驟雨

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   葉室は女と初めて会った時のことを思い出していた。二年前の春、花曇りの午後、彼はぶらぶら円山公園を散歩していた。今にも降り出しそうな鈍色の空の下で、薄紅の桜が満開に咲いている。人はまばらで、彼はのんびりと花を見て歩いた。しばらく散歩していると、冥い空で雷鳴が轟き、雨が降り出した。彼は桜の大木の下に入って雨が止むのを待つことにした。枝垂れ桜の隙間から見える、烟る公園の荒涼とした芝生の丘。垂れ込めた暗雲の狭間を駆け巡る稲妻。  そのとき、葉室は人影もない丘を、一人の女が登ってゆくのを見た。漆黒の、シルクのドレスを着た若い娘である。大粒の雨が降り、雷鳴がひっきりなしに轟いているというのに、女は軽やかな足取りである。葉室はしばし呆然と眺めていたが、ふと興味をそそられて鞄から折り畳み傘を取り出し、女に向かって歩いていった。  女は、丘の天辺に立って稲光に照らし出される暗雲を見ている。葉室は傘を差しかけながら言う。 「こんなところに立っていると危険ですよ、お嬢さん。お入りなさい」  すると女は振り返り、濡れた髪を払って不機嫌そうな声で言った。 「平気ですから、放っておいてくださる?」  女の髪の、甘い匂いが辺りに漂う。近くにひときわ大きな雷が落ちる。葉室は、この女にはとうてい敵わないと思った。
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