切り裂き紳士

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低く、少しだけ掠れたバリトンボイス。それが何者であるのか、アレックスにとっては不明だが、声のする方角は明確にわかっていた。 「……俺の死体をどうするって?」 続け様に放たれる声も、やはり同じ方角から。 ゆっくりと振り返るアレックスが見つめる先は、自身がさっきまで居た拠点民家のリビングである。 「……誰だ?」 表情をそのままに、とてもリビングまでは届かぬ声量でのつぶやきをあげる。 が、近くに居るリンジーとロベリアには聞き取れており、二人はそれを自分達への質問として受け取った。 答えは、 「エボニーナイト……!?」 アレックスと同じくリビングに目を向けたロベリアが、驚愕の表情を浮かべて漏らしたつぶやきによって導き出される。 三人の目には、いつの間にか民家に侵入し、リビングの椅子に足を組んで座る一人の男が映り込んでいる。 黒のドレッドヘアー。額には斜めに獣の爪痕のような裂傷の痕が三本あり、それは左頬から首にかけても三本の線が引かれるように刻まれている。 瞳は、右が黒で左が茶色。目は細いが眼光は鋭く、高い鼻の下にある口は右側だけが裂けており、唇を閉じても数本の歯が常に露出している。 服装は、高級感溢れる黒のスーツ。革靴の艶も見事なもので、白い大理石を思わせるネクタイをしていた。 「あり得ない……!」 続けてのつぶやきも、ロベリアのもの。その一言には二つの意味が含まれていた。 一つは、誰にも気づかれずにリビングへと入り込み、彼女らの会話に耳を傾けていたということ。 空からはロベリア自身が、地上や地下からはルーベンが、それぞれ技能と秘法を用いることで、周囲の索敵を怠らずに警戒態勢を敷いていた。 二つ目は、現れた人物について。 「くだらねぇギャグをこいてる暇があるんなら、さっさと逃げた方が賢明だろうよ。例えそれが、虫けらの糞みてぇに無様なものでもな」 外にいる三人へそう言い放つ男を、リンジーとロベリアは知っている。 インフィニティ幹部候補、アントニオ・マウンテン。”狂った黒檀”と呼ばれ、倉庫番衆を率いる立場にあり、この暗黒街で最大の権力を持つ男。 そして、幽鬼を作り出した張本人。 「……なんであんたがここに!?」 驚きを隠せないのは、リンジーも同様だ。 エボニーナイトは、本人が根城とする高級クラブ、エボニーサークルを離れない。 刻印を与えた物質を自在に変形する能力は、自陣にて最大の効果を発揮するからだ。 そんな力を持つ男が、わざわざ”超人”の拠点に出向くことなど、誰が予想するのか。エボニーナイトを知っているからこそ、リンジーさえも彼の登場を予測し得なかった。 「これ以上、俺の街で色々な面倒を起こされても困る。お前らのことだ」 そう言って、エボニーナイトは椅子に座ったまま三人を指差した。 「「ッ……!?」」 途端にリンジーとロベリアが、その指の延長線上から慌てるように退く。 刻印を与えられたら、一巻の終わり。その方法が判明していない以上は、エボニーナイトの一挙手一投足を警戒する必要がある。 「フフン、面白い動きをするなぁ……そうやって知能の低い小動物みてぇに跳んでるところを見ると、さすがに俺の力は聞いてるってことか」 幸い、リンジーとロベリアに赤子の手形が刻まれることはなかった。エボニーナイトは小馬鹿にしたような態度で嘲笑を送るが、二人は小さく安堵のため息を漏らす。 「……なるほど、てめぇがエボニーナイトか」 現れた敵を前に、身構えることしかできない二人を尻目として、アレックスが一歩踏み出す。 「エボニーナイトだと!?」 ここで、幽鬼を仕留めたルーベンが三人に駆け寄り、合流を果たしたことでリビングのエボニーナイトを目にする。 「あんた、索敵は?」 「していたが……感知できなかった。何かの力を使って拠点に忍び込んだというわけか」 小声でのロベリアの質問に、ルーベンも同様の声量で返す。 それを聞いたリンジーは警戒態勢を維持しつつ、最大限に思考を回転させる。 「赤い髪の客人は、死神からのリストに入ってなかったが?」 椅子に座ったまま少しだけ顎をあげ、アレックスに対して見下すような視線と口調で言い放つエボニーナイト。 彼の腰には、なぜか木剣が挿していない。リンジーやロベリアは角度的に見えないものだと思っているが、実際に腰には何も装備されていなかった。 「”満月騎士団”、第八騎士……アレックス・モルエアだ」 紅蓮の刀身をエボニーナイトに向け、怒りが滲み出た表情で名乗りをあげる。 「騎士? ハッ、誰かと思えば戦争の負け犬か。いいや、それとも今は”超人”のご機嫌をとる飼い犬になっちまったか?」 「てめぇが並べる御託を聞いてやる余裕はねぇよ。正々堂々と戦ってやるつもりもねぇ……てめぇは今から俺が殺す!」 挑発的な態度をみせるエボニーナイトに、アレックスが抱く怒りは膨らむばかりだ。 「残りの幽鬼が来るわ……あたし達だけでも離脱しましょう」 「それが無難ね……」 アレックスとは違い、リンジーはロベリアの忠告に従って離脱を選択。さすがにエボニーナイトと正面から向き合うのは、彼女達にとってリスクが高すぎる。 「ルーベンは?」 「私は”大火事”を補佐しよう。無茶はしないが、奴はここで確実に殺す」 暴風を起こしたロベリアの質問に、視線を向けず答えるルーベン。 「悪いが情報収集とはいかねぇ。奴を殺して秘宝を奪ったら、幽鬼を元に戻さねぇとよ!」 そう言って、エボニーナイトの居るリビングへと駆け出すアレックス。 「飼い犬が吠えてるぞ? ちゃんと(しつけ)てないようだな」 余裕の態度を崩さないエボニーナイトの発言の後で、場が一勢に動き出した。
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