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#1 - 定期業務と勉強会 Part.1
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セントラル・オブザーバーのメインフロアにスーツショップがあった幸運を適当な神に感謝しつつ、新しいワイシャツに着替えた私は『鉄食鬼(グレムリン)』達を乗せた台車を運び、ミシェルを伴ってエクスシア本部へと向かっていた。
ミシェルにとっては本部に赴くことはおろか、このビルに入ることすらも初めてなので、目に映るもの全てに対して初めて遊園地を訪れる子供の様に瞳を輝かせていた。
特にビルの地下七二階まで降りる際、全面ガラス張りのエレベーターから眺めることが出来る『エクスシア本部』という名の大図書館の様相なぞはまさに壮観とも言うべき景色であり、私も同じように感動したことを覚えている。
もっとも、その景色を楽しむことが出来るのは本部長(マルコム)に接触するまでだろう。
健気で底抜けに明るく頑張り屋な性格のミシェルだが、これから襲い来る厄介事の嵐に彼女の心が折れないことを祈るばかりだ。
エレベーターを降り、ここまでずっと落ち着かない様子のミシェルを誘導しながら本部の瀟洒且つ重厚な扉を開けようとすると、今日は珍しく反対側から扉が開いた。
扉を開けてくれたのは、黒いロングドレスを身に纏う二人のホワイトブロンドの女性だった。
双子なのか、その顔は全く一緒で、そして服の色とは対照的に彼女達の肌は白磁器の様に白い。
一見、英国女給の服装にも思えるが実際のそれよりも更に装飾が施されており、炊事洗濯掃除などの雑事よりももっと位が高い仕事、例えば貴重な蔵書の管理等をする者の格好に思えた。
もしかすると、これまで一度も見たことが無かったこの本部の司書――本当は図書館ではないのでその名称が正しいかどうかは分からないが――なのかもしれない。
しかし何故だかこちらをじっと見つめるその表情は物凄く冷たい、というか感情が無いという印象だ。
ただ二人のひととなりが分からないので、とりあえずここは挨拶から。
「こんにちは。俺は――」
「ジョン・E・オルブライト様、ミシェル・レヴィンズ様。お待ちしておりました。主がお待ちです」
「鉄食鬼は我々がお預かりいたしますので、台車はここまでで結構です」
「え? あ、ど、どうも……あるじ?」
「はい」
「中へどうぞ」
交互に言葉を繰り出す彼女達は一方が台車を中へ運んで行き、もう一方が開け放った扉を支えて私達を中へと促す。
余りにも淡々として無駄のない行動だった為、私達は戸惑うこともせず促されるまま中へと進んでいた。
相変わらずエクスシア本部はとてつもなく広く、藍色の床の上には二百組を超える数の長机と椅子が並ぶ。
見渡せば全方位に敷き詰められた数千もの蔵書、見上げればステンドグラスの巨大天使の絵、凡そ個人の要望で建てるものではない。
やはりこの図書館は文化遺産に登録するべきではないだろうか。
「凄い、ですね……」
遂に我慢できなくなったか、半歩後ろに付いて歩くミシェルが感嘆の言葉を呟いた。
むしろ今までよく何も言わなかったものだ。いや、単に言葉に出来なかっただけかもしれない。気持ちはよく分かる。
「確かにな。でも感動出来るのは今だけさ、きっと」
「?」
「いや、なんでもない」
この後も彼女は驚くことになるのだろうが、それはここまでの様な感動の意味合いではない。
この街の状況や悪魔達について、そして深淵なる知識など、どこまでも理解出来ない世界の実在を知ってこれまでの価値観を覆されるという意味でだ。
そしてそれを為すのは他でもない、眼前の執務机の奥に座す本部長様だ。
「主。ジョン・E・オルブライト様、ミシェル・レヴィンズ様をお連れしました」
「ご苦労、ユヌム。そのままドゥオと共にグレムリンの保管作業に向かいなさい」
「かしこまりました」
主と呼ばれた男――マルコム・バレンタインは視線を右手に持つ本からこちらに移して私達の来訪を確認すると、少し微笑んだ。
ユヌムと呼ばれた女性はマルコムからの指示を快諾し、そして私達に一瞥することなく元来た道を戻って行った。随分と機械的な印象だ。
「やぁジョン、今朝ぶりだね。グレムリンの捕獲、感謝するよ」
「どうも、マルコムさん。まあこっちも仕事ですから」
「そして初めまして、レヴィンズ捜査官。エクスシア本部長のマルコム・バレンタインだ。待っていたよ」
「は、はじめまして! ミシェル・レヴィンズと申します! よろしくお願いします!」
「ははは、そんなに畏まらずともいい。どうか自分の家だと思って寛いでくれたまえ」
「いや無理だろ」
思わず溜息と共にそう吐き捨ててしまった。
なにせ、この様な巨大図書館を自分の家と思って寛げるのは目の前の人物か超が付く大富豪ぐらいだ。冗句だったとしてもミシェルが困惑するだけで正直あまり面白くない。
現に隣のミシェルはどう返答したら良いのか分からず視線を四方八方に泳がせ、最終的に私に行き着いた。
すまないミシェル、私もどう答えたら良いのか知りたい。というかマルコムとの接し方の正解を知りたい。
「そうかい? ならカモミールティーでも出せば少しはリラックスしてくれるかな」
「ここ、飲食大丈夫なんですか?」
「もちろん。あぁ、蔵書や床が汚れることを心配しているのならば安心したまえ。この空間は『記述』と『描画』以外の行為では一切汚れない魔術を施してあるのでね」
「なんでもありですか魔術ってのは」
「全能ではないが、万能ではあるからね」
どうやらこの図書館は掃除機要らずらしい。魔術とはつくづく便利なものだ。
魔術の使い方についてそれが正しいのかどうかの判断が私には出来ないが、ベースボールスタジアム並みに広いこの空間を掃除する清掃員の気持ちを考えると、それを使わない理由がない。
個人的には是非ともその魔術を教えてもらって自分の家にも施したいところではあるが、それはまた別の機会としよう。今日は仕事で来ている。
「それで? グレムリンの引き渡しがあった俺はともかく、ミシェルを招集した理由は?」
「その話は役者が揃ってからにするとしよう。まだヴァージニアとアダムが来ていないのでね」
「ジニーとアダムも来るんですか? あの二人も必要な仕事とはいったい……」
私の先輩エージェントであるヴァージニア・H(ヘレン)・キャッターモールとアダム・デイヴィッドにも招集を掛けているとなれば、あまり想像したくはないが、今回の要件は私を含む三人のエージェントが参加しなければ解決できない相当な厄介事、つまりかなりの大事なのだろう。
おまけに、その大事にほぼ一般人のミシェルも巻き込まなければならないのだから、余計に気を張らなければならない。自然と肩と眉間に力が入っていく。
「君にもカモミールティーが必要かな? まぁ何の得にもならない憶測や心配はそこまでにしておいて、彼等が来るまでの間にお茶でもしながら勉強会でも開くのはどうかな」
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