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『想い人の名前を記した紙を傘の柄と一緒に握り、件の人物と相合傘をすれば、晴れて願う恋は成就する』
私は端からその噂を信じていたわけではない。 第一、恋愛に必要な物は本心で、得体の知れない力を介して生まれる成就など、意味を成さないと思っていたくらいだ。
このことから、小学生の頃の私はつまらない奴だった。 クラスメイトが休憩時間におまじないの本を広げていても、冷めた目で見ることしかできなかった。 そんなもの嘘だ。 有り得ない。 出版元へ金を落としたに過ぎない、と。 大層なクソガキだったと自負できる。
だが実際に、おまじないをして成功した者の話を聞いたのでは、考え方も改めざるを得ない。
高校にもなればある程度の人間関係の礎は強固となり、その延長戦として私にも好きな人ができたのだ。 初恋とも呼べるそれに、私はとある焦燥を抱いていた。 彼は人気にカテゴライズされる人間で、誰かに取られる可能性は否めなかったから。
だから、件の噂に縋りたかった。 ひょっとして──ほぼ確信的に──私がおまじないを歯牙にもかけなかったのは、単純に好きな人がいなかったからだろう。 何かに縋りたいほど色恋沙汰に悩まなかったからこそ、今になって本を広げていた彼女らの気持ちが分かる。
少しでも他者より有利な立ち位置に就きたく、神を介して先行するのだ。 そう考えると、小学生の女児の内情に今更ながら粟立った。
ありがとうを伝えるだけでその人に意識してしまうほど、男心は単純だ。 単純故に神力は伝わりやすく、女児は水面下で熾烈な争いを繰り広げていたのか。
高校生にして初めて立つ水面下に、私は何としてでも彼を射止めたかった。 風の噂で私の友人も彼を狙っているらしく、お互いに笑顔を装いながら、裏ではあれやこれやと手を回している状況だ。
季節は六月。 噂を発揮させるには十分な季節である。
しかしこのところ、曇天ではあるものの肝心の雨が降らない。 頼みの綱が手元に渡って来ない間にも、きっと友人は彼に近付いていることだろう。
待つなら自分から行けと言う人がいるかもしれない。 が、一度私は彼と話した際に盛大に上擦ってしまってトラウマとなっている。 だからこそ、「一緒に帰らない?」の一言は何度も練習しているのに……。
ただ一方で、こんな危惧もあった。
彼が傘を持って来ていた場合だ。 もしそうなら、雨が降った際に相合傘ができなくなってしまう。 思ったよりおまじないを発動させる条件がシビアで、半ば私は諦めかけていた。
やはり神力に頼るのは無謀なのだ、と。
そんな私が天啓にうたれたのは、諦めから活力が枯渇しかけた瞬間だった。 まるで温泉を掘り当てたように、確実におまじないを発動させる方法が浮かび上がったのだ──。
「ねえ、アマノくん。 一緒に帰らない?」
大雨の降りしきるある日、私は昇降口で立っていたアマノくんに、意を決して話しかけた。 ため息混じりに空を仰いでいた彼は私を振り向くと、
「一緒にって……えっと?」
「ほ、ほらっ、傘とか、持ってないんでしょ」
傘が無いから一緒に帰ってあげる、など、彼にとっては不遜もしくは尊大な態度だと思われたかもしれない。 が、私はこの好機を逃すわけにはいかなかった。
アマノくんは図星からか、一瞬だけ目を丸くさせて苦笑した。
「そうなんだよ。 どうも忘れてしまったらしくてね」
「うん。 それで……」
私はこれまでの人生において最大の緊張と、頰の紅潮を感じながら改めて誘った。
「い、一緒に、帰りませんか」
しばしの沈黙。 鼓膜に絡みつく雨音。 疎らに生徒が行き交う昇降口で、アマノくんが出した答えは、
「良いよ」
「ほ、本当に?」
「ああ。 折角のお誘いを無下にはしたくないし、加えて雨にずぶ濡れになるよりかは、ね」
私は彼の了承で、身体を縛り付けていたいくつもの感情の紐が、するりと解けていく感覚を得ていた。 同時に涙腺も緩み、うっかり泣き出してしまう直前で、
「ありがとう。 じゃあ、い、行きましょうか」
「どうして敬語なの? あ、傘なら僕が持つよ」
「傘は私が持つからっ。 アマノくんは気にしないで」
相手に持たれてしまったのでは、おまじないを発動させられない。 私は胸ポケットから彼の目を盗んで紙を取り出し、柄と一緒に握った。 事前練習の成果もあり、紙は上手く隠せたようだ。
あとは会話を大事にし、アマノくんの隣に立つ資格を、恒久的に得るのみ。
私はおまじないに身を護られている自信から、アマノくんとの距離を縮める当たり障りのない会話を開始させた──。
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