唐松岳

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 ヒュッテで夕食を取り、個室で休んだ。  狭い部屋でお互いに顔を突き合わせる。  一翔は、狗飼毅のことを聞いた。 「あの人、本当に僕の実父なの?」 「あれは生物学的な父親ではない」  父の言葉に飛び上がるほど驚くと同時に、心から安堵した。 「そうなんだ……。母と名乗る相子って女の人も一緒にいたけど、あっちは?」 「狗飼毅と結婚して狗飼相子になっているが、お前を産んだ当時は木波(きなみ)相子(そうこ)と名乗っていた。お前を産んだ実の母親で間違いない」 「……」  複雑な思いがこみ上げ、なんと言えば良いのか分からない。 「14年前の夏の夜だった」  父が一翔との出会いと養子として引き取った経緯。そして、狗飼毅のことを語った。 「父さんは病院で当直をしていた。医師は自分一人。特に危険な入院患者もなく、朝まで何事もないはずだった。当直室で仮眠を取っていたところ、看護師に救急搬送の患者が来ていると起こされた。診察室に運びこまれたと言うので見に行くと、お腹の大きな女性がいた。それが木波相子だった」 「そこの患者だったの?」 「そうじゃなかった。当時、木波相子は未成年だった。結婚もしていなく、妊娠したことを家族にも黙っていて、病院には一度もかかったことがないまま10か月になっていた」 「えー!」 「破水して赤子の頭が産道からすでに出かかっている状態だった。通常、一度も診察を受けていない妊婦の出産は断っている。だからか、救急搬送でどうしようもなくなってからやってきたんだ。こうなると、断るわけにはいかないからね」 「それで、生まれたのが僕?」 「そうだ。それが、一翔、お前との初めての出会いだった」  目を細めて懐かしそうに言われても、一翔に記憶はない。 「で、それでどうして養子として引き取ったの?」 「木波相子は。翌朝、黙って姿を消した」 「ひえ! 踏み倒し!?」 「そうだ。しばらくは病院でお前の世話をしていたが、行政機関に相談して養護施設に行くことになった。そんな話を母さんにしたら、うちで引き取ろうということを言い出して、養護施設行きが無くなって今に至る」 「母さんが? どうしてだろう?」 「施設に預けるのは可哀そうと思ったんだね。私も普通の家庭で育つ方がいいと思ったし、産科じゃない自分が取り上げたのもきっと縁だと感じたのもあるし。とにかく、父さんも母さんも理屈じゃなくて、何かにつき動かされたようにお前を引き取ることにした。幸い、なんの障害もなくすべての手続きがスムーズに進んだ。これも縁があったからで、収まるべき場所に収まったんだと考えた。つまり、一翔は私と母さんの子どもになるべく生まれてきたんだよ」  見えない力に引き寄せられて親子になったと思えば、それは実の親子と同じじゃないかとの考え方だ。 「NPOの仲介じゃなかったんだ」 「特別養子縁組の手続きを任せたから、対外的にそういうことになった。でも、父さんと母さんが一翔を見て決めたことだよ」  ババ抜きのジョーカーのように、仕方なく引き取ったんじゃなかったことが一翔は一番嬉しかった。 「狗飼毅は何が目的なの?」 「あれは、金が目的だ。木波相子と結婚したのもそれが目的。数年前、木波相子が父さんたちの前に現れた。その時に一緒についてきて、お前を引き取ると言い出した。断ると、訴えられたくなかったら金を出せと脅迫してきた。そんな奴らにますますお前を渡すわけにはいかないから断り続けたが、脅しがエスカレートしてきて、お前の身の安全の確保と病院に迷惑を掛けないためにこっちに来たんだ。それでも追いかけてきた。先日、急に上京したのも、あいつらに呼び出されたからだ。でも、いくら話し合っても平行線できりがない」 「そんなことに巻き込まれていたなんて……」  一翔の知らないところで父は苦悩を抱えていた。 「ごめんなさい。僕のせいで……」 「子供が心配することじゃない。お前は自分の生活を大切にしなさい」  父は、優しく微笑んだ。
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