『蛇神の面』

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 ――二人が屋敷に戻った時、そこにあったのは屋敷ではなく、瓦礫の山だった。 「……どういうことだ、これは」  茫然と立ち尽くす青年。まるで自分の家族を殺された晩のような光景に、声が掠れる。 「ここまでしてこそこそと隠れるのは、卑怯でございましょう?」  対して、蛇神は凛とした声を響かせ、月明かりに隠れた岩の影を睨みつけた。そこから、 「――ご明察。さすがは蛇。闇にまぎれてもその眼はごまかせぬな、ひっひっひ」  下卑た笑いを浮かべる、小太りな男があらわれた。 「お主がまさか、屋敷を? 一体どういうつもりだ!」  一歩前に出る青年。彼を見るなり、男はにやぁといっそう笑いの皺を深めて口を開く。 「おんやぁ、そこにいるのは、没落した家系の生き残りではございませんか? ひっひっひ、これはこれは、同じ妖術師仲間として、心配していたのですよ?」  決してそんな事は微塵も感じさせない口調に、青年の心はざわめく。 「どうやら、わたしの家の事を知っているようだな」  意識せず、震える拳を握る彼の返事に、何がおかしいのか、男はプッと吹き出した。 「まぁだ気づかないとは、こちはこちらで、さすがはもうろくした術師の家系とみえますねぇ」 「何の、ことだ?」 「――私どもですよ? あなたのお屋敷を、物の怪に襲わせたのは」 「…………な?」  青年は、あまりの事実に耳を疑った。 「いやねぇ、ぬるいんですよ、あなたの家は。同じ妖術師としては、反吐が出るくらいに。物の怪を救う? 馬鹿言っちゃいけませんねぇ、せっかくの道具を、みすみす手放して、これじゃあ妖術商売あがったりじゃないですかぁ? だからね、私どもがちょちょっと動いてあげたわけですよ。妖術師の、栄えある未来のために……、くっくっく、ひぃーひっひっひ!」 「お、お主は……」  青年の言葉はそれ以上続かなかった。自分の家は、家族は、何のために殺されたのか。自分は、どこから逃げていたのか。何もかもが、まるで真っ白になり、見えなくなってしまった。 「――主様、お気を確かに。……囲まれております」  蛇神の声に、鈍くなった動きで青年が首をもたげると、周囲の闇からぽつぽつと松明の明かりが浮かび上がる。 「一つ、おうかがいします」  仮面の眼窩から鋭い視線を周囲に向けながら、蛇神は男に問う。 「どうやら、貴方は主様の仇と思われますが、しかしなにゆえ、私の屋敷をとり潰したのでございましょうか?」  彼女の言葉に、男は途端に唾を吐いて不機嫌をあらわにする。  「はんっ、冗談じゃない。物の怪は物の怪らしく、道具にならなければ穴蔵にでも引っ込んでいればよいものを。人様の格好などして、あろうことかこんな屋敷まで建ておって。そこまで人様が羨ましいか? ん? 人様に憧れるか?」 「……私は、私たちは、人間に追われ、この場所にたどり着きました。それをこうして嗅ぎつけたのは、貴方がたではありませぬか?」 「黙れ! ええい蛇の化け物風情が偉そうに。だからわざわざ物の怪の住処にしてやったのではないか、ええ? ほれ、蛇ならば瓦礫の隙間で冬眠もできよう? ひっひっひ」 「…………そうでございますか」  静かに、ぽつりと呟いた蛇神。しかし、渦巻く殺気が彼女の身体じゅうから膨れ上がり、ばきばきと、まるで骨格の変わるような音が聞こえてきた。しかし、 「おおっと、大蛇になれると思うなよこの化け物が! おい、やれっ!!」  男の号令に、周囲から蛇神めがけて何かがいくつも投げ込まれた。 それは酒瓶。ほとんどは地に落ち音を立てて割れたが、途端に甘い匂いが充満する。 「ぐ、う……? こ、これは……まさか」  その匂いや身体にかかった液体に、蛇神は口をおさえたが、ふらつき膝をついてしまった。 「ひっひっひ、貴様の急所などとうに知っておるわ。これだけの梅酒の香りは、きつかろう?」 「く……う」  ――蛇の物の怪は、梅を漬けた酒に弱い。それはこの地に伝わる伝承であった。  男は苦しむ蛇神を一瞥し、舌なめずりをする。 「貴様、物の怪ごときにはもったいないほど、上手く化けたものだな。くっく、その面が邪魔だが、まあいい。殺してから術をかけて見世物にでもしてやろう」 「寄るな……、この……」 「この、何だ? 人間風情が、か? おいおい、その隣で呆けている青二才も人間だぞ?」 「主様は、違う……。この御方を、私は……」 「おんゃおんゃ、見たところ術もかけていないようだが、どうやって手なづけた? ……まあいい。それよりも、もっと愉快な余興を用意しているのでなぁ。――さあ、来い」  男が指を鳴らすと、ずるずると地を這う音とともに、彼の背後から巨大な影があらわれた。  月明かりに浮かびあがり姿があらわになったそれは、うっすらと黒ずんだ骨がむき出しの、  大蛇の骸骨であった。蛇神ほどではないにせよ、巨大な肢体にきしむ骨、その周囲を灰のような細かな塵が舞っている。 「――なっ、龍姫、千鱗!!」  蛇神は胸をおさえながら、誰かの名を叫ぶ。 「ほう……、この二体にそんなたいそうな名がついておったのか? しかし、ここまで変わり果ててなお分かるとは、さすがは物の怪と言ったところか」  男は楽しげににやつく。 「知っているぞ、蛇よ。貴様には仲間がいることをな」  ――蛇神には、二人の妹がいた。  一人は人間の男に恋をして、そして共に自ら生み出した炎に身を焼かれ、灰になった。  一人は人間の男に恋をして、そして想いが叶い添い遂げる前に、首を落とされた。 「苦労したぞ? 噂を頼りに灰を集めさせ余計なものを取り除くのに随分とかかった。もっとも、それからはすぐにその灰の鼻を利かせて、この場所を見つけ出したのだがなぁ。そして埋められていたこいつを掘り出して、術をかけてやったわけだ。どうだ、感動の再会にむせび泣くか? ひぃっひっひ」  男は饒舌に語り、隣の蛇の骸を足蹴にする。蹴られた蛇は、しかし身じろぎ一つしない。 「くっ、千鱗――、あなたは」  蛇神は悔しそうに唸った。男は愉快なものを見るように肩を揺らして笑い、手を差し向ける。 「穢れた物の怪ごとき、人間が手を下すまでもない。――行け、八つ裂きにしてしまえ」  ズ、ズと蛇の骸骨が近づいてくる。カタカタと音を立てて開く口は、その向こうの闇を透かしていた。そして闇に浮かびあがる牙が、身動きの取れない蛇神へと向けられた、その時、 「……やめろ」  かすれるような声が、彼女の耳に届いた。 「あ、主、さま……」  迫る骸骨の前に、蛇神を守るように両手を広げた青年が立っていた。 「どうした青二才? 物の怪を守るなぞ、血迷ったか?」 「――やめろ。彼女には、蛇神には指一本触れさせはしない」  青年は、今度ははっきりと言い放った。 「はん、親が親なら子もどこまでももうろくしておるなぁ。――やれ」 「や――やめ、主様ッ! だめぇぇ――ッ!!」  刹那、暴風に叩きつけられたように、青年の身体は蛇神のすぐ傍まで吹き飛ばされた。 「あ――、あ……、あるじ、様?」  顔をもたげた骸骨の牙からは、真っ赤な血がぽたりぽたりと、滴り落ちていた。  蛇神は、這うように青年のもとへと寄る。 「う、ごふっ……」  血を吐き、仰向けに倒れる青年。彼の腹から流れ出る生命の海が、地面を赤く染めてゆく。 「ある……じ、さま。……ああ、主様ッ!!」 「お……ろち、か?」  朦朧とした口調で、青年は問うた。 「はい、私は、ここにございます。ここにございますっ!」  蛇神がゆっくりと抱き起こし、その頬に手をやると、青年はうっすらと微笑んだ。 「ああ、すまぬ……な。お主のようには、うまくいかなんだ……」 「何を謝っておられるのです! 主様、お気を確かに! 死んではなりませぬ!」 「ふぐ……、いや、これが、この、時が、わたしの寿命なの……だろう」  何かを悟ったような青年の言葉。それをあざ笑うかのように、男の声が届く。 「く、くははっ、こりゃあ傑作だ! 最後の最後までとことんもうろくしているとは、血筋とは恐ろしいもの――」 「黙レ、下郎ガ。ソレ以上、主様ヲ侮辱スレバ、殺ス』 「ぐ……」  動けないはずの蛇神から溢れる殺気に、男の口は固まる。青年はその声が聞こえないかのように、うつろな視線で言葉を続けた。 「ずっと……考えていた。お主は、わたしがあの時に、蘇らせた物の怪なのかと。……昔、父に聞いたことがあった。印も……ごふっ、祝詞も使わない、禁忌を」 「もう、お話にならないでくださいませ。主様、主様……」 「それは……、己の命。……わたしは、もう長くはない。お主を蘇らせるために、自分の命を削ったのだ……」 「――!?」  無意識に行ったものかはわからない。しかし、ここにいる蛇神が、その事実だった。 「しかし、わた……しは、後悔など、していない」 「ある……じ……さ、ま」 「お、おいッ、あいつだ。何をしているっ、あの面の女を狙え!!」  うずまく灰が集まり、長い槍のようになって固まる。そして風を裂く音とともに放たれた。 「――ッ!?」  がぎんと鋭い音が轟き、のけぞる蛇神。 「や、やったか!?」  ぐらりと傾きかけた蛇神の身体だったが、まるで何事もなかったかのように持ち直す。  その額から、ぱらぱらと、仮面の欠片が剥がれ落ちただけ。 「わたし……は、蛇神、お主と、こうして出会えたことが、家族を殺され、住む場所を追われた絶望の中での……唯一の……救いだった」 「はい、はい……主様。私も、私もでございます……ですから、どうか……」 「……なあ、蛇神よ」 「はい、主様」 「お主は、わたしが……ここで死んだら、どうする……?」  やがて白くなっていく顔で、無理にニッと笑う青年。その意地悪な質問に、蛇神はぐっと胸をおさえて、答える。 「私は……、きっと泣いてしまいます。主様、貴方だけを見てまいりました。その貴方が映らないこの瞳からは、涙しか流れませぬ」 「そうか……泣いてくれる者がいるというのは、嬉しいものだな……」 「女にそのような問いかけをするなど、意地悪な主様でございます。……ならば、私からも一つ、させてくださいませ」 「ああ、さて……、恐ろしいもの……だな、誰に似たものか……」 「ふふ……。主様、額に傷のある女は、お嫌いですか?」  青年は考えることもせずに、答えた。 「それが、たとえ蛇神、お主だとしても、嫌いにはならぬよ」 「――っ! あるじ……様」 「わたしは、蛇神。傷があろうがなかろうが……些細なこと、ごふ……。否、たとえ面をつけていようと、物の怪であろうと、違うのだ。……この、お主を慕う想いは、そんな……ものでは、はばかれまい……」 「主様……、それならば、私を、私を……見てくださいまし。もう、こんな面はいりませぬ。ようやく、私は貴方に…………う、うう、ううう……」  その返事を、青年が聞いたかどうかは定かではない。  ――既に彼は、笑顔のまま、事切れていた。  ぽたりと、青年の頬に雫がこぼれ落ちる。  それは仮面越しではなく、剥がれてあらわになった蛇神の瞳から落ちたものだった。 「私は……きっと泣いてしまいますよ、主様」  呟き、青年を静かに横たえ、ゆらりと立ち上がる蛇神。 「……一つ、お答えしていなかった質問がございました」  梅酒の甘い香りが漂うにもかかわらず、骸骨へと向かう。 「ふたたび目覚めて、主様を一目見た時より、私の御心は貴方様で溢れておりました」 一歩一歩、進むたびに蛇神の仮面が少しずつ崩れ落ちてゆく。 「それは、もしかすると主様のお命を分けていただいたゆえかもしれませぬが、それこそ不躾というもの」  仮面の剥がれた額には、まるで穿たれたような大きな刀傷があった。 「私は、怖かったのでございます。顔に傷のある女を、主様はお嫌いになってしまわれるのではないかと。たったそれだけのことで、私は多くの命を奪い、主様から隠し続けておりました」  やがて、骸骨――千鱗の正面まで来た蛇神。 「けれども、主様。貴方はやはり、私のお慕いした主様でございました」 「――ぁ、や、やれ! 殺せ!!」  そこでようやく我に返った男が、骸骨に向けて指図しようとしたが……。 「ああ……、今宵の酒は、よく燃える――」  一瞬にして、周囲は松明とは比べものにならないほどの明るさと、灼熱に包まれた。  逃げ惑う男の手下たち。炎に囲われ、身動きの取れない男。それを気にも留めず、蛇神は千鱗の骨に手を添え、漂う灰――龍姫の亡骸に手を添える。 「憐れな子たち……、せめて、最後は私の腕の中で、眠りなさい――」  それはまるで、天に昇り消えてゆく炎のように。  骨も、灰すらも、跡形もなく燃え尽きた――。  山の中腹から噴き出た炎は、三日三晩燃え続け、やがてあとには何も残さずに消え去った。   やがて、統一幕府の誕生により、各地の戦乱も終息していった。  そのさなか、大蛇が各地にあらわれたという話は、後の世まで語り継がれることとなる――。 私も、もうしばらくしたら、そちらに参ります。 主様にいただいたこの命尽きるまで。 少しの間だけ、お待ちください。 ――私の、愛しき主様。 蛇神の面 了
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