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「もし、私が自分で注射できないときはお願いするね」
「任せろ」
自信あるわけではないが、有希を安心させたくて言い切る。
有希がしんみりと言った。
「これが命を守る医療行為だと理解してくれない人も多いんだ」
「インスリン注射を?」
「ほとんどの人は、糖尿病ついて知らないから。私が自己注射をしているところを見て、『あの人、注射している!』って騒がれることも多くて。できるだけ人目を避けようと隠れて注射するんだけど、何をしているのかと、わざわざ覗きにきて怖がったり気持ち悪がったりする」
「そりゃ、酷い」
無知から来る誤解。
注射器に対する偏見。
特異の目にさらされる有希に、一翔は同情する。
「騒ぐ奴がいたら、僕が抗議する」
「優しいのね」
「当たり前のことだ」
「今まで、君みたいな人に会ったことなかった。やっぱり、桐谷先生の息子ね」
有希に褒められて一翔は嬉しいが、最後の一言が余計に思う。
「父の患者だから親切にしているわけではないよ」
「そうじゃない。親子だから性格が似ているって意味で言ったの」
それこそ見当違いだと、一翔は心の中でつぶやく。
一翔は、理解を広めるため、有希への偏見を取り除くため、いい方法はないかと考えた。
「糖尿病の勉強会を開いてはどうかな。みんなに知ってもらえば、偏見の目もなくなるよね」
悲しそうな目で有希は首を横に振る。
「それは嫌なの」
我ながらいいアイデアだと思ったのに、拒否されてがっかりした。
「なんで?」
「みんなに知られたくない」
「え、どうして?」
どういうことかと、一翔は疑問に思った。
どう考えても、より多くの人に知ってもらったほうがいいはずだ。
「詮索されるのも、陰でこそこそ言われるのも嫌。同情されるのはもっと嫌。だから隠してきた。体育は見学だし、学校も通院で休んでばかりでなんとなく気付いている人はいるかもしれないけど、公言していない。私の病気について知っている人は、ごく一部」
「そうだったのか……」
一翔が動けば、誰が糖尿病なのかと詮索される。
それが嫌だというのなら、尊重すべきだろう。
たとえ、間違っているとしても。
図書室に西日が射し込んできた。
有希の顔が照らされて、涙の痕が浮かび上がる。
下校時刻が近づいている。
栗林先生がやってくる前に、図書室を出なければならない。
「明日は違うおやきを作ってみるよ。だから、また食べてくれる?」
「うん。楽しみにしているね」
有希は、涙を拭いた。
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