切り裂き紳士

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「油断するな。あの程度で仕留められるなら苦労はしない」 余裕の態度をみせるアレックスに、ルーベンが前へと踏み出しながら忠告を投げかける。 『ウゥ……クルシイ……イタイ……イタイヨォ』 うつ伏せの幽鬼は、全身から黒煙をあげつつもゆっくりと宙に浮き上がり、体勢を直立するように起こす。 「全部で五体よ、どうするの?」 同時に、上空から降下してきたロベリアがリンジーのすぐ後ろに着地。空で視認した現状を共有して、応戦か離脱かの判断を仰ぐ。 「五体? さすがにそりゃマズいな」 前方の幽鬼を警戒しながら、アレックスは肩越しに後方へ顔を向け、苦笑混じりの発言を投げた。 「他の四体はかなり遠くまでふっ飛ばしたから、今なら離脱が可能だと思う」 ロベリアはアレックスに視線を向けることなく、あくまでもリンジーへ状況を説明。 「どっちにしろ、そこにいる奴は仕留める必要があるってことか」 それを聞いたアレックスが、自己的な判断で前へと踏み出し、柄の先に紅蓮の刀身を形成していく。 「やるなら手早くだ」 ルーベンも、彼に賛同するらしい。強く握りしめた木槌を構え、また一歩と幽鬼に向けて踏み出す。 「来たのは幽鬼だけなの? そんなはずないと思うけど」 周囲に無数の鎖を浮かべ、思考を巡らせていたリンジーが口を開く。 「空にいたのは五体の幽鬼だけね」 彼女の言葉に対して、ロベリアは再び夜空を見上げて答えを返した。 『……モウ……モウ……オワリニシテヨ……』 リンジーが決断する前に、震えた声でのつぶやきをあげる幽鬼が臨戦態勢に入る。 鈍く軋む音を連続して響かせ、その後で無理やり肉を引き裂くような嫌な音を鳴らす。 すると、幽鬼の細く長い右腕が萎んでいき、代わりに左腕が大きく肥大したかと思うと、巨大な包丁の形状へと変化する。 「あれを始末するなら、膨らんだ腕を突き刺すのが一番早い」 「ああ、昼間に見た。それ以外の攻撃はあまり効力が見込めないこともな」 ルーベンとアレックスが会話を交わし、二人は同時にそれぞれの武器を構える。 現状はひとまず、前方の幽鬼を始末すること。その間にリンジーとロベリアが、応戦すべきかどうかの決断を下すだろう。 『タスケテ……ネェ……ダレカ……』 幽鬼は包丁と化した左腕をゆっくりと振り上げ、空に向かって懇願するようなつぶやきを漏らす。 その時、 『オカァサン……タスケテ……』 震えた声で発せられた言葉を聞き、リンジーとアレックスの動きが止まる。 「……昼間に見た奴より小柄だと言ったわよね?」 すぐにリンジーは、紅蓮の刀身を構えるアレックスに質問を投げた。その内容を聞いて、ルーベンとロベリアも遅れて察する。 「ああ、言った。こうして向き合ってるとよくわかる……昼間に比べて身体そのものが小さいってことがな」 幽鬼に顔を向けたまま答えるアレックスの額には、無数の青筋が立っていた。 『オカァサン……オトゥサン……オネェチャン……ダレカ……タスケテ』 前方で肥大した腕を振りあげている幽鬼には、まだ本人の意識と記憶が残っているらしい。 そして”彼女”が助けを求めている相手は、身近な人間であった。 「幼い少女を……幽鬼に変えたというのか……!?」 つぶやきをあげるルーベンの声は、凄まじい怒りによって震えている。 無言を貫くリンジーとロベリアの額にも、彼らと同様に無数の青筋が立ち、内から湧き上がる憤怒を抑えることもせず、四人共が怒りに満ち溢れた表情を浮かべている。 『オカァサン……オカァサン……!』 包丁を振り上げたまま低空を浮遊し始める幽鬼の目からは、赤く濁った涙が流れていた。 『……クルシイ……クルシイヨ……』 「オイ、嘘だろ? エボニーナイトってのはここまで屑野郎なのかよ?」 現状で優先すべきは幽鬼の始末。しかしそれは、目の前で苦しみに嘆く少女を殺すということに代わってしまった。 「元に戻す方法はないのか!?」 思わず声を荒げ、三人に尋ねるアレックス。 「……ええ、ないわ。少なくても今、この場所では」 答えるのはリンジー。湧き上がる怒りによって鬼の形相となっている彼女は、決断に使うはずの思考を止めてしまっている。 「エボニーナイトをブチ殺せば、奴の秘宝を奪って元に戻せるんじゃねぇのかよ!?」 「わからないわ! でも、奴の居場所はここと離れ過ぎてる! 今はどうにもならないのよ!」 「そんなこ……」 「来るぞ!」 アレックスとリンジーの会話が荒々しい言い争いとなった矢先、幽鬼が動き出したことを見たルーベンがそれを遮る。 『イャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』 絶叫をあげ、凄まじい速度で低空を飛行し、正面からアレックスに接近。 それを、 「”馬尾(ポニーテール)”!」 鉄製の櫛を前にかざしたリンジーが、無数の鎖を束ねて一本の巨大な鞭とし、薙ぎ払うように振り抜くことで幽鬼にぶつけ、後方へ弾き返す。 『イャアアアアア! オカァサン! オカァサン! モウヤメテェ!』 まともに鞭の一撃を受けた幽鬼は、目立った外傷こそないようだが、本人を襲う苦しみは皆の想像を絶しているらしい。 『ァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアア!!』 勢いよく地面をバウンドし、民家の壁に激突して煉瓦を崩す。 下半身が瓦礫に埋もれ、またもうつ伏せとなって身動きがとれないようだ。
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