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「そろそろ、乾いたかな」
有希が乾かしておいた服のことを思い出した。
「何のこと?」
「嫌だあ! 忘れる? 私がこのうっすい診療衣で家から来たと思っているの?」
おかしなことに、一翔の頭からはその事がすっかり抜けていて、思い出すのにしばらくかかってしまった。
それだけ衝撃的な経験で、診療衣姿の理由までも忘れてしまっていたということだ。
診察室へ行くと、有希は白い衝立の裏に回って自分の服に着替えた。
デニムは生乾きだが、着られないほどではない。
(自分の服が一番落ち着く)
ホッとしていると、衝立越しに一翔が声を掛けてきた。
「脱いだ診療衣は、そこの大籠に放り込んどいて」
「ここ?」
『着用した診療衣はここへ』と書かれた先に、大きなクリーニング袋が口を開けて置いてある。
そこに突っ込んだ。
カバンを手に取ると、「じゃあ、これで帰るね。桐谷先生に改めて診察してもらいにくると伝えてね」と、診療所を出た。
まだ雨が降っている。
有希が傘をさして一人で歩き出すと、後ろから声を掛けられた。
「有希!」
振り向くと、知っている顔がいて驚く。
「わ、吃驚した! 大樹じゃない。どうしてここに?」
大樹は2歳上の有希の従兄である。家は隣同士。と、言っても、このあたりの隣家は広い田んぼが間にある。
「おばさんが有希の帰りが遅いと心配していたぞ。それで俺が様子見ついでに迎えに来たんだ」
「そんなに遅い?」
意識を失っていた有希に時間の経過はわからない。
なぜそうなったのか正直に言うと大騒ぎになるか叱られるだけなので、内緒にする。
「今日は診療所が休みだった。今までどこで何していたんだ」
大樹は、有希のすべてを知りたがる。
一から十まで事細かに伝える必要はないが、ある程度言わないといつまでもしつこい。
「インスリン注射を特別にしてもらったの。ついでにお茶をいただいてお話ししていただけよ」
変に疑われるような内容を省いて、要所だけを伝える。
「有希は体が弱いんだから、終わったらすぐに帰ってこいよ」
「わかってる」
二人は、歩調を合わせて歩き出した。
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