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#0 - スリー・タコス・プリーズ!
1
ジョニー・グリフィンの軽快なスウィングが似合いそうな陽気な昼下がり、私はニューダウンタウンの北東地区を訪れていた。
この地区には色豊かな食べ物や飲み物を載せたトレーラーが大集合するスモーガスバーグ(フードフリーマーケット)の大通りがあり、それらを目当てに訪れる近隣住民や観光客により毎日熱い賑わいを見せている。
ステーキ、タコス、ホットドッグ、ビールからデザートまで、様々な料理が勢揃いするこの大通りを訪れれば誰しも蠱惑的な香りに誘われ、そして気付いた時には腹が満たされ財布は軽くなっているだろう。
かくいう私も、休日であったなら自らの欲望に従って財布の紐を解き、ビール片手にタコスを頬張って鼻歌でも歌いながら練り歩いていたはずだ。
そんな華やかな過ごし方とは対照的に、今日の私はそこから僅かばかり離れたとある廃工場に足を踏み入れている。
この廃工場は大手アパレルメーカーの事業縮小により放置されてから数年間、一切の手入れがされていないらしく、忙しく稼働していた頃とは見る影もなく廃れてしまっている。
錆びついてすっかり固くなった正面扉を強引に動かし、金属同士が擦れる嫌な音を響かせながら暗闇に塗りつぶされた場内に侵入すると、閉じ込められていた肌寒さが全身を吹き抜けると同時に腐った鉄と積もりに積もった埃の臭いが鼻孔を突き刺した。
不快感を覚えつつ携えた懐中電灯を点灯し、暗がりを照らしながら内部に進入する。
一歩進むごとに埃が舞い、電灯の光を反射するそれらは私の目に白い靄の様に映った。
それはつまりこれまで人の出入りが殆ど無かったことを示している。廃物件とはいえ点検業者が定期的に出入りしていてもおかしくないのだが、足跡が全く見つからない。
そしてその理由は、さらに一歩進んだ直後に明らかとなった。
――ギギギギギギギギギギギギギッ!
暗がりから何かが蠢く音と、それに続いてガラスをフォークの先で引っ搔いた様な不快な『声』が幾重も耳に届いた。
灰色鼠(グレイラット)の様な小動物が住み着いている――一般人の観点からすればその様に想像することだろう。
事実、この暗がりは彼等にとって住みやすい場所かもしれない。その実態を確認しようと明かりを音の発生源に向ける。
しかし、正体を明らかにされたそれらは全くの別物だった。
大型縫製機械の影からこちらを睨む数十の目、重なる様に群がるそれらは、犬よりも小さく猫よりも大きい体格と、二足歩行を行う猿にも似た獣の容姿を持っていた。
全身は黒や灰、深緑の剛毛に覆われ、腕と脚は細長く手と足は大きい。
さらに特徴的な点は顔の横に備えている扇の様な大きな耳と、ぎょろぎょろとした二つの爬虫類の目、そして頭頂部に生えた一本の角だ。
獣達は鋭い歯をぎらつかせ、まるでこちらを嘲笑うかの様な鳴声を上げている。
獣にしては不気味な雰囲気を漂わせるそれらは紛れもなく魔物や悪魔の一種であり、私はその正体を確信した。
「こいつ等が『鉄食鬼(グレムリン)』か」
誰に向けたわけでもなく独りごちたその言葉に呼応したのか否か、愉快そうな獣の鳴き声が響き渡る。
凡(およ)そ二・二フィートの大型メガネザルの様な容姿を持つそれらの名称は『鉄食鬼(グレムリン)』。
幼少期に見たジョー・ダンテの映画を連想するが、それに登場したものよりも凶悪に見える。
グレムリンは機械に悪戯をする妖精とされる伝承上の生物であり、小鬼(ゴブリン)等に近い存在だ。
人が彼等に対する敬意を忘れたが故に悪性化したと云われているが、LAの影響でさらに凶暴化して魔物の類となっている様だ。この廃工場を縄張りとして古びた機械を餌にしているのだろう。
今回の仕事はこのグレムリン達を処理することだ。
工場の点検に訪れた作業員が得体の知れない何かに襲われて怪我をしたという通報をLA市警が受け、FBIが要捜査案件としてそれを受理、すぐさま我々超常課まで案件が回ってきたのである。
正直害獣駆除と変わらない仕事内容に辟易としてしまうが、当然グレムリンの様な妖精も悪魔や魔物同様に普通の人間には目に見えず、加えて今や魔物化しているこれらを野放しにするわけにもいかない。
現に奴らは好戦的の様で今にもこちらに襲い掛かって来そうだ。まさに盛りのついた猿の如し。
私は埃を吸い込まない様に小さく息を吸い、そして大きく溜息を吐くと、胸元のホルスターから回転式拳銃(コルト・パイソン)を取り出してグレムリン達に向ける。
その様を見ていたグレムリン達は小首を傾げるが、すかさず撃鉄を倒して乾いた発砲音を轟かせると、奴等は悲鳴にも近い鳴き声を上げながら弾かれた様に四方に散って逃げて行き、凄まじい速さで暗闇に潜り込んでたちまち姿が見えなくなった。
地面に着弾した弾丸はそのまま壁に当たって跳弾となり、数回ほど軽い音を響かせてどこかに消えた。
せめて一匹でも仕留められていないかと思い齧り痕だらけの縫製機械に近寄って確認するが、暗がりで視界が悪く的も小さかった所為か、鉄食鬼の死体どころか血痕すら見当たらない。
仕留め損ねた。
「小さいうえにすばしっこいな。これは骨が折れそうだ」
『背の君よ』
撃鉄を引き起こして次の発砲の準備をしていると、背後に漂う隣人(アネット)の囁きが聞こえた。
「なんだ?」
『たった今背の君が放ったのは熾烈弾であろう。あの群れのどれか一匹にでも撃ち込めば一網打尽に出来るだろうが、それで仕留めてしまって良いのか?』
「……あ、そういやサブミッションがあったな。しかし『生け捕り』と言われてもな……」
今回、主任(サイモン)から任された仕事内容は「廃工場の謎を突き止め解消しろ」というものなのだが、それだけでグレムリンが住み着いていると判断出来るほど私は妖精や魔物の知識に明るくない。
その為、現場に向かう前に例の如くエクスシア本部長(マルコム・バレンタイン)に知識と助言を求めたわけだが、その折にマルコムから「出来ればグレムリンを二、三匹程生け捕りにしてほしい」と依頼されたのである。
予想だにしなかった依頼に抵抗はあったものの、マルコムには事件の度に協力してもらっているのでこちらも厚意には応えなければという気持ちは僅かばかりあるわけで、それに借りばかり作るのは憚られるというか、むしろ溜まりに溜まったツケをどの様な形で要求されるか知れたものではないという懸念が後押しして、私はこれを甘んじて受けることにした。
しかし害獣駆除など初めての経験であり、ましてや今回の対象はただの生き物ではなく魔物だ。
野生動物をさらに凶暴・凶悪にしたものの生け捕り方法など知っている筈がない。
そしてアネットに言われて思い出したが、熾烈弾は魔力を持つ存在と同種の『血』を持つ存在の血と魔力の流れを絶つので、全身を魔力で形成している悪魔と違って肉体が消滅することはないが、一匹に撃ち込めばこの場を巣窟にしているグレムリンは全て仕留めることが出来てしまう。
つまりこの方法であればメインミッションはそう手間を掛けずに達成出来るが、サブミッションは一筋縄ではいかないという事だ。
マルコムには「難しくない」と言われたが、簡単(ベイビー)どころかメインより高難度(ヘビー)なサブミッションだとは思わなんだ。
今頃、私が苦戦している様を想像してほくそ笑んでいるであろうマルコムに対して脳内で適当な呪詛の言葉を並べつつ、二つのミッションを達成する良い方法がないかを考えていると、背後のアネットが再び囁いた。
『背の君よ。考えあぐねているのであれば、ここはひとつ吾(われ)が考えた手を使ってみるのはどうだ』
「どんな手だ?」
『従僕を使う』
「従僕? それって、『赤い本』に載っている奴等のことだよな」
『そうだ。幽世から現世へ呼び寄せ、使役する。それが従僕だ』
赤い本――私の魔人としての力の一つであり、数多の悪魔や魔物の真名や特徴が記載されている書物だ。その内容は知識として全て私の脳内に刻まれている。
この書の原典は私を魔人たらしめる大悪魔『Baal(バアル)』が所持していたもの。
私が以前に従属させた『独りよがりな針(Smug Sting)』以外にも既に様々な悪魔や魔物達の名が記載されており、私はそれらを使役することが出来る。そうアネットは語った。
ただし、これを実際に使ったことはまだ一度もない。そもそも私は従僕の使役の仕方を知らないのだ。
宝の持ち腐れとは正にこのことだが、魔人の力を普段使いすることに抵抗があったのも事実だ。
その心底には「これ以上人間から遠ざかりたくない」という感情があったのかもしれないが、同僚のアダム・デイヴィッドから「今の自分をもっとよく理解しろ」という助言を受け、さらに悪魔の力を使って魔女狩りの魔人を屈服させて以降の私は、もはやその感情を殆ど失っていた。
結論、使えるものは使う。人々を守る為には「私が人間かどうか」など関係無いのだ。
私は素直にアネットから指示を仰ぐことにした。
「どれを呼び寄せればいいんだ?」
『『独りよがりな針(SmugSting)』と『慈悲深き鎖(Pius Python)』の二体だ。さぁ唱えよ』
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