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場にそぐわない不穏な発言に、何を急に言い出すのだろうかと戸惑う。
「なあ、一翔」
「何?」
「父さんより先に死なないでくれ。父さんが一翔に望むことはそれだけだ」
何かを知っている口ぶり。
出てくる前に遺書は机の引き出しに隠してきた。
(遺書は気付かれていないはず。それとも、狗飼毅が何か言ってきたのだろうか?)
どのことで言っているのか一翔は測りかねた。
「なんで、急にそんな心配を?」
「それは、父さんは一翔の親だからだ。一翔がいてくれることが、一番の幸せなんだ」
「……」
一翔は、前を向いて涙ぐんだ。
やはり、父は何かを知っていて言っているように思える。そうでなければ、ここでこんなことを言ってこないだろう。
「前に有希さんに膵臓を提供したいと言っていただろ。あれから完治させる手立てがないものかとよく調べてみた。専門医の知り合いに聞いたりもした」
「本当に?」
「ああ。そうだ」
父が最先端の治療法を調べてくれたことは嬉しかった。
まだどこにも発表されていない情報もあるかもしれない。
一翔は、涙を拭いて耳を傾ける。
「それで、どうだった?」
「人口臓器の技術はとても進歩していて、いずれ膵臓も作れる。これは断言できる。そうなれば、人から移植しなくてよくなる。一生治らないと悲嘆する必要はないんだ」
「そうなの?」
人工膵臓ができる。それを有希に移植すれば糖尿病が治る。想像するだけで嬉しくなる。
「今だって、正しく注射すれば命に別状はない。一翔が自分の膵臓を移植することはない。早まった真似だけはしないでくれ。父さんからの一生のお願いだ」
真剣な顔で頼んでくる父。
一翔の願いを真剣に考えてくれた父。
決して夢ではない病気の完治。
目の前にある澄んだ空のように、一翔の心も明るく晴れ渡る。
「父さん、ありがとう。もう、変なことは考えないから」
「約束してくれるか」
「約束する」
――有希が治る日まで生きよう。
決意した一翔の目に、自然と涙がこみあげてきた。
「ウ……」
汗を拭く振りをして、タオルで隠す。
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