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「この街を単独で歩き回るのは、あまり賢い選択とは思えんな」
サンドマンからは依然として、ヴィッキーの行動を制限する為の発言が投げられる。
幹部サブマリンを始めとした海上都市の面々を除いて、組織の人間はヴィッキーが”超人”と接触することは望ましくないと考えている。
それは当然であり、山脈の戦いにおいても組織の敵に回っていた彼女は、尚も警戒するべき対象となっているのだ。
「……私は幹部の指示で動いている。それを邪魔立てするとでも言うのか?」
無論、言葉を返すヴィッキーは疑いに掛けられていることを自覚している。
しかしノーマンやサンドマンが核心に迫る言葉を使わない以上、彼女も自分からその話をするつもりはない。
「いいや、違う。この街には組織が放った殺人鬼が今も彷徨いている。奴を制御する方法がない以上、幹部の指示で動く女を一人で行動させるわけにもいかん」
サンドマンにとってのヴィッキーは、あくまで監視対象に過ぎない。
彼はウロボロスからの指令を遂行する為に、この街を恐怖に陥れる”切り裂き紳士”を利用するつもりだ。
「……殺人鬼?」
怪訝な表情を浮かべてつぶやくヴィッキーは、夜の暗黒街を徘徊する殺人鬼についての知識を持ってはいなかった。
「確かにそうだな。スライサーは倉庫番衆の一人だが、奴に狙いを定められた時点で命が無いも同然だ」
サンドマンの発言に同調するように、ノーマンが口を開く。
彼らは決してヴィッキーを脅しているわけでなく、”切り裂き紳士”に関する忠告に留まっている。
二人の言い分は正しいものであり、スライサーを制御する方法は倉庫番衆も持ってはいない。
「ああ、噂の猟奇殺人事件のことだねぇ」
本部を守護する立場にあるラフレシアでさえも、殺人鬼についての噂は耳にしたことがあるようだ。
「そりゃあ、ちょいと警戒する必要があるかもねぇ。サブマリン様も、味方の倉庫番衆に脚を減らせりゃあ激怒するどころじゃあねぇだろうからなぁ」
自らの顎に手を触れ、バックミラー越しにヴィッキーへ視線を向けるラフレシア。
「……そんな殺人鬼を、なぜ組織は放置している?」
「暗黒街の住人を縛り付ける為だ。マフィア共も含め、奴の行動は我々にとって優位に働く」
ヴィッキーの問いに、答えを返すのはサンドマン。
「……住人は逃げ出さないのか?」
「このオレスファーには多くの権利者が集まっている。多少のリスクを負ってでも、旨い汁を啜ろうと集る輩は街を出ようとはしない」
続けての問答も、ヴィッキーとサンドマンで交わされる。
「騎士を捜すなら、この俺も同行しよう。標的を捕らえたら、まず俺達で尋問したいことがある。その後で身柄はお前に引き渡すと約束しよう」
そしてサンドマンから、ヴィッキーに提案が投げられた。
「俺といれば殺人鬼に襲われる心配はない。この条件でどうだ?」
「……騎士に何を尋問するつもりだ?」
「それを教える義理はないが、隠す理由もないから言ってやろう。こちらが聞きたいのは、この街に潜む”超人”の情報だ」
ここで両者は、初めてバックミラー越しに視線を合わせた。
「もちろん、海上都市に身柄を渡すまで騎士は生かしてやる。こちらには尋問のプロが何人もいる……情報を引き出すのにそう時間はかからん」
「いい条件じゃあねぇか。断る理由もないと思うがねぇ?」
サンドマンの発言に、ラフレシアも自らの意見を付け足す。
「私も同意だな。これはお前をスライサーから守る為でもある」
問答には参加しなかったノーマンも、サンドマンが提示した条件に同調。
「……少し考える」
ヴィッキーはそう言うと、再び視線を窓の外へ向けた。
「なんなら、隣に座る運び屋の意見も聞くといい。そいつは実際に殺人鬼と会っているはずだからな」
次のサンドマンの言葉で、社内の視線は全て運転席に向けられた。
「ええ、確かにお会いしました。サンドマン様に従った方が賢明かと」
そしてジョンDも、忠告に似た発言を隣のヴィッキーへ送る。
「……」
くわえた煙草の煙を燻らす彼女は、無言で思考だけを巡らせた。
その間にサンドマンとノーマンが、視線を合わせて小さく頷き合う。
「もうすぐ到着です」
しばらくの静寂が続く中、車を運転するジョンDから皆へ向けて言葉が飛ぶ。
「仕事が終われば俺は帰るぜぇ? 騎士なんざ興味ねぇからよ」
「私も帰還する予定だ」
ラフレシアがつぶやきをあげると、ノーマンも同様の意見を放つ。
一行を乗せたバンはいつの間にか、雪の積もる一本道を走っていた。周囲には一切の建物がなく、舗装道路を挟むようにして左右に枯れ草の平原が広がるのみ。
遥か遠方には、想像もつかないほど巨大な施設、その一部が見える。
だが皆を乗せたバンは、その施設の側に近づくわけではない。
舗道を挟んで延々と続く平原の一部が、多量の泥に覆われている。
「では、参りましょう」
ジョンDはその近くで車を停め、誰よりも早く運転席から外へ降りて行った。
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