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「おっとこらいけねぇ、はいよ!気に入って貰えるといいんだがねぇ」
彼が傘をそっと畳み、彼女へと両の手で差し出す。女はそれを片手で受け取り、何やらじっと眺めている。
「…あの頃と変わらない美しさだわ。あの人の姿が今も浮かんでくるよう…」
傘をすぅっと優しく撫でつけ、それを見つめ続ける女の瞳からは先程と同じくぽたり、ぽたりと雫が落ちてくる。
「もしやその傘、本当にご主人ので?」
「ええ、何故かこれを持って飛び出していたのを思い出してね。きっと、これしか彼の物が残っていなかったからこれを拠り所にしてたのよ、あの頃の愚かな私は」
嘘だと思ってたのかしら。そう睨めつけるかの如くな声音と表情は先程とは打って変わり、微笑みを浮かべる、まさに優しい菩薩の如く顔をしていた。
驚きだ。あの気難しいで評判の女がこんな表情をするなんて。
もしかしたら、何もかも無くしたが故に、恨み妬み故に少々性格が固くなってしまっただけで、根はとても優しいただの女なのかもしれない。なんとも難儀な事だ。
「さ、話はここまでよ。悪かったわね。変な話までして」
ぱっと表情を戻し、駄賃を彼へと差し出す女。彼はそれを笑顔ながらも、ぺこぺこと受け取る。
「いや、人様の物語は好きっていいやしただろ?それとまあ、息子さんに会える事を俺も祈ってまさぁ」
「余計なお世話よ。……まあ、また頼むわね」
「っ、へい!おおきに!」
惣伊之助が白い歯を大きく見せる。女はまた頼むと言った。気に入って貰えた証拠だ、それだけで彼の胸はぽかぽかと春の如く温かさで満ち溢れる。
そして女は、やがて立ち上がり、暖簾を潜り抜けこの店を出て行く。
雨はもう、上がっていた。
彼はそれを見送る為に、同じく立ち上がり、戸に身を委ね暖簾から彼女の後ろ姿を見届ける。
すると、何やら道の真ん中で女が立ち止まりとある方向に顔を向けていた。その顔は唖然一色。
訝しげた惣伊之助はその視線を辿ると、そこには己より少々下程の、一人の男が立っていたのだ。
その男も同じく、女を唖然と見つめていた。
「…おっかあ…」
男がぽつり、だが聞こえる程の声で一言溢した。
───嗚呼、会えたのか、よくやく会えたのか。
二人はそのまま地を蹴り上げ、抱き付き、強く強く抱き締め合う。
お天道様に照らされる雨上がりの水溜りが、まるで二人を祝福するかのようにきらきらと輝いていた。
ずっと、ずっと二人は抱き締め合っていた。
きっともう、彼女は一人ぼっちの寂しい女ではなくなるだろう。ただの優しい母親に戻るだけだ。
「これが、傘によって紡がれた出会い──なら、いいんだがねぇ」
"まっ、そりゃ言い過ぎか!"と惣伊之助は一人呟き、覗き見するのも野暮だと笑いながら店内へ戻る。
「──ごめんください」
嗚呼、また一人、物語が紡がれる。
己によって、雨によって、傘の様に織り成される。
「へいらっしゃい!」
今日も明日も、彼は笑顔で傘を紡いでゆく。
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