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「鎖で拘束すれば動きを止めていられるんじゃないか?」
崩れ落ちる民家の壁に下敷きとなっていく幽鬼を遠目に見つめ、紅蓮の刀身を構えるアレックスから提案が投げられる。
「拘束してどうするのよ?」
鉄製の櫛を右手で細かに振るい、鎖を束ねた巨大な鞭を手足の如く動かすリンジーもまた、前方に倒れる幽鬼からは目を離さずに質問を投げ返す。
「その間に俺が乗り込む。クソッタレ野郎の根城にな」
「無駄だ。幽鬼はエボニーナイトの能力で自在に形状を変化できる。鎖で拘束しても、すぐに抜け出すだろう」
二人の会話に、再度ルーベンが割り込んだ。彼は昼間の戦闘で幽鬼の力を真近に見ており、拘束は不可能だと断言した。
「だったらどうする!? このまま殺すってのか!?」
「殺すしかないわ……エボニーナイトをブチのめしたいなら、この状況を打開しないと」
声を荒げるアレックスとはうってかわって、リンジーは僅かずつだが冷静さを取り戻しつつあるようだ。
「だったら退却だ! 俺達が殺さなきゃ、幽鬼は死なないんだろ!?」
「それはわからないわ。人間を幽鬼に変えた後でも長期間に渡っても従えていられるなら、今まで使い捨てにしてきた理由がわからない」
リンジーがそう言うと、瓦礫に埋もれた幽鬼が必死の形相で這い出してくる。
依然として左腕は巨大な包丁のように膨らみ、それに加えていつの間にか両足が肥大化している。
その大きな足で強く地面を踏みしめ、うつ伏せから立ち上がった幽鬼の頭部が、青い炎に包まれた。
『ァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアアァアアアア!!』
まるで地獄の業火に灼かれているかのような叫びをあげ、周囲一帯の大気までも激しく震わせる。
「残りの四体も近づいてきてる……どうするのか早く決めた方がいいわ」
不意にロベリアから、口論する三人へ忠告が入った。彼女が彼方にふき飛ばした幽鬼は怯むことなく活動を続けており、様々な方角から接近してくるのが技能によってわかる。
「……仮にあの幽鬼を見逃しても、エボニーナイトは我々と戦う際に”彼女”を盾として使うだろう」
それを聞いたルーベンから、アレックスへと説得に似た発言が飛んだ。
「奴を殺すには、先に周りの幽鬼を殺す必要がある。あれほどの力を持った存在を単体の時に減らせるのなら、今ここでやるべきだ!」
意外にも、四人の中で最も早い決断を下したのは、木槌を握って駆け出したルーベンだった。
”超人”たる速度で幽鬼に近づき、包丁のような左腕が振り下ろされる前に腹部を蹴りつける。
『オェッ……!?』
激しい衝撃を受け、異様なまでに細く長い幽鬼の身体がくの字に折れ曲がった隙に、後頭部へ目掛けて木槌を叩きつけ、またしてもうつ伏せに打ち倒す。
『……ァアアアア……』
勢いよく地面に打ち伏せ、積もる雪を衝撃で舞い上げる幽鬼は、呻き声を漏らすだけで立ち上がろうとはせず、倒れたまま脱力するのみ。
「……すまない」
ルーベンの震えた声が届いているのかはわからない。
それでも彼は精一杯の謝罪の意を込め、抑え切れない感情に顔を歪めながらも、包丁と化した幽鬼の左腕を掴んで引き寄せ、強引に背へ突き刺す。
瞬間、
『ウワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
頭部を青い炎に包んだ幽鬼から、この世のものとは思えない雄叫びがあがった。
『シニタクナイ! シニタクナイ! イヤダヨ……オカァサン! オカァサァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンン!!』
直後に断末魔を吐き散らし、幽鬼の全身が多量の火の粉となって霧散。跡形もなく消え去り、ただ寒風だけがルーベンを撫で回す。
「殺し……たのか……?」
今の攻防は、一瞬の間に行われていたものである。だが当然、アレックスの目で追えないほどの速度ではなかったが、一部始終を見ていたはずの彼は、まだ何が起こったかを理解していない様子だ。
「……離脱しましょう。他の幽鬼に追いつかれる前に移動できる?」
幽鬼が消えたことで、リンジーは鉄製の櫛を持つ手を力無く下げた。鎖を束ねた巨大な鞭は宙に浮いたままだが、勝手に動き出すことはない。
「今のうちなら……ね」
リンジーの問い掛けに、ロベリアも表情を歪めて答える。
「いくわよ”大火事”。その憎しみをぶつける相手は、今ここにいないわ」
呆然と立ち尽くすアレックスの肩に後ろから手を置き、諭すような口調でリンジーが声をかける。
「俺への指令はエボニーナイトの殺害だったよな?」
紅蓮に煌めく刀身を形成したまま、柄を鞘に戻さずに尋ねるアレックス。
「……ええ、そうよ」
「喜んでやってやるぜ……奴の死体を見下ろせば、この胸糞悪い感情も少しはマシになるかもな」
怒りと憎悪に歪んだ顔をリンジーに向け、アレックスは言葉を発しながら必死に笑顔を作る。
次の瞬間、
「面白いことを言う……」
聞き覚えの無い声が、どこからかアレックスの耳に届いた。
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