 「シノさん、大丈夫?」  千春が淡々とした表情のまま、訊いてくる。 「ん?」 「さっきから欠伸ばっかりしてる。目の下にもクマができてるし。ちゃんと眠れなかったの?」  まさか、千春に言われたことに動揺し過ぎて眠れなかったとは言えず。  俺はニヘッと笑って、「昨夜、頑張り過ぎちゃったかな」と誤摩化した。  途端に千春が周囲を見回す。 「ちょっと! こんなところでそんなこと言わないでくださいよ」  小さく声を潜めていたけど、完全にお怒りモードの声だった。 「す、すみません・・・」  「あの、申し訳ないけど、彼にコーヒーのお代わりくれますか? ブラックで」  千春が、ウェイトレスさんに声をかけた。  ウェイトレスさんは、笑顔で「はい」と答えて、直ぐにお代わりのコーヒーをカップに注いでくれる。 「今日は柿谷酒造に寄るんでしょ? でもそんなんじゃ危ないから、車の運転は僕がします。シノさんはナビをしてください」 「はい。わかりました」  ううう、これじゃどっちが年上か、わからないよ・・・。  失意のうちにコーヒーを啜っていたら、昨夜貸し切り風呂で出会った女の子が、俺達のテーブルに近づいてきた。 「昨夜はどうも」  俺が顔を上げると、彼女の手には油性のペンがしっかりと握られていた。  あー・・・。この子、千春のファンなんだな。    だから昨夜、千春に話しかけてたのか。 「サインいただけますか? これに・・・」  彼女はそう言って、白い革製のハンドバックを差し出した。  俺も千春も、ぎょっとする。   なんだ? レディーガガか?  芸能音痴の俺だって、レディーガガが高級バッグに日本語でサインして来日してたのはニュースで見たぞ。 「え? いいの。カバン、使えなくなるんじゃない?」 「いいんです! 形に残るものにきちんとサインがほしいので。友美さんへって書いてもらえますか」  千春はすっかり根負けして彼女からペンを受け取ると、達筆な字で『澤清順』とサインした。油性のペンでさらりと書いたけどまるで筆文字で書いたかのように美しい字だ。  千春がサインをしている間、友美ちゃんは手持ち無沙汰な様子で俺の方を見た。  バチッと視線が合う。  なんとなく二人で、どうもと愛想笑いをした。  なんだか友美ちゃん、俺を値踏みするように見てるみたい。  どうせ俺が千春と釣り合ってるかどうかチェックしてるんだろう。  わかってはいたけど、あまりいい気分はしない。  他の人がどう思おうとも、俺は千春と付き合ってるし、これからもずっと付き合っていたいし。  俺が何となく居心地悪くなって周囲に目をやると、随分遠くの方で友美ちゃんの彼氏がこちらを眺めていた。  なんだって、あんな位置なんだ?  昨日はもっと馴れ馴れしかったのに。  そうこうしてたら、千春がサインを書き終わって、「はい」とバッグを友美ちゃんに返した。 「わぁ、ありがとうございます! 家宝にします、絶対」  友美ちゃんはバッグを抱き締めながら、小走りに喫茶ルームを出て行った。  気づくと、そこにいた周囲の視線の質が変わっていた。  そこにはいろんな客層の人達がいて、彼らは千春が何者かわかっていないようだったが、千春が女の子にサインを強請られるような存在だということはわかったみたいで。  ジロジロ見てくる人もいたし、酷いのになると携帯を取り出して写真を撮ろうとするおばさんとかも出始めて、俺はゴホンと咳払いをした。  その時だ。女将が声をかけてきてくれたのは。 「よろしければ、外のお席でコーヒー、いかがですか? 新しいのをお煎れしますから」 「え?」  二人で同時に女将を見ると、女将はニコニコと笑いながら、「ここを出た先の川沿いに、ひとつだけお席があるんですよ。ちょっと肌寒いかもしれませんけど、野鳥の鳴き声も聞こえて、きっと気持ちがいいですよ」と言ってくれた。  お言葉に甘えて外に出ると、案内された場所は喫茶コーナーから随分離れていて、客室のある本館からも見えない木々に囲まれた場所にひっそりとある席だった。 「いつもはこの場所、使ってないんですけれど。もしここでよろしければ、ごゆっくりなさってくださいね」  女将の配慮だった。  ここなら、他の人の不躾な視線を受けることもない。 「ありがとうございます」  千春が頭を下げると、「いいえぇ、こちらの方こそ、気が利かなくて。こんなことなら、朝食もお部屋で召し上がっていただければよかったですわ」と女将は言った。 「いや、これで充分ですよ。ホント、ありがとうございます」  俺がそう言うと、女将は「すぐにコーヒーをお持ちしますね」と言って母屋に入って行った。  俺達は顔を見合わせると、軽く息を吐いて、微笑みあったのだった。 <side-CHIHARU>  フロントで精算をしていると、女将さんと部屋を担当してくれた仲居さんがわざわざ見送りにきてくれた。 「本当にお騒がせしてしまって。お世話になりました」  シノさんがカードの支払い明細にサインをしている間、僕が二人に声をかけると、「これに懲りず、またぜひお越しください。今度は一泊と言わず、二泊、三泊と」と言われた。 「ええ、ぜひ。チャンスがあれば」  僕は自然と微笑みを浮かべていた。  言われた内容は単なる金儲けといったような内容にも聞こえるものだったが、そんな風では全然なくて。  まるで親戚のおばさんが別れを惜しんで言ってくれているような声の色だったから。  本当に、旅行っていいものだ。  特にシノさんと知り合ってから、シノさんが連れて行ってくれるところは全部、僕の気持ちを癒してくれる。  月島の居酒屋さんもそうだし、シノさん行きつけの古い本屋や小さな映画館もそうだった。  きっとシノさんのポジティブで美しいオーラが、僕を守ってくれてるんだよね。 「行こうか」  シノさんにそう言われ、僕は再度旅館の人達に頭を下げた。  皆、車のバックミラーから姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。  昨今の旅館はどこもそうなのかもしれないけど。でも僕は実際にそういったことをされたことがなくて、ちょっと感動していると・・・。 「千春、いい顔してるね」  ふいにシノさんがそう言った。 「え?」  僕がハンドルを切りながらチラリとシノさんを見ると、シノさんは再度「いい顔してる」と言った。 「 ── どういう意味?」  僕が訊き返すと、シノさんは「言った通りの意味。あ、そこ、左」と言った。  その後は入り組んだ道をナビってもらうので手がいっぱいになって、その会話はそこで終わった。
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