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オレンジハットがそう言いながら帽子に手を当て、両目をそっと閉じると、瞼から溢れ出ていた黄金の輝きが消える。
それを隣で眺めていたM・クラフトは、一瞬だけオレンジハットの帽子に視線を移した後で、遥か前方にいる人物へと顔を向け直した。
「……知っているのか?」
尋ねる彼の視力では、人物の顔はおろか姿形さえまともに判断できない。
それでもオレンジハットの口振りから、警戒に値する相手ではないことを察した。
「詳しく知っているわけではないけどね」
現に、答えを返すオレンジハットは帽子から手を放し、戦闘態勢を解いている。
「タイミング的に……君は知らないかな? もしかしたら噂くらい聞いたことがあるかもね」
「……何の話だ?」
「会えばわかるよ」
そう言ってオレンジハットが指を鳴らすと、二人の頭上に白い大きな布が出現し、瞬く間に広がって彼らに被さり、覆い尽くす。
「”瞬間移動の手品”」
再び、オレンジハットは指を鳴らす。
すると彼らは、今まで立っていた場所から大きく移動しており、中央街の通りにいるのは間違いないが、眼前には巨大な泥の塊がある。
「なん……!?」
慌てて警戒態勢をとるM・クラフトだが、すぐに理解した。
ここは、遥か前方に見えていた場所。つまりは謎の人物へと近づく為に、オレンジハットが秘宝の力の使用したのだ。
「やぁ、テース以来だね」
帽子に手を当て、深く被り直すオレンジハットは、すでに眼前の人物へ話しかけている。
それを人間と判断できるのは、首から上だけ。
あとは多量の泥に埋もれており、泥の塊そのものは幅の広い石畳の通りを寸断するほどに巨大なものだ。
さらに周囲の石畳を覆うように、泥溜まりが広がっている。
「君が生きているとは思わなかったよ」
それを気にかけることなく、言葉を送り続けるオレンジハット。
彼が話しているのは、女性。長い金髪には丁寧なウェーブがかかっているが、今は泥に汚れて傷み切っており、気品のある顔立ちだが、表情は虚ろといえるものだ。
「テースだと?」
オレンジハットが発した単語に、反応を示すM・クラフト。
西大陸の内陸国で起きた暴動事件は、彼が”彩壇島”にて失踪を遂げた八ヶ月後の話であり、その間も行方を暗ませていたM・クラフトは、その一ヶ月後に自力での復活を遂げるまで、世界の情報を仕入れることはできなかった。
故に、テース事件については終息後、数人の組織員を脅して吐かせた程度の情報しか知らず、当時あの国に集まっていた者達の詳細や、様々な目的が複雑に絡み合った戦いの結果も、組織の一般会員が知っているほどの情報しか得られていない。
「……テース……ね。どこかで見た顔だと思ったら、あなたテロリストの一人ね」
もぞもぞと蠢く泥の塊から顔を出す女性は、虚ろな表情をオレンジハットに向け、発言を返してきた。
しばらく振りに声を発したらしく、酷く掠れている上に声量も小さい。
「単身テロリストなのは、君も同じだろう?」
しかし、オレンジハットにはしっかりと聞き取れていたようで、帽子から手を放しながら不敵な笑みを浮かべ、言い放つ。
”宝石収集家”、ジュエリー。
かつてのテース事件において、迷宮の街に集まった六人の単身テロリストの一人。
”七大秘刀”の使い手であり、組織に捕らえられる以前まではノーフェイス、ヒートスキン、Drパラノイアと肩を並べるほどの過激派として、世間に恐れられていた。
「正直な話、君はあの場で殺されたと思っていたよ。よく生きていられたね」
当時、ジュエリーを直接的に捕らえたのは幹部バックアップ。
彼女があの場で手を下さなかったとしても、オレンジハットからして、組織にジュエリーを生かす理由があるとは思えない。
しかし現に、ジュエリーは生きている。
”晩餐会”に弄ばれ、葬られることもなく、ただ泥の塊に埋もれているだけだ。
「なるほど……さっきから連中が騒がしいのはあんた達が原因だったってわけ?」
「騒がしい? そうなのかな? ここに放牧されている怪物達にとっては日常じゃないのかい?」
「あんたも物好きなのね。わざわざ”狂人”が管理する場所に潜り込んだ挙げ句、こうして連中の巣にまでやってくるなんて」
「僕だって、好きで入ってきたわけではないさ。色々と事情があってね……でもそんな話をする前に、一ついいかな?」
オレンジハットは泥に埋もれるジュエリーを見上げ、右手の人差し指を突き立て、見せつける。
「君、なんで生きてるの?」
その疑問は、彼女の姿を見た者なら至極当然に浮かび上がる疑問であるだろう。
両者の会話を聞いているM・クラフトは、まだ彼女が何者なのかわかっていない。
「さぁ、なんでかしらね?」
そんな彼に構わず、答えを返すジュエリーの虚ろな表情に、薄く笑みが浮かんだ。
「おい奇術師、こいつは何者だ?」
ここで、M・クラフトは泥の中にいる女性についての質問をオレンジハットに投げる。
「ああ、彼女はジュエリー。テース事件に集まった単身テロリストの一人さ。本名は知らないよ?」
M・クラフトからの質問に、指を立てた手を下ろして素直に答えるオレンジハット。
「ジュエリー……か。噂は何度か耳にしたことがある。中央大陸で活動していた過激派だろう? 随分と前に死んだと聞いたが?」
「組織は私を殺さなかった。ここに放牧された”狂人”も同じよ」
自身に険しい表情を向け、つぶやきをあげるM・クラフトに対し、ジュエリーは虚ろに微笑んだまま言葉を返す。
「その理由を、君は知っているかい?」
続いてオレンジハットから、先程と同じような質問が飛ぶ。
「知らないわよ。でも、ここにいる怪物達が言っていたわ」
再びオレンジハットに視線を向けた彼女は、何やら考える素振りをみせた後で、ゆっくりと間を置き、口を開く。
「私には素質がある……とね」
ジュエリーはテース事件の際に、”七大秘刀”を始めとした伝説の秘宝や、数多の宝石を香りで認識していた。
本人はまだ知らないが、それは”晩餐会”の全員が持つ力と同系統のものである。
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