おやきと僕の部屋

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 テーブルに占領されたこじんまりした台所。  作り付けの水屋箪笥があるが、入れるものがないのかほぼ使われていない。  水切りには今朝使ったコップ、茶わん、平皿が二枚ずつ洗って置かれている。  ささやかな暮らしぶりが垣間見える。 「桐谷先生が留守で、一翔君は何をしていたの?」 「変わりおやきにチャレンジ中だった」  練って寝かせた小麦粉の塊を見せた。 「このように生地はできているんだけど、餡に何を入れるか思案中だった」 「候補は何?」 「これ」  一翔は、準備した食材を見せた。  レタス、玉ねぎ、キュウリ、豚肉、ジャガイモ、キャベツ。 「もしかして、豚しゃぶサラダでも作るつもりだった?」 「それはもう作ってみた。ポン酢味とゴマだれ味。まあまあ成功だったけど、予想通りというか。意外性がなくて。それに水っぽくなる。他にないかなあ」 「食べたことないものってこと? そうねえ……」  有希は少し考えると、「そういえば……」と、カバンからビニール袋を取り出した。 「このあたりの郷土料理なんて、どう? 食べたこと、ないんじゃない?」 「郷土料理?」 「これ、お母さんから桐谷先生へ持っていくように渡された塩丸イカなんだけど。これを使ってはどうかな?」  袋の中からイカが出てきた。皮は剥がされ軟骨を抜かれて下処理されたイカだ。 「塩丸イカって何? イカの塩辛なら知っているけど」 「それとは全然違う。イカを丸ごと塩漬けにしたもの。昔、ブリ街道を通って富山から長野まで届けるために長期保存できるよう塩漬けにされたイカのこと。この辺の郷土料理には欠かせない食材なんだ」 「ブリ街道って?」 「ブリ街道も知らないの?」  有希は、信じられないという顔になった。話の通じなさにため息を吐く。 「知らない。初めて聞いた。なにそれ?」 「ブリ街道は、ブリ街道よ。富山で水揚げされたブリやイカを長野まで運ぶ街道のこと」 「絶対に正式名称じゃないだろう」 「正式名称は、千国(ちくに)街道だけど、この辺ではブリ街道って呼ばれているの」 「イカ街道ではないんだね」 「富山のブリはお正月にだけ食べられる特別なご馳走なの。でも、君が言うのももっともかも。一番運ばれたのは塩丸イカだから、イカ街道でもいいかもね」  有希は、アハハと笑った。
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