血染めの泥人形

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ーーーーー 同じ頃、”倉庫”内部に存在する草原地帯に、一人の男が立ち尽くしていた。 酷く曲がった猫背、体躯を覆い尽くすほどに長い汚れた銀髪。その髪の隙間からは、黄色く濁った瞳が覗いている。 ”晩餐会”の会長にして、インフィニティ幹部の一人、セシリアン・マクドーマンド。 ”血を啜る死神”。コードネーム、リーパー。 彼はただ、足首まで生い茂る草原に、無言で立ち尽くしていた。 隣には、血によって薄汚れた銅色の巨大な棺。上部に取り付けられた赤子の顔の装飾、その両目に空いた小さな穴からは、少量の血が絶えず流れ落ちている。 地平の全てを覆い尽くす草原は、付近に埋められた伝説の秘宝の影響で作り出されたものであり、見上げれば天井は存在せず、暖かな日の光と空に浮かぶ様々な形状の雲が確認できる。 周囲には、少し離れた位置に無数の木箱が列を成して積み上がっており、どこからか吹き付ける乾いた風が、常に草原を揺らす。 「……」 無言のリーパーが見つめているのは、美しい草原には似合わない、目の前にある不自然な泥溜まり。 そこから送り込まれて来るものを、彼は楽しみに待っている。 週に一度の”貢ぎ物”。 だが今回は、これまでと少し違った。 「……ぶはッ!?」 泥溜まりから無数の気泡が湧き上がり、順を追って弾けていく中で、中心から一人の男が飛び出し、泥の上にうつ伏せとなる。 短い黒髪、瞳は藤色の輝きを帯びており、額には鳥の足跡の紋様が薄く浮かび上がってはすぐに消え、大柄な体躯を橙色の炎に包み込む。 暗黒街オレスファーにて、”運び屋”を務める立場にあるジョンDから内部へと転送されてきた”貢ぎ物”は、月光修道会の生き残りにして”円卓騎士団”の一人、トリスタンと呼ばれる男だ。 「……」 リーパーは、泥溜まりから現れたトリスタンをただ見ている。 暗黒街で彼を拘束していた鎖はすでに無く、自由の身となっている。自らに刻まれた秘紋型の秘宝、”フェニックスの爪痕”によって、拷問で受けた傷も完治済み。 「ぐッ……ゴホッ! ゴホッ!」 激しく咳込みながらも、うつ伏せの体勢から泥の上に両手をつき、ゆっくりと立ち上がるトリスタン。 全身を包んでいた橙色の炎も消え、泥にまみれた黒のスーツを整えつつ、顔をあげた彼の目に、ようやくリーパーの姿が映った。 「……」 しかし、リーパーは動かない。 今回の”貢ぎ物”に関しては、彼にとって不可解な要素がいくつかあった。 暗黒街オレスファーを牛耳る倉庫番衆の面々は、”晩餐会”との取り決めを必ず守る。 週に一度の”貢ぎ物”に関するルールもいくつかあり、まず第一に対象を拘束せず、自由の身として送ること。次に、決して対象を傷つけることはあってはならない。 以上のルールは、現時点では確かに守られているといえる。 問題は、週二回の”献上品”とは違い、送られてくる対象は、秘密結社や裏社会に関係のない一般人でなくてはならない。 そのルールが、今は破られている。 トリスタンを見つめるリーパーの黄色く濁った瞳は、確かに彼の額に紋様が浮かび上がり、全身を炎に包み込んだ光景を映していた。 「……」 それでもまだ、リーパーは無言で立ち尽くす。 不可解な要素は、”貢ぎ物”そのものに対して以外にも存在していた。 それは、他の”晩餐会”の不在である。 ”貢ぎ物”は彼らにとって、週に一回の楽しみ。 対象とは確実に”契約”を行い、その者を自由に弄ぶ権利に縛りつけ、彼らは欲望を満たすのだ。 「……」 だが今、ここにはリーパーしかいない。 ”貢ぎ物”としてこの場に送り込まれたトリスタンにとっては、幸運と呼ぶべき状況であるのだろう。 「……貴様は……ゴホッ……何者だ……?」 立ち上がったトリスタンは、眼前に立ち尽くすリーパーを睨みつけ、口元を拭って呼吸を整える。 「……」 自身に向けられた問いに、リーパーは無言のまま答えを返そうとしない。 (……あの棺……何かヤバい……) その間にも、トリスタンは思考を回して状況を整理していく。リーパーの隣に置かれた銅色の棺にも目を向け、場を包む異様な空気を感じ取っていた。 これまでの状況から、ここが”倉庫”の内部であることは間違い無い。 彼は鎖に縛られたままジョンDによる拷問を受け、修道会の計画通りに本部襲撃の情報を流した後、車のトランクに入れられて”エリア77”へと運ばれ、鎖から解き放たれてすぐに、道路を寸断する泥溜まりへと投げ込まれた。 「……そうか……貴様が”晩さ……」 全てを察したトリスタンがそう声を発した瞬間、彼の発言は遮られ、胸部には赤く煌めく針が突き刺さる。 「……ぐぁ!?」 突然の出来事に、痛みに表情を歪めて後方へとよろめくトリスタン。 彼の胸部に刺さった針は二本で、すぐに赤い血となって垂れ落ち、泥溜まりを染めていく。 「……ぐ!」 その場に片膝をつき、穴の空いた胸部を右手で押さえ、悶絶するトリスタンだが、直後に額に紋様を浮かべ、傷口に炎を灯すことで治癒を行う。 「……なるほど」 その様子を見つめるリーパーから、この場でにおいて最初の声が漏れる。 「これはこれで……楽しめるということか」 ”貢ぎ物”となった人間が、伝説の秘宝を所持しているなど本来はご法度である。 だが、リーパーはその力を目の当たりに瞬間、自らの意見を変更。 「新しい運び屋め……粋な計らいをする」 自身の左側に置いた銅色の棺に軽く触れ、ゆっくりと一歩、トリスタンに向けて踏み出すリーパー。 「じきに他も集まるだろう。それまで生き延びられるといいが……」 「貴様がリーパーか……悪いが、貴様の思い通りになると思うなよ?」 再び立ち上がったトリスタンは、額に紋様を浮かべたまま全身を燃え上がらせる。 彼の姿は瞬く間に燃える鳥人間と化していき、顔には鋭い(くちばし)を持ち、両腕は猛禽類のように長く尖った爪が生え、背には橙色に燃ゆる翼が出現する。 「”倉庫”への潜入が、私に課せられた任務。邪魔をする者は、誰であろうと排除させてもらう」
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