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従僕の名前を聞いた瞬間、知識として刻まれた二体の情報が脳裏に浮かび、思わずうなだれた。よりにもよってあの針か。
後者はともかく、前者は自らが犯した罪を想起させる従僕、それを呼び出さなければならないというのは少々億劫である。
経験は無いが、車で撥ねた相手の見舞いに病室を訪れる時の気持ちに近いかもしれない。
しかし感傷に浸る時間など無駄というもの。私はアネットの提案に従い、右手を前に翳して赤い書に記された召喚式を唱える。
「独りよがりな針、そして慈悲深き鎖よ……えー……“我が呼び声に応じ、我が下に疾く顕現せよ”!」
慣れない事だったので途中つっかえてしまった。
しかしなるべく声を張って式を唱えた甲斐あってか、言霊を放った直後、どこからともなく飛来した小さな雷が私の足元に突き刺さる。
目を向けると、そこに在ったのは血と鉄の色彩を持つ鉄パイプ大の歪な針であり、それは見紛うことなき『独りよがりな針』だった。
いくら従順で意志を持たない金属とはいえ、嘗ての仕打ちの腹いせに登場早々私を刺してくるのではと俄かに心配していたが、杞憂だった様だ。
小さく安堵していると、針の招来から遅れて私の足元に小さな闇の渦(ゲート)が生じ、そこからもう一体の従僕が姿を現す。
それは縄の様に細く、凡そ四〇フィートという非常に長い体をうねらせながら私の左足、太腿、胴体を伝って首元まで登り、私の全身に巻き付いた。
輝く爬虫類の鱗を全身に纏うその姿形は、正に白蛇であった。ちろちろと口先から出し入れする二又の舌先で私の頬を撫でる。
外見については予め知っていたので驚きはしないものの、余りにも蛇そのものなので噛みつかれないかだけが心配だ。
とにかく二体の従僕の召喚には成功した様だ。アネットに次の指示を仰ぐ。
「で、次はどうする」
『まずは鎖に針を咥えさせよ。通し穴の所だ』
「通し穴?……あぁ、これか」
そう言われて初めて気付いたが、独りよがりな針には地面に刺さっている切先とは反対側に丸い穴が開いている。
まるで糸を通す為の穴の様だ。針としては別に間違っていないのだが、本来魔女狩りの為の針が何故縫い針の形を模しているのかは甚だ疑問だ。
取り敢えず、アネットの言葉に従って命令を下すとしよう。
「慈悲深き鎖よ、“針を咥えよ”」
召喚時とは違い幾つか言葉を省いて命令を下したが、私の体に巻き付く蛇はその言葉を聞くやいなや頭からするすると足元に下り、地面に刺さる針の穴に下顎を通すようにして咥えると、蛇は咥えた針を地面から引き抜いて私の眼前まで持ち上げてみせた。
とても従順で紅玉のつぶらな瞳でこちらを見つめる姿はどこか愛らしく、ふと頭を撫でたくなったが、愛玩動物ではないので流石に自重した。
『次は鎖を本来の姿に変じさせよ。それで形は整う』
「……慈悲深き鎖よ、“汝、真の姿を現せ”」
アネットの真意を図りかねながらもこちらを見つめる蛇に対して更に命令を下すと、蛇はこれも抵抗の意思を示すことなく首を縦に二度振り、直後にその全身を輝く白銀の鎖に変化させた。
白金の如く煌くこの美しい鎖の姿こそが『慈悲深き鎖』の本来の姿だ。
針を咥えたまま変じたので必然と鎖の環が針の通し穴に掛かっており、宙に浮く針を私が掴むと、繋がれた鎖が地面を擦る金属の音を響かせている。
そしてこの形を目にした私は漸くアネットが作りたかったものを理解した。
出来上がったそれは、以前どこかの博物館で見た古代の鎖武器『鎖剣』によく似ているのだ。これを作る必要があったのだろう。
しかしそれが一体何を意図していて、アネットがどの様な手を考えたのかは未だ理解できない。
「で、この武器でどうするんだ? まさか、あいつ等一体一体に投げて刺し留めて捕まえる訳じゃないよな? そんな投擲技術は俺には無いぞ」
『まさか。背の君は動かずともよい。ただ一言命令して、あとは任せればよいのだ』
「なんて命令すればいい?」
『針に対して「奴等(グレムリン)を刺し貫け」と命令するのだ。簡単だろう?』
「嫌な予感しかしないんだが……」
アネットを信用していないわけではないし、彼女なりに良いと思うアイディアを提案してくれているのだろうが、このまま従っていると碌なことにならない。何故だか分からないが不思議とそんな予感がしている。
とはいえ、先刻まで静まり返っていた場内には、再び奴等の不快な鳴声が響き渡り始めている。先程の発砲にも臆せずまた群がっている様だ。
小型の魔物とはいえ、この暗闇の中集団で襲い掛かられては対処できる自信がない。
悩んでいる時間はない――そう思い至った私は手に握っている独りよがりな針に命じた。
「他に手も無いし時間も無いか……独りよがりな針よ、“グレムリンを刺し貫け”」
少々妥協気味に言葉を放った直後、それに呼応するかの如く一度脈打った血と鉄色の針は私の手から離れて宙に浮かび、切先を暗がりの一点に向ける。
そして私からは見えない暗闇のどこかに狙いを定めると、その方向へ凄まじい速さで一直線に飛んで行った。
直後、柔らかい何かが弾ける音と噴き出す液体が地面に飛び散る音、そして獣の短い悲鳴が同時に聞こえた。
しかもそれは一度ではなく、その後も同じ様な音が連続して何度も耳に届く。
懐中電灯の光が届かない位置なので私からは何も見えないが、飛んで行った針に繋がれた鎖がどんどん暗闇に飲み込まれていくところを見るに、恐らく針は命令通りグレムリンに刺さって貫通し、すぐさままた次のグレムリンに刺さって貫通するという動作を繰り返している様だ。
ここで私は先程の嫌な予感の正体を理解した。
現在、独りよがりな針は慈悲深き鎖に繋がれ、形としては鎖剣に近いものとなっている。
つまり針が貫通して抜けるとそのまま空いた穴に鎖が通り、次に貫かれたものも同じ様に出来た穴に鎖が通されるのだ。
即ち、これによりあるものが出来上がる。そしてそれは予想通り碌でもなかった。
『思いのほか優秀な針だな。もう仕事を終えた様だぞ』
「……うげぇ」
感心してほくそ笑むアネットをよそに、私は眼前の光景に思わず辟易の感情を吐露していた。
僅か十五秒足らず。仕事を終えた針は鎖と共に闇の中から私の元まで戻り、再び地面に突き刺さった。「己の仕事は終わった」と暗に言っているかの様だ。
しかし戻って来たものは従僕達だけではない。
ガラスと金属を擦るような不快な鳴声を上げる計十七匹のグレムリン達が、暗闇から私の前に引き摺り出されていたのだ。
グレムリン達はそれぞれ胴や頭蓋、眼窩や口腔などを鎖に貫かれており、逃げようと悲痛な叫びを上げながら地面を引っ掻いたり鎖を噛みちぎろうと必死にもがいているのが数体、それ以外は急所を貫かれて既に力尽きている。
一繋ぎの鎖に貫かれているので前にも後ろにも逃げることは叶わず、もがけばもがくほど黄土色の体液が地面に撒き散らされる。
正に地獄絵図。はっきり言って物凄く惨い。命じておいてなんだが、およそ人間のやることではないと思うし、もしも魔物愛護団体なる存在があれば即座に訴えられる生け捕り方法だろう。
ともあれ、かなりえげつない方法ではあったが二つのミッションを果たすことが出来た。
魔物とはいえ少々気の毒になってきたので、早々に撤退することにしよう。
「やり方はちょっとアレだが、まぁ、助かったよアネット」
『礼には及ばんが、もう少し素直でも良いのではないか?もっと労いの言葉とかあっても良いのではないか? 昼飯はタコスで頼む』
「時間があればな。こいつ等運びたいんだが、何か良い手はあるか?」
『広い工場だ、適当に台車でも探して乗せれば良いだろう。こ奴等は徒人(ただびと)には見えんから、野晒でも心配はない』
「運搬中に逃げ出したりしないか?」
『心配なら鎖を掴んでおけ。もしくは鎖の環に針を通して台車に固定しておけ。それで逃げられんだろう』
「……とりあえず、パトカーで牽引出来る台車を探すか。あっと……針と鎖、“そいつ等を逃がさないようにそこで待機”」
念のための命令を下すと、針は地面に刺さったままその身を脈打たせ、鎖は後端の環を地面に擦りつけて音を鳴らした。
従順な従僕達に心中で感謝しつつ、私はそのまま台車を探しに向かった。
その間もグレムリン達の悲痛な叫びと呻き声は場内に轟き続ける。それを耳にする度、私の雀の涙ほどの良心が痛んだ気がした。
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