act.01

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act.01

<side-SHINO>  俺は布団から身体を起こすと、汗で濡れた身体を枕元に置いてあったタオルで拭いて、脱ぎ捨てていた浴衣と帯を手で引き寄せた。  そんな裸の背中を、辿る指。  俺が後ろを振り返ると、汗に髪を湿らせた千春が裸で横たわったまま俺を見上げていた。  蕩けそうな微笑みを浮かべた後、千春は最高にカワイイ上目遣いの瞳で俺を見て言った。 「ね、次する時は、僕がしていい?」   ── ・・・。  ええと、それって、俺が千春に抱かれるって、ことですか?   ── ・・・・・・・・・・・。  俺の思考は、そこで停止した。  話は、あの夜に戻る。  そう、俺と千春が正式に付き合うことが決まった夜。  正確には、その翌日のことなんだけど。  深夜遅くに風呂に入る状況になって、千春の指摘通り風呂場で寝そうになった俺は、危うく湯船で溺れるところだった。  まぁ実際それはどうでもいい話で、翌日の土曜日は、千春の号令で部屋を掃除することになった。  千春がいなくなってから暫くの間は、自分なりに部屋の片付けも何とか頑張っていたけど、千春がいない寂しさが募るにつれてもう本当にもうどうでもよくなって、前みたいな酷い有様に戻っていたんだ。 「シノさん、これ、全部洗濯機行きね」 「はい」 「シノさん、これ、捨てちゃっていい?」 「ああ、いいよ」 「シノさん、これ、まだ着てるの?」 「うん、一応」 「ダメ。これは、今のシノさんには似合わないから、リサイクル店行き」 「わかりました・・・」  千春はいわゆる“お金持ちの御曹司”と言っても過言ではない家の出だったが、意外に庶民の金銭感覚を持ち合わせていた。  でないと“リサイクル店”なんて言葉出てこないよな、普通。  ホント、しっかりしてるよ、経済観念。  そうこうしてたら、千春がダイニングテーブルの上に置いてあったミッキーマウスのクッキー缶を見つけた。 「あれ? こんなの前ありました?」  男の一人暮らしには不釣り合いなそれは、確かによく目立っていて。  元々は正月妹の家に招かれた時に、ディズニーランドのお土産として貰っていたクッキー缶だった。 「開けていいよ」  俺がそう言うと、千春が蓋を取った。 「あれ、シノさん。お金が入ってる。五万円も。タンス貯金?」  俺は、その言い草にすっかり呆れて、腕組みをした。 「それ、千春に払うローンだろ。服代」  俺にそう言われて、千春は「あぁ」と声を上げた。  五万円。  思えば、それだけ溜まるほど、俺は千春に会えてなかった訳だ。 「それ、返すよ。持って帰って」  千春は小首を傾げて缶の中を見つめていたが、ふと顔を上げてこう言った。 「シノさん、これを元手にして、行かない? 温泉。昨夜、行こうって、シノさん言ってたじゃない」 「いいの?」 「もちろん。これ、僕のお金っていうんなら、好きに使っていいでしょ」 「ああ、まぁ、そうだけど」 「シノさんが温泉宿を選んでください。僕、詳しくないから」 「わかった。行こう、温泉」  俺がそう言うと、千春は微笑みを浮かべて、うんと頷いた。  ああ、カワイイ。  そんな少年っぽい千春の笑顔を見てると、本当にホッとするし、幸せな気分になる。俺が知ってる千春が傍にいてくれてるって一番実感できるんだ。 「そうだシノさん、いっそのこと今日から明日にかけて、寝室をこの和室に移したらどうです? 男二人だったら、いろいろ移動させるのも簡単だし。ベッドとテレビラックだけこっちに移してきて、パソコン関連と本棚は今のままで置いておいてさ。そうしたら、妹さんが帰ってきても、今の寝室で眠れるでしょ」  千春が、チラシの裏にサラサラと模様替えの図を書く。 「こうしたら、寝室の風通しもよくなるし、日の光が入ってくるから、身体にも凄くいいと思う」  俺は千春の手元を覗き込んだ。 「おお、いいね。そうしよう」  千春が、ベッドと書いてある四角の上をペン先でコンコンとノックする。 「僕としては、できればベッドもこの際広いヤツに買い替えてほしいところですけど。 ── 僕がお金を出すっていうのは・・・」 「それは嫌」 「ですよね・・・。言うと思った」  千春は溜息をついて、「そういうところ、シノさんきっちりしてるからなぁ」と呟きながら、寝室に歩いて行く。  頭を垂れて、まるで先生に叱られた子どもみたいな後ろ姿で歩いて行く千春を見て、俺はフフフと微笑んだ。  そりゃ、千春のお金に頼るのは簡単だけどさ。  そういうの、嫌なんだ。  男としての変なプライドかって思われたかもしれないけど、やっぱり俺は、自分で使うものは自分でちゃんと買わないといけないと思うんだ。身の丈にあった生活をした方がいいって思うし、親が死んで自分で働き出してからずっとそうしてきた。だから、このスタイルは変えたくないんだ。  俺が和室の窓を開けてから後、寝室に向かうと、千春が一足先に寝室を片付けていた。 「シノさん、これ」  寝室に入ったなり、入口に背中を向けて座る千春にそう声をかけられる。 「ん? 何?」  俺は千春を後ろから覗き込むように見ると、千春が振り返り越し、手にしているものを俺の目の前に翳した。 「シノさん、清純派が好みだったんですね」  千春が持っていたのは、俺愛用のAVディスクだった。 「わ~~~~~~~!!!」  俺は咄嗟に取り上げようとしたが、千春にすいっと避けられてしまう。 「ちょっ! 返して!」  俺がなおも飛びつこうとすると、手のひらを前に突き出された。  思わず俺は、身体の動きを止める。  だって、千春の手のひら越しに見える目は、いやぁな感じに細められていたからだ。  これって、もしやのブラック・チー様降臨ですか? 「これ、僕がいるから、もういりませんよね?」 「え・・・」 「いりませんよね?」 「えっと・・・」 「捨てていいですよ、ね???」  メチャメチャ「ね」を強調された(汗)。 「は、はい」  俺が頷くと、千春はそれをポイッとゴミ袋に投げ込んだ。  うわぁ、怖ぇえ・・・。  俺がすごすごと片付けに入ろうとしたところを、Tシャツの襟首を摘まれ、引き戻される。 「まだ、あるでしょ」  俺は、無言でジッと千春を見つめる。 「出して」  千春が、まるでシッペをする準備をするように二本指にハァと息を吹きかけるのを見て、俺は直ちに押し入れからAVディスクを数本取り出した。 「おや、あまり数は持っていないんですね」  とか言いながら、千春はそれもポイポイッとゴミ袋に捨ててしまった。   ── ああ、DVDのお姉さん達、長らくお世話になりました・・・。   俺は、そのゴミ袋の口がしっかりと閉じられるのを見届けながら、心の中で敬礼をしていると、千春に頬をムニュっと摘まれた。 「そんな顔しないでください。そんなに未練あるんですか? それとも、僕じゃ役不足? シノさんを満足させてあげられない?」  俺は千春を見た。  千春は、不安げな子どものような表情をして、俺を上目遣いで見ている。   ── ああ、ごめんよ、千春。そういうことじゃないんだよ。  俺は千春を抱き締める。 「そんな訳ないじゃないか。だたちょっと、長くお世話になったんで、お別れしてただけだって」  頭をポンポンとすると、俺の肩口で千春がプッと吹き出す。  やがて盛大に笑い始めた。 「なんだよ!」 「あ~、シノさん、すぐ引っかかるから、カワイイ。シノさんの夜の生活は、何があっても僕が絶対に保証しますんで、任せてください」  もう、いつもの自信たっぷりな千春だった。  おい!  いろいろ表情を使い分けて、俺をからかうなよ!!!  その日の晩は、千春がまたご飯を作ってくれると言ってくれた。  本当に久しぶりに千春の料理が食べられるとあって、テンションが上がる。  でも冷蔵庫を開けられて、そこにほとんどまともな食材が入っていないことをチェックされると、「一体、どういう食生活を送っていたんですか!!」とまたも俺はお叱りを受けてしまった(汗)。  なにせ俺は大根おろしもまともにできない男だから、当然自炊とは無縁な生活を送っていた訳で、それについてはホントどうしようもなかったんだ。 「今日から僕、仕事場からここに通おうかな。夕食作りに。六本木から電車一本で来られるし」 「仕事場って、六本木にあるの?」 「ええ」 「夕方ここに通ってくるの、大変じゃないの?」 「シノさんが仕事終わりに仕事場に寄ってくれる手間よりはマシですよ。僕の方は比較的時間が自由に使えますし。それに、食材の買い出しは月島の商店街の方がよかったりするんですよね・・・」  食材なんてどこで買っても同じかと思っていたので、俺は心底「へ~」と思ったが、その後千春と商店街に買い出しに出た時に、その意味がわかった。 「お兄さん~~~、待ってたよ~~~~!」  いきなり肉屋のおじさんに千春は縋り付かれていた。 「どうしたのぉ~、いきなり来なくなっちゃったからさぁ!!」  おじさん、俺のことは全く眼中にないみたいで、ひたすら千春の手を握って、半分泣きが入った状態で切々と訴えていた。 「そう思ってるの、うちだけじゃないよぉ。この商店街みぃんなが思ってたから~。お兄さん来なくなって、客足も露骨に減っちゃってさぁ」  おじさん、気持ちはわかるが、千春の手、握り過ぎ。  俺がなんとなく不機嫌そうな顔をしていたのが伝わったのか、千春はさり気なく手を外し、苦笑いを浮かべた。 「実は、引っ越ししちゃったんですよね。それで、足が遠のいてたというか。すみません」 「えぇ? 引っ越し?! ダメダメダメ。そんなのダメだよぉ。また帰ってきてよぉ。サービスするから!」  千春、いつの間にこんなに地元に馴染んてたんだ(汗)。  古いにおいを残す商店街と、ルックス的にとても洗練された千春との組み合わせがなんだか面白くて、俺は思わずジッと観察してしまった。 「で、今日は何が欲しいの? 何でも言って」 「シノさん、何食べたいですか?」  千春が俺を見る。 「俺? う~んと・・・」 「あれ? 何、お兄さんの友達かい? こりゃまぁ、イケメン二人が友達かい? 類は友を呼ぶもんだねぇ」  おじさんは初めて俺の存在に気づいたという風に、オーバーに驚いてみせた。「二人とも背が高くてカッコいいねぇ!」だなんて現金な声を出した。  おじさん、それ、本気でそう思ってる?  おじさんのそんな軽いあしらいも、千春が「彼はまだ月島に住んでるので、時々遊びに来るんですよ」と言った途端、態度がガラリと変わった。 「ええ?!」  おじさんは、目をひんむいて、今度は俺に縋ってくる。 「お兄さん! あんたは絶対に引っ越ししないで!!」 「はいはい、そこまでそこまで」  千春がおじさんと俺の間に割って入ってくる。  なるほど、そうやって侵入者を阻めばいいんだな。  結局、今日の献立は俺の大好物であるハンバーグということになっていろいろな食材を買って歩いたが、俺達が寄ったどの店でも反応は肉屋と全く同じで、俺は心底感心させられた。  だって、それだけ千春は俺のためにこの商店街に通って、あの美味しいご飯を作ってくれてた訳だろ。  帰り道、二人並んで歩きながら、俺はボソリと千春に言った。 「ありがとな、美味しいご飯、作ってくれて」  千春が大きな目を瞬かせた後、ふっと微笑む。 「どういたしまして」  ああ、とってもキレイな笑顔だ。  ノロケにしか聞こえないだろうけど、夕日に照らされた千春の笑顔は、本当に美しかったんだ。 「片方持つよ」  俺は、手を差し出した。 「え?」  千春が小首を傾げる。 「買い物かご。重いだろ。片方持つよ」  俺の冷蔵庫にまともな食材をストックすべく、かなりたくさん買い物をしたので、千春の右手にある竹製の買い物かごは、ギュウギュウに中身が詰まっていた。 「いいですよ。女の子じゃあるまいし。それに、男同士でひとつのかご持ってるだなんて、シノさん、変に見られますよ」  千春が苦々しい笑顔を浮かべながら、顔を顰めて言う。  でも俺は片方持ちたかったんだ。  近所の誰にどう見られようと、そんなこと関係なかった。  ただ純粋に、千春の持っている荷物を半分持ちたかった。 「持ちたいんだ」  俺はそう言うと、かごの柄の片方を手に取った。  さすがの千春も抵抗することなく、しばらくは無言で肩を並べて歩いた。  こうやってかごの柄の片方ずつを持って歩いてると、まるで手を繋いでるみたいだよな。  俺がそれを千春に言おうとして目をやると、千春も丁度そう思っていたみたいで。  千春は俯いて唇を噛み締めていたが、その頬は夕焼け以上に赤くなってた。  俺はなんだかそんな千春がおかしいやら可愛らしいやらで、「ハハハ」と思わず高笑いする。  千春が頬を赤らめたまま「なんですか?」と横目で睨みつけてきたので、俺は「別に」と答えた。 「別にじゃわかりませんよ」  千春はそう言って口を尖らせたが、照れまくってるせいか、いつものブラック・チハルほどの迫力はなく。  だから俺はその質問に答えなかった。  たまには、仕返ししなくちゃな(笑)。     その晩の手作りチーズのせハンバーグは、最高に美味しかった。  ハンバーグにかけられてるソースも、本格的なものじゃなくてケチャップとソースに焼き汁を混ぜた庶民的なもので、俺の大好きな味だった。  そんな俺を千春は「お子様舌」とからかったが、そんなことを言いながらも率先して俺好みの味付けをしてくれる千春に、じんわりきてしまう。   ── ああ、千春。君は本当にできた嫁だ。いや、こういう場合、「婿」になるのかな?   あれ? どっちなんだろ。
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