隣りの小豆洗い

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高校受験を間近に控え、受験勉強という名目の夜更かしをしている真夜中の三時、僕の耳にお隣の家からまたあの音が聞こえてきた。 ショキショキ ショキショキ ザー ショキショキ ショキショキ ザー また来てくれたんだ、と僕は嬉しくなって自分の部屋から飛び出した。 初めてその音を聞いたのは、お隣の家が引っ越ししてすぐの事だった。 お隣には八十歳くらいのおばあちゃんと娘さん夫婦が住んでいたのだけれど、娘さんの旦那さんの実家がある僕の家から自転車で十分位で行ける隣町に先月引っ越ししてしまった。ぼくはお隣の家のおばあちゃんが好きだった。一緒に住んでいる僕の本当のおばあちゃんよりも。 僕の母さんはいわゆる出戻り、というやつで僕が小さい時に離婚してこの自分の実家に僕を連れて帰ってきた。僕の本当のおばあちゃんは、近所に恥ずかしいとか言ってあまり僕と母さんを歓迎してくれなかったけれど、お隣りのおばあちゃんはよく帰って来てくれたね、と小さな時から僕を可愛がってくれた。 保育園で覚えたお化けの歌を風呂場で大きな声で歌っていると、本当のおばあちゃんはうるさい!と怒ったけれど、お隣のおばあちゃんは優君が歌ってるお化けの歌面白いわ、おばあちゃんにも教えて、と言ってお化けなんてないさ、お化けなんてウソさ、と教えてあげると楽しそうに一緒に歌ってくれた。 「おばあちゃん、おばけ見たことある?」 「お化けは見た事無いけど、妖怪なら見た事あるわよ」 「ほんと!どんなようかい?」 「小豆洗いって言う妖怪。家の台所で真夜中にショキショキ ショキショキ ザーって小豆を洗ってるのよ」 「こわいよ〜」 「怖くないわよ、可愛いよ」 そう言ってお隣のおばあちゃんは楽しそうに笑った。 小学校の運動会も自分の孫でもないのに見に来てくれたし、お年玉も毎年くれていた。お隣さんは孫がいないから、と本当のおばあちゃんは言ってたけれど、そんな事言うなと僕は思った。 僕が中学生になってからは部活や勉強で忙しくなってお隣のおばあちゃんに会う機会は減っていたし、更に引っ越してしまうなんて僕はショックだった。 優君、近いからいつでも遊びに来てね、と笑顔で挨拶をして引っ越して行った隣のおばあちゃんは何だが前より小さくなっていた様な気がした。それを本当のおばあちゃんに話すと、あんだが大きくなったんでしょうと言って笑った。 それから一週間位してから、高校受験の勉強で夜更かししていると、夜中の三時頃引っ越ししたはずのお隣のおばあちゃん家から妙な音が聞こえてきた。 ショキショキ ショキショキ ザー ショキショキ ショキショキザー 僕は昔、お隣のおばあちゃんが話してた小豆洗いの事を思い出してゾッとしたけれど、恐る恐る鍵が空いているお隣の家にそっと様子を見に行った。 台所を覗き込むと、お隣のおばあちゃんがお米を一生懸命研いでいた。少し背中が丸くなった小さなお隣のおばあちゃんはなんだか本物の小豆洗いみたいで僕は可笑しかった。 「おばあちゃん、何してるん?」 「優君遅くまで勉強頑張ってるからお夜食作ってあげようと思ってね。おにぎりで良い?」お隣のおばあちゃんが一生懸命研いでいるのは、お米ではなくて砂だった。 「おばあちゃん…ありがとうな」 僕はお隣のおばあちゃんを自転車の後ろに乗っけて隣町まで送ってあげる事にした。母さんは危ないからタクシーを呼ぼうと言ったけれど、僕の本当のおばあちゃんはあんたが送ってあげなさいと言ってくれた。 お隣のおばあちゃんを自転車の後ろに乗せながら僕は、おばあちゃんあの歌歌おうよ、とあのお化けの歌を歌い始めた。お化けなんてないさ、お化けなんてウソさ、寝ぼけた人が見間違えたのさー お隣のおばあちゃんも楽しそうに歌ってくれた。 それから二週間位、お隣のおばあちゃんは毎日夜中の三時頃にやって来ては砂をショキショキ ショキショキ ザーと洗いながら、今夜は寒いから雑炊にしようか、炒飯にしようか、と僕の食べる事の出来ない夜食を楽しそうに作ってくれた。そして僕は毎日自転車で二人乗りをしてお隣のおばあちゃんを家に送りながら、二人でお化けの歌を合唱した。 ある日、お隣のおばあちゃんが来ない日があった。その次の日にお隣のおばさんからお隣のおばあちゃんが心筋梗塞で昨夜の三時頃に息を引き取ったと連絡があった。お葬式に参列した僕にお隣のおばさんは優君ありがとうね、呆けちゃったおばあちゃんに付き合ってくれてと泣いていた。お世話になったんだから当然ですよ、ねぇ優。と本当のおばあちゃんは深々とお辞儀をした。 そして今夜、お隣のおばあちゃんはもう居ないのに、またあの音が聞こえる。時間は夜中の三時。 ショキショキ ショキショキ ザー ショキショキ ショキショキ ザー この音を聞くと懐かしくて温かくて優しい気持ちが胸いっぱいに広がる。 僕に会いに来てくれたのがお隣のおばあちゃんのお化けなのか、本物の妖怪の小豆洗いなのか、僕にはそんなのはどっちでも構わなかった。
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