インフィニティ本部襲撃

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途端に、灰色の液体が滲んだ赤い煉瓦の地面から、多量の煙が噴き上がる。 それは一呼吸分の接種量で、成人男性679人を5秒以内に死に追いやる猛毒の煙。 かつてリンダン諸島に存在した百ある島を殺した実績を持つ、レイド・フッズエールが自身の手によって作り出した兵器の一つ。 無機物や有機物に限らず、毒液が染み込んだものを媒介にして毒煙を発生させ、媒介そのものを瞬く間に拡張し、無限に増殖する猛毒。 その規模は、使用者であるレイドの意のままに操ることが可能であり、この大国ハーティ全ての領土を毒煙に覆い、国そのものを殺すこともできるが、今は彼の意思によって増殖が抑えられている。 それでも、発生した灰色の毒煙は広場全体を覆い尽くすだけでなく、一列に並んだ七つの漆黒の時計台の全てを呑み込むだろう。 唯一無事な場所は、レイドの指定した通りに作り出される。この広場に来る前にもランスロットと確認をし合っていたが、”涅槃時計(ニルヴァーナ)”の地下に存在する施設には毒煙は及ばない。 だが当然、場にいる者達はただでは済まない。 レイドの”毒葬”は、彼の手によって毎回毒の成分が代わり、ガスマスクで過去の毒煙を防げたことはあっても、今回の”毒葬”に効果があるとは限らない。 「おいおい、いきなりか……一応、この”涅槃時計(ニルヴァーナ)”は世界遺産なんだがな」 ガスマスクを装着したノワールは、眼前で拡張を始める毒煙からできるだけ距離をとる為に、素早い動きで後方に立つ四人の近くまで後退。 レイドは追撃を仕掛けることなく、自らも後方へと退いていく。地面から噴きあがる毒煙によって互いの視界が遮られるが、煙の軌道さえも意のままに操ることのできる彼は気にしない。 『向こうが集めた戦力は、大方こっちの予想通りだったな』 後方に立つ四人の近くまで後退したレイドは、肩越しにランスロットへ顔を向け、ノイズ混じりの声をあげる。 「ああ、皆は手筈通りに動け。この襲撃は夜のうちに終わるだろう」 ランスロットがそう言うと、アーサーやベンジャミン、アルバレスらが動き出す。 「それじゃあ、やろうかい」 「……」 「とりあえず俺は空から爆撃だな。ある程度、毒が敵地を覆ってからだが……」 彼らは迷わず、毒煙の中に突っ込むつもりらしい。 無論、毒煙を浴びて無事で済むはずもないが、彼ら四人は予め、レイドから渡された毒の中和剤を接種している。 その効果は数時間で途切れるものだが、中和抗体が体内に存在している間は、毒煙の中を好きに動き回れるのだ。 「……面倒くせぇ真似をするねぇ」 媒介を拡張させ、迫り来る灰色の毒煙を眺めながら、突撃銃を抱えたコマンドーがため息混じりに冷静なつぶやきをあげる。 「これって、このままじゃこっちは全滅ッスね」 「……くだらん」 続けて発言をあげるパニッシャーとアスワドも、迫る”毒葬”に対して慌てる素振りは微塵もない。 「おいブラック」 「わかってますって」 次に、後退してきたノワールがブラックに指示を送ると、彼は背の銃剣を素早く両手に握り、空へ向けて発砲。 引き金の箇所に取り付けられたパネルのギミックによって、撃ち出されたのは赤く燃える照明弾。 それが夜闇の空に放たれ、多量の空気が漏れ出すような音を立てながら空中を漂っていく。 次の瞬間、 『……あ?』 最初に違和感を覚えたのは、毒煙を発生させたレイド本人。 「……」 続いて無言のアルバレスが、今は無造作に噴き出し続けるはずの毒煙が、異様な揺らぎをみせ始めたことに気づく。 ”毒葬”は、かつてインフィニティに所属していたレイド・フッズエールを代表する力。 そのレイドが襲撃に参加するという情報を掴んだ時点で、多くの軍勢を広場に集めたメイスン部隊の者達は、おそらく”こうなる”であろうことは予測していた。 ”猛毒と共に歩く男”と呼ばれ、”大量破壊兵器”の一人と謳われたレイドを前に、数の優位が働くことはない。 だからこそノワールは、自分の部下や山脈から派遣されてきた戦力の他に、有用な者達をこの場に招集していたのだ。 『……チッ、マジかよ』 レイドがそうつぶやいたことで、ランスロットやアーサー、ベンジャミンが、噴き出す毒煙に異変が起きたことを察する。 「さすがに、これだけで全滅とはいかないようだな」 『全滅どころか、これじゃ一人も死んでねぇ。あのクソ野郎……厄介な女を連れてきやがって……!』 毒煙の操作権は、レイドにあるはずだった。 が、彼の意思に関係なく、噴き出し続ける毒煙は拡張を止め、突如として激しく渦を巻くと上空へ昇っていく。 敵も味方も、誰もが”毒葬”の影響と被害を受けないように、空へと昇る毒煙はレイドの操作が及ばないまま、夜闇を灰色に埋め尽くしていく。 「なんだよ、作戦は失敗か?」 渦を巻いて上空に昇り続ける毒煙を見上げ、顔をしかめたベンジャミンが不満げな口調で質問を投げる。 「いや、予定に変更はない」 だがランスロットは、右手に円錐型の槍を握りしめたまま、そう言って前進を始める。 「このまま任務を遂行する」 続けてランスロットが皆に指示を送ると、地面から噴き出していた毒煙が止まった。 意図しない操作が行われ、”毒葬”の機能が強制的に停止したのだ。 直後、 『”燃ゆる鏡の森の竜(ジャバウォック)”』 どこからか、耳を刺すように高く、それでいて心臓に重くのしかかるような低い声が広場に響いた。 それに反応するように、上空へ昇った多量の毒煙が、翼を持たない巨大な竜の姿へと押し留められていく。 「なんだありゃ?」 『あの女……!』 毒煙に起きた異変を見上げ、尚も顔をしかめて立ち尽くすベンジャミンの隣で、自らの毒に何が起こったのかを理解したレイドは、右手に青白い輝きを纏い、仮面の下で額に無数の青筋を立てる。 「奴らの望みは戦争らしいぜ? たっぷりともてなしてやろうじゃねぇか」 だがそれよりも早く、上空に気を取られている彼らの隙をついて、ノワール達が動きをみせていた。
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