act.05

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act.05

<side-SHINO>  都心を抜けると車の流れは一気によくなった。  連休中だったけれど平日の連休中日ということもあって、道路はそんなに込み合っていなかった。  当初の予定では、休日中は千春の仕事場にホームステイすることになっていたのだが、俺が無理矢理休日の中日に旅行の予定をねじ込んでしまったので、結局千春は4月の休日をずっと仕事付けで過ごすことになってしまった。  なんでも、新しく出版されるコラム集の校正作業を前倒ししたそうで、出版社スタッフ達と会社でほぼ缶詰状態だったらしい。  俺と旅行に行くために千春や出版社の人達が無理をしてくれたんだと思うと、本当に申し訳ない気分になったが、今朝俺を迎えに来てくれた千春は意外にさっぱりした顔で、「慣れてますから。僕もスタッフの人達も」と言ってくれた。  千春やスタッフの人達には悪いなぁと思ったけれど、そんなに無理をしてまで俺と旅行に行きたいって千春が思ってくれてるんだと思うと、ちょっと嬉しい。 ── 俺って、ちょっと悪人かも(汗)。  俺はそんなことを思いながらも、仕事開けで疲れているはずなのにそんな疲れも見せず、スムーズに車を走らせる千春の横顔を見つめた。  途中、腹が減ってきたんで、サービスエリアで休憩を取る事にする。  真っ赤なアルファロメオを駐車場に停めて外に出ると、近くに停まっていた観光バスから降りてきていたおば様方の視線が、一気に千春に集まった。  俺がぎょっとして千春を振り返ると、丁度千春がサングラスを外しているところで、そんな何気ない仕草もカッコよ過ぎて無駄に人の視線を集めちまうんだって実感した。  ちょっとちょっとちょっと! 千春は俺のものなんで、そんなにガン見するのやめてください!!  俺は、さり気なくおば様方の視線を俺の身体で阻みながら、お店に向かう。  俺がさっさと移動を始めたので、千春は少し小走りになってついてきた。 「 ── あれ? シノさん、どうしたの? なんか機嫌悪い?」  千春が不安そうな顔つきをして、俺の顔を下から覗き込んでくる。  俺は、おばさん達の視線にすら嫉妬してしまった自分が恥ずかしくて、「別に」と答える。  千春は俺のジャケットの裾を少し指で引っ張って、「絶対、機嫌悪い。僕、何かしましたか?」と再度訊いてくる。  ああ、もうそんなにカワイイ顔して俺を見るな。 「千春のせいなんかじゃないよ。腹が減り過ぎて力が出ないだけ」  千春が眉を八の字にしてハハハと笑い、俺を指差す。 「何それ、アンパンマン?」  俺は立ち止まった。 「アンパンマンは、頭が濡れた時に力が出なくなるの」  春俊と一緒に散々見てきたから、アニメ関係の知識は、多分俺の方が千春より知ってる・・・と思う。  千春は笑い顔のまま、「そんな、ムキにならないでくださいよ。もう、子どもだな」と俺の背中を軽く叩く。  俺は口を尖らせると、また歩き始めた。 「ああ、シノさん、待って」  後ろから聞こえてくる千春の声は、まだ笑ってて。   ── どうせ俺は子どもだよ。30過ぎなのに、ちょっとしたことでヤキモチ焼いちゃう肝っ玉の小さい男なんだ。  千春って普段は凄く冷静だし表情もあまり変えないけど、一旦笑い始めると笑い袋みたいにとまらなくなる。多分そんなこと知ってるの、俺だけだと思うけど。だって大抵、俺がその笑いのネタの根源だからさ。でも、涙流すほど笑うのって、酷くない?  店の中に入っても相変わらず千春は目立ってて、なんか庶民の中に高貴な王子様が紛れ込んでるって感じがして、本当に奇妙な光景に見えた。  出張の多い俺なんかはいたって日常的風景って感じで食券買っても別に違和感なんか感じないけど、千春が食券買ってる姿を横目で見ると、違和感ありまくりだった。  千春の後ろに並んでるオネェさんなんか、完璧に口、開けっぱなしだもんな(汗)。 「シノさん、なんにしたの?」 「ん? ラーメンセット。こってりのヤツ」 「あ、じゃ、僕は醤油にしよ」  千春は終始テンションが高めだった。  一見すると普段とあまり変わらないようにも見えるけど、俺にはわかる。  千春から出てくるオーラが明るい。かなり。  きっと楽しんでくれてるんだと思う。  ラーメンができ上がってカウンターに取りに行く時も、俺のしてる事を熱心に観察して、俺のする事を真似してる様が可愛くて、俺はちょっと笑ってしまった。でも千春は、自分の事で手がいっぱいって感じで、俺がそれを見て笑ってるとは気づかなかった。   「僕、こういうところで食べるの初めてです」  うん。それは言わなくても、見てたらわかるよ。  普段あまり見られない千春の様子を微笑ましく思いながら二人で向かい合ってラーメンを食べた後、軽くお土産物コーナーを覗いて、店を出た。  車へ戻る途中にソフトクリームのお店が目について、ひとつ買う。  二、三歩先に行ってた千春が、俺を振り返った。 「ソフトクリーム」  俺が受け取ったばかりのソフトクリームを千春の口の前に差し出す。  千春は少し目を見開いて、周囲を見回した。  人目が気になるらしい。 「早く。とけちまう」  俺が急かすと、千春はまだ周囲を気にしながら、一口、ソフトクリームの先端を食べた。  どうやら美味かったらしい。  千春はおっ!という風に目を更に大きく見開くと、うんうんと頷いて、ソフトクリームを指差した。 「 ── おいしいです。さっぱりしてる」 「だろ。俺、サービスエリアのソフトクリーム、好きなんだ」  俺が千春の食べたあとをガバッと食べると、「あ、ちょっとズルい」と千春が言って、結局ソフトクリームは、千春に奪われてしまった。 「あ~、もう少し食べたい・・・」  俺が千春を追いかけると、そのまま車に乗り込んだ千春が、車の中で「はい」とソフトクリームを差し出した。 「もうコーンだけになってるじゃん・・・」 「いらないの?」 「あ、いるいる。食べます」  ガジッとコーンを齧ると、「シノさん、一口がいちいちダイナミック過ぎるの」とつっこまれた。   ── すみません。以後、気をつけます。  俺は、口をモゴモゴとさせながら、車のエンジンをかけたのだった。 <side-CHIHARU>  途中のサービスエリアでシノさんに運転をバトンタッチしたので、僕らは迷う事なく目的の温泉宿に着いた。  ここら辺は柿谷酒造に向かう途中の馴染みがある道らしく、宿までは少し入り組んだわかりにくい道だったけれど、シノさんはナビを見ることもなく運転した。  僕は、シノさんが運転してる時の横顔を見るのが好きだ。  凄く男っぽくてカッコいいし、僕とシノさんの関係において、シノさんが僕をリードしてるって感じがして、僕がシノさんのものなんだって気分になる。なんというか・・・「妻」になったって感じ?  男の僕がそんな風に感じて喜んでいるのはどうかとも思うし、僕が女の人になりたいっていう願望は全然ないんだけど、僕が「シノさんのもの化」してるっていうのが重要な訳で。  でも、受け身ばっかりじゃダメなんだよね。  僕の脳裏に葵さんの顔が浮かんで、僕は内心苦笑いした。  まるで耳元で「今夜こそ頑張るのよ!」って言われたみたいな気がして。  わかってるよ、葵さん。『シノさん・夜だけ奥様作戦』、忘れてるって訳じゃないんだ。  これまで、ただの一度も熱心に仕事なんてしてきたことのない僕なのに、シノさんとの旅行の日程を空けるため、先日僕は初めて、”本気で必死に”仕事をした。  いつもなら、のんべんだらりと一週間ぐらいかけてやっていた仕事を、2日で何とか終わらせた。人間、頑張ればこんなにも生産性があげられるものなんだって事を、僕は今更ながらに学んだ気がした。  そんな僕に付き合わされた流潮社の人達も、本当はかなりハードだったんだろうけど、僕が初めてみせた「やる気」に快く付き合ってくれた。むろん二日目の朝が明ける頃には、皆目の下は真っ黒になっていたけれど。  僕はというと、以前夜通し遊ぶことに慣れていたせいか徹夜仕事は苦痛にならず、むしろきつい仕事を一気にやりきった充実感を経験して、かえって清々しい気分だった。  そんな僕を見て、岡崎さんは「ホント、恋って人をこんなにも成長させるのねぇ・・・」とぼやいた。  徹夜仕事は肌に悪いからやらないと公言していた岡崎さんだけにきっと不本意だったんだろうけど、校正作業が完成した原稿を手にした岡崎さんは、満更でもないって顔つきで僕を見送ってくれた。 「徹夜明けなんだから、気をつけて行くのよ。頑張りの原動力にもなった彼氏にもよろしく」、だって。  ホント、最近の岡崎さん、完全に「母化」してるよね。でもそんなこと言うと、まだ未婚の岡崎さんが烈火の如く怒り出すのは目に見えてるから、僕はあえてこのことは言わないでおこうと思う。     僕らは、予定時刻ぴったりに宿に着いた。  今夜泊まる温泉宿は、想像していたよりもずっと洗練された建物だった。  基本は日本建築だったけど、昔ながらの無骨なものではなくて、いろんなところに華奢な格子状のデザインが施されたモダンな建物だ。  フロントがある母屋は平屋で、奥にある宿泊棟は二階建て。渓谷に添って山の風景と解け合って建物が配置されているようで、全体像は入口から見られなかった。ひょっとしたら奥の方まで広がっていて、敷地は案外広いのかもしれない。  車が駐車場に入ると、旅館の人が直ぐに出てきて、出迎えてくれた。 「ようこそ、お越しくださいました」  訛りが色濃い言葉の発音を聞くと、「ああ、旅行に来たんだな」って思う。  こう見えて僕はこれまで旅行なんて全然興味なかったから、シノさんほど旅慣れていないんだ。  旅館の人がシノさんのスーツケースを持って中に入って行ってしまったので、シノさんはさっさと僕の革製のスーツケースを持って、宿の中に入って行く。  そういう仕草を見てると、シノさんってホント男っぽいなって思う。  結局持つものがなくなってしまった僕は、手持ち無沙汰な感じでシノさんの後を追った。 「柿谷さんから承っておりますよ」  僕が建物の中に入ると、四十代後半のスッとした立ち姿の女将さんが、丁度シノさんを出迎えているところだった。 「無理言って部屋を空けてもらって、すみませんでした」  シノさんが頭を下げると、女将さんは「いいえぇ、こちらの方が助かったんですよ。中途半端にキャンセルが入ってしまって、そこを埋めていただいたから。逆に特別室一泊しか空いてなくて申し訳ありません」とシノさんと同じように頭を下げた。  そして頭を上げ際、女将さんが僕に気づく。 「お連れ様ですか?」  そう言われて僕は急に恥ずかしくなり、なんと言っていいかわからなくなって言い淀んでいると、シノさんが代わりに「はい。そうです」とごく普通に答えた。  ホント、シノさん、こういうの全然平気というか。怖い物知らずというか。  これほど山奥なら、僕が何をしてる人間かだとか僕の性的指向がどんなだとか知ってる人ってさほどいないとは思うけど、若い男が二人連れで温泉旅行だなんて、絶対変に思ってるよね・・・。  しかしそこはさすがにプロというか。  女将さんは嫌な顔ひとつ見せることなく、「恐れ入りますが、お二人様のお名前を頂戴してもよろしいですか?」と女将さん自らがカウンターの中に入って、宿帳を差し出しながら、宿の説明をしてくれた。  僕はシノさんの名前の下に成澤千春と書き込んで、シノさんと女将さんが話しているのをずっと黙って見ていた。  僕らの部屋についてくれた仲居さんは僕と同い年くらいの若い女性で、僕はまたちょっと緊張してしまう。  彼女の目線は別に僕らを変な目で見ている感じはなかったけど、内心ではどう思われてるか、正直僕は落ち着かなかった。  でも堂々としているシノさんを見たら、そんなこと考えてる僕の方がおかしいのかなって思えてきて。  ああ、本当に僕って人間は、性根が捻くれてるんだ。  案内された部屋は、特別室と言われるだけあって、宿泊室のある本館から離れた渡り廊下の先にある別棟にあった。  山の斜面を上手く使って建っていたので、二階の渡り廊下から辿り着いたんだけど、着いた別棟は平屋建てだった。  別棟の周囲には青々とした竹林と広葉樹林が広がっていて、気持ちのよい風が渓谷からそよいでくる。  野鳥の美しい鳴き声が意外に近くから聞こえ、思わず僕は周囲の林に目を凝らした。 「 ── 千春?」  渡り廊下の端っこで不意に足を止めた僕を訝しく思ったのか、シノさんが部屋の入口の前で僕を振り返る。 「きれいな鳥がいる」  僕が指差すと、シノさんと仲居さんも戻ってきて、林に目をやった。 「あ、本当だ」 「あれはオオルリですよ。多分雄だと思いますけど、まだ子どもですね。大人になると、もっときれいな青い羽になるんですよ。栃木県の県鳥なんです」 「ケンチョウ?」  シノさんが明らかに誤解しているような表情を浮かべつつそう言うと、仲居さんはそれを察したのか、微笑みながら「県の鳥です。役場ではないです」と答えた。  ハハハと三人で笑って、部屋の中に入った。  部屋に入ると、大きな窓が渓谷側に開いて、美しい広葉樹林の林とその先に川の流れが見えた。 「わぁ、凄い」  シノさんが早速反応して、窓を開け、外を眺める。 「桜の時期は終わってしまいましたけれど、気候としては一番過ごしやすい時期ですよ。新緑がきれいで」  仲居さんがお茶を煎れてくれながら、そう言う。  僕もシノさんと並んで外を眺めながら、確かにそうだと思った。  本当に風が心地いい。 「お風呂はお部屋にもついていますけれど、ぜひ貸し切りのお風呂や露天になっている大浴場をご利用なさってください。大浴場は、夜の二時までご利用いただけます。貸し切りのお風呂は夜の十二時までですが、ご利用の際はこの電話の一番を押していただいたらフロントに繋がりますので、そこでご予約をしていただいて、鍵をフロントまで取りにお越しください。予約時間さえ開いていれば、何度でもいろいろなお風呂に入っていただけますよ。翌朝のお食事は、フロント正面の喫茶ルームで七時から九時半の間にお召し上がりいただけます。夜のお食事は、このお部屋にお出ししますので。お時間は何時頃がよろしいですか?」  僕とシノさんが顔を見合わせる。 「今何時?」  シノさんが訊いてくる。僕は腕時計を見て、「三時半」と答えると、シノさんが「まずはひとっ風呂浴びたいよな」と言ってきた。 「そうですね」  僕がそう答えると、シノさんはいきなり「じゃ、貸し切り風呂入りに行く?」と言った。  僕はそれを聞いて頬がカッとなるのを感じた。   ── ちょっと! いきなり何、言い出すんですか?! 着いた早々、男二人で貸し切り風呂に籠るなんて、絶対に変に思われるじゃないですか!! 「ちょっ、一緒に入れる訳ないじゃないですか」  僕が目くじら立ててそう言うと、シノさんは呑気に「え? 何で?」なんて言ってる。仲居さんも、「貸し切り風呂といってもそんなに狭くないので、男性お二人でも大丈夫ですよ」と言った。   ── ええ? 変に意識してる僕の方がおかしいの?!  でも、いきなり二人きりでお風呂入るのなんて恥ずかし過ぎる。  無理。絶対無理。 「一緒に貸し切り風呂なんて僕は嫌です。ひとりで入ってきてください。僕は大浴場に行きますから」  僕がそう言うと、「ええ! そんなに言うなら、俺も大浴場に行くよ」とシノさんが口を尖らせた。仲居さんがさもおかしそうに笑う。 「貸し切りのお風呂もいいお風呂なので、気が変わったら、いつでもご予約してください。では、お食事はお風呂に入ってから少し経っての頃合いがよろしいですね」 「はい。七時くらいがいいかな?」 「そうですね。いいと思います」 「承りました。私達はお客様の要望がある時以外は極力お部屋に入らないようにしておりますので、御用の際は、お電話でお申し付けください。直ぐに参りますので。お布団も隣のお部屋に既に敷いておりますので、お風呂上がりに少しお休みになられてもよろしいですよ。では、ごゆっくり」  仲居さんはそう言って、部屋を出て行った。  僕は仲居さんの言ったことにドキリとして、思わず隣の部屋の襖を開けた。  確かに、そこには既にふかふかの布団が二つ並んで敷いてあった。   ── なんか、布団の距離、近過ぎじゃない?  僕は思わず、片方の敷き布団の端を掴んで、二つの布団の距離を離した。 「何やってんの?」  シノさんが覗き込んでくる。僕は「別に」と言って、「早く風呂入りに行きましょう」と誤摩化した。  「おう」と答えたシノさんは、クローゼットの戸を開けて、浴衣を取り出した。 「俺、浴衣着ていこう」  浴衣は、温泉宿にありがちな薄っぺらいプリント柄の物ではなくて、細縞柄のちゃんとした浴衣だった。帯もきちんと幅があるもので。  シノさんは手慣れた感じで浴衣に着替えたけれど、その丈が凄く短くて、僕は思い切り吹き出した。 「シノさん、丈が短過ぎ! ハハハハハ!」  僕が爆笑していると、シノさんは「えぇ? いつもこんなもんだぞぉ」と口を尖らせた。 「アハハハハ、いつも、いつも、そんななの? ウソ!? アハハハハ」 「千春、笑い過ぎ」 「だって・・・バカボンみたい・・・アハハハハ」 「バカボンって・・・。千春、だから笑い過ぎだって」 「だって面白過ぎだもの・・・、ウフフフフフ、アハハハハ・・・」  シノさん、顔が真っ赤になってきた。  いやぁ、カワイイ。可愛いけど、面白い。面白過ぎ。  僕は一頻り笑って、「あ~」と息を吐きながら目尻に浮かんだ涙を指で拭った。   「シノさんでその丈なら、僕は更に短いってことですよね。僕、浴衣着るのやめよ」 「え! なんで!!」 「だって格好悪いもの」 「浴衣、着てよ。折角温泉来たのに!」 「やですよ」  僕らが押し問答をしている間に、入口の引き戸がノックされた。 「はい」  僕が出ると、先ほどの仲居さんが立っていた。 「お二人とも背が高くていらっしゃるので、大きいサイズの浴衣をお持ちしました」 「ああ、よかった。丁度今、丈が短いって爆笑してたところです」  僕が後ろを振り返ると、玄関先に姿を現していたシノさんが、再び自分の浴衣の裾を見下ろしていた。  仲居さんも思わず笑い出す。 「まぁ、失礼しました。もっと早く持ってこなければいけませんでしたね。こちらは外国のお客様対応のものなので、きっと大丈夫だと思います。どうぞお召し変えください」 「ありがとうございます」  僕が二人分の浴衣を受け取って、部屋に取って返した。 「早くその“ちんちくりん”、脱いでください」 「ちんちくりんって・・・酷いなぁ」  シノさんはぶつくさ言いながら浴衣を脱ぐ。  僕は浴衣を広げて、シノさんの肩に掛けた。シノさんが袖に手を通した後、僕は跪いて浴衣の前を合わせる。  僕は着付けができる訳ではなかったが、僕の祖母がよく僕に浴衣を着せてくれていたので、朧げな記憶をたどって浴衣の帯をシノさんの腰元で締めた。 「あ、ちょっと余裕があるくらいの丈ですね。よかった」  僕は帯で丈の調節をした後、立ち上がって全体を眺めて、うんと頷いた。  今度はちゃんとくるぶしが隠れてる。   ── シノさん、凄く浴衣似合ってる。カッコいい。  シノさんって出てるところと締まってるところのメリハリがきちんとある身体付きをしてるから、帯がきちっと決まるんだよね。僕はもっと全体的に細いから、和装を着るとちょっと頼りないシルエットになりがちだ。 「千春も着なよ」  シノさんがじれたようにそう言うんで、僕も根負けして浴衣を着た。  シノさんで少し余裕のある丈だったので、僕の場合はぴったりの着丈になった。  帯を締めて振り返ると、シノさんが満足げに微笑んでいた。 「うん、やっぱ似合うよ。色っぽい」  僕は思わず顔を顰めた。 「何言ってるんですか。早く行きましょう」  玄関には濃紺の鼻緒の下駄も用意されていて、僕らはそれを履いて部屋を出た。  下駄を履くのは久しぶりだけど、たまに履くと気持ちがいい。  しかしホント、シノさん、浴衣に下駄姿、似合い過ぎだよ。  シノさんはこざっぱりとした容姿なので、和装がよく似合う。僕とは大違いだ。  目的の大浴場は、フロントを挟んで東に伸びている建物の突き当たりにあった。  大浴場のある建物は古くから残る建物なのか造りが本館より無骨で、柱や梁も黒く艶やかに光っていた。  大浴場の入口には、外に伸びる屋根付きの小道がずっと続いていて、おそらくその先に貸し切り風呂があるのだろう。  途中、何度も若い女性客のグループとすれ違った。  モダンな宿だから、彼女達のような客層にも人気なんだ。  すれ違う度に彼女達がシノさんを振り返る。露骨に足を止めて見惚れてる人もいて、内心僕は落ち着かなかった。  そりゃ、カッコいいから見るなという方が無理だとは思うけどさ。  中には結構カワイイ女の子もいたから、益々僕は穏やかじゃなかった。  そんな熱い視線でシノさんを見つめないでほしい。  僕はいまだにシノさんの根本はノンケだと思ってるから、シノさんがいつ女性の方に目が向いてもおかしくないとも思っている。  セックスを覚えたシノさんは最近何だか急に色気が出てきたし、それでも純粋無垢で自然な表情を浮かべるので、人々の視線を容赦なく釘付けにするんだ。   ああ、夕食が部屋出しでよかった。これで食事処まで出て来いって言われていたら、彼女達の視線が気になって、おちおち食事もできないところだった。  僕は建物の内装に目をやりながらゆったりと歩くシノさんを追い立てるようにしながら、男湯と染め上げられた暖簾を潜った。
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