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「勉強会?」
「魔術、魔法、神話、歴史、悪魔や魔物、LAについて、果ては深淵なる知識まで、君達が知りたいこと、学びたいことについて可能な限り答えてあげよう。講義の様になるかもしれないが、君達二人には必要なことだ」
「……それはミシェルにも話す、ということですよね」
「無論だ。寧ろ彼女にこそ必要だろう」
超常課に属する以上、悪魔や魔物との接触は免れない。
危険な存在と対峙し、超常犯罪や魔人犯罪を解決する為にも、それらの知識はマルコムの言う通り必要不可欠と言って良いだろう。
実際、私もこの世界の実態を知ってから色々と触れてきたつもりだが、まだまだ知らないことが多すぎる。
ミシェルに至っては所謂『オカルト』と称されるものの情報をネットで知り得ている程度であり、それが現場で生かされることなど極稀だ。安易に現場で動かせない理由の一つでもある。
そして目の前には情報誌やネットでは知り得ない知識を持ち、私達の疑問全てに答えることが出来る人物がいる。この機会を逃す手はない。
だがそれらの世界に一度触れてしまえば最後、二度と元の世界には戻ることが出来なくなる。
世界は異常や超常に溢れていること、私達の隣にいるのは人間だけではないこと、恐ろしきもの達が実在していることを知ってしまえば、もうこれまでの価値観を保つことは出来ないだろう。
それはミシェルの人生を変えることにもなるはずだ。
ここが彼女の分岐点だ。私は未だ落ち着かない様子のミシェルに向き直る。
「ミシェル、これから君が知ることは『この世界』についてだ。信じられない、あり得ないと思うことも全て真実で、それらを知った君の価値観は大きく変わってしまうかもしれない。正直、俺にとってもまだまだ信じられないことばかりだが、超常課で働く以上それらの知識は必要不可欠だ」
「は、はい」
「知識を得れば、見えなかったものが見える様になる。それは恐ろしいものだったり、危険なものも多い。そんな存在に立ち向かい、この街と人々を守ることが超常課の仕事だ。俺は……君をあの時の様な目に遭わせたくはないが、一緒にこの街と人々を守ってほしいとも思っている」
「ジョンさん……」
「ここから先は引き返せない、決めるなら今だ。どうする?」
口ではこう言ったが、私の中にはミシェルと共に働きたいという不思議な気持ちが湧いている。
常に明るく人を気遣う彼女の人柄が、そうさせるのかもしれない。
彼女の為を想うなら「今すぐ本部に転属希望を出してLAから去るべきだ」と忠告するべきなのだろうが、彼女の自由意志を尊重しつつこれ以上の人員不足を防ぎたいという思考を抱く自分もいる。
つまり選択を委ねたのは私の保身の為だ。
そして彼女に選択を任せた理由はもう一つ、ある予感があったからだ。
ミシェルは私の問いに対して僅かに俯いてからゆっくりと息を吐き、そして再び顔を上げた。その表情は決意に満ちている。
「私、知りたいです。このLAに何があって、私達の周りには何が居て、ジョンさんはいつもどんなものと戦っているのか、知りたいです」
予感はしていた。
そもそもミシェルは言葉だけで臆する様な性格ではないし、危険な存在を知ったところできっと関わる事を止めなかっただろう。
彼女は人の為に自ら茨の道を進む女性で、それを私は知っていた。何を選ぶかを知っていたのだ。
私は自らの卑怯な思考と予想通り過ぎる彼女の返答に内心で溜息を吐きつつ、それでも最後の確認を取る。
「本当にいいんだな? 後悔はしないか?」
「……私、捜査官として超常課に配属されて、魔人に攫われたあの日、とても悔しかったんです。何も出来なくて、ジョンさんや他の方々に迷惑を掛けてしまったことが情けなくて、悔しかったんです」
「ミシェル、あれは君の所為じゃない。元はと言えば主任が……」
「分かっています。でも実は私、朧気だけどあの時のことを覚えてるんです。私だけでなく犯人も助けようとしたジョンさんの姿を。その姿がとても格好良くて、私はそれに憧れて、そして思ったんです。『ジョンさんと一緒にこの街の人達を守りたい』って」
「……君が思っている様な人間じゃないよ、俺は」
ミシェルの目に映ったその姿は虚像だ。
あの時の私は彼女が言う様な格好の良いものではなく、憧れを抱かれる様なものでもない。
何故ならば私は欲深き魔人の一人だからだ。
彼女の中で虚像が形を成していられるのは、私から伝えた「ジョン・E・オルブライトは魔人である」という事実以外の知識が無いからだろうと思っていた。
しかしあの場に在ったのは人を守る為に足掻いた結果、犯人を殺すしかなかった愚かな魔人の姿であり、朧気であれ彼女には悍ましく恐ろしいものが見えていたはずだ。
それでも尚、ミシェルが私の隣にある理由――それを彼女が初めて語る。
「それでも、例えこの世界の恐ろしさを知っても、私の気持ちはきっとこの先も変わらないと思います。だって、私はジョンさんの相棒ですから!」
両手でガッツポーズを作り、夜空の星の如く瞳を煌かせる彼女のどこまでもポジティブでいじらしい姿に、私は思わずほくそ笑んだ。
その自信に明確な根拠などは微塵も無いし、きっと心の奥底では深い不安を抱えていることだろう。
それらを押し込めることが出来るのは「私の相棒だから」という事実と、虚像とはいえ私への憧れだというのだから、嬉しくないわけがない。少々むず痒い気もするが。
そして私は気付いた。ミシェルは期待しているのだ。
私が彼女を守り、私が彼女を頼ることを。であればその期待には応えなければならない。
私は一つ息を吐き、己の決意を言葉にする。それが『正しい選択』だと信じて。
「分かった。改めてよろしく頼むよ、ミシェル」
「!……はいっ」
「話はまとまったかね?」
しびれを切らしたマルコムが訊ねたのでそちらに目をやると、彼はいつのまにか執務机から我々の右隣りにあった長机の席に移動しており、微笑を浮かべながら優雅にティーカップを傾けていた。
そして彼の隣には、銀製のワゴンの上でティーポットから琥珀色の飲料をカップに注いでいる司書服(黒ドレス)のホワイトブロンド女性がいる。その姿は先程「ユヌム」と呼ばれた女性と瓜二つだった。これで少なくとも三つ子以上であることが確定した。
「ええ。お待たせしました」
「なぁに、君達にとっては必要な事だろう。もっとも、はじめから彼女にはある程度の知識を授けるつもりだったので、後腐れがなくなったのは僥倖だ」
「最初に言っておきますが、お手柔らかにお願いしますね。ミシェルはまだ少し見える程度なんですから、いきなり悪魔の生態とかの話は勘弁してください」
「それなら君達が知りたいことから話す、というのはどうかな?とにかく立ち話もなんだろう。掛けたまえ」
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