おやきと僕の部屋

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「東京では、お店なんかいくらでも選択肢があるんでしょうね」 「その分、競争が激しいということだよ」 「だからいいんじゃない。ここは競争がないから。私、東京に住んでみたいんだ。東京にはなんでもあるでしょ」  東京に憧れるあまり、神聖視し過ぎているように一翔は思える。 「都会からこんな田舎に来てしまって、本当はがっかりしているんでしょ?」 「意外かもしれないけど、僕はこの町をとても気に入っている。特に、北アルプスは毎日見ていたら登ってみたくなったよ」 「山がそんなに珍しい?」  ここで生まれ育った人にとっては、見慣れすぎて特別な感情など抱かない。 「北アルプスなら、まだ糖尿病になる前に授業で上ったことがあるよ。初心者ルートだけど」 「へえー。やっぱり地元では学校で登るんだ」 「一翔君なら、きっと頂上まで行けるよ」 「そうかな?」 「もっとも、北アルプスにはたくさんの山頂があるから、全部登るのは大変だろうけどね」 「たくさんあるんだ」 「槍ヶ岳、白馬岳、剣岳、龍王岳、野口五郎岳、乗鞍岳などなど。全部で15座もあるの。座っていうのは、高山の数え方ね。それぞれに難易度がつけられているので参考にして、初心者向きから少しずつ制覇していくといいよ」  北アルプス登山は、健康な人にも容易ではないだろう。 「君はもう登らないの?」 「どうしても疲れやすいから。途中でついていけなくなったら皆に迷惑掛かるでしょ。山を甘く見ると遭難しちゃう」 「あ、そうだった。ごめん」 「いいよ。慣れているもん。私も登って上からの風景を見てみたいなあ。困難を乗り越えたときに、見える世界が変わるって聞くものね」  やる前に諦めるな。  やり続ければ夢は叶う。  こんなセリフを聞くけれど、誰もが簡単にできるわけではないと有希は教えてくれる。 「病気のせいで私にはできないことがたくさんある。だけど、夢を持ちたい。夢を持つこと。それが幸せなんだと思うから。今の夢は糖尿病が治ることだけど、その先にはやりたいことが広がっているんだから。一翔君は病気じゃないんだから、やりたいことがあればどんどんチャレンジしなよ。やる前に諦めることない」 「………………」  一翔が医師になる夢をチャレンジする前から放棄していることについて言っているように思えた。
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