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◇
一翔は、父が帰ってきたらなんて説明しようかと思い悩んだ。
勝手に持ち出して、他人に注射したのだから、怒られてもおかしくない。
「先に電話して許可をもらえばよかったか」
あの時は焦って考えもしなかった。
父は、夜遅く帰ってきた。
疲れているようだったので、一翔は、話は後にして有希と作ったおやきを出した。
「食べる暇がなかったから、これはありがたい」
父が嬉しそうにほおばる。すぐ、中の餡が新しい味だと気付いた。
「これまた変わったおやきだな」
食べたのは鯉の甘露煮。不思議そうに見ている。
「中身は鯉の甘露煮。芳須有希さんのお母さんからの頂き物で、このあたりの郷土料理なんだってさ」
「芳須有希さん? ここに来たのか?」
「あの……、実は……」
一翔は、有希が来たこと、インスリンがなくて低血糖で倒れたこと、診療室から持ち出して注射したことを正直に話した。
「そうか。急な休診で患者さんに迷惑をかけてしまったな」
一翔を叱ることなく、よく助けてやったと褒められた。
「父さん、僕は、間違ったことをしたとは思っていない。思っていないけど……、罪に問われるのかな……」
怯える一翔の頭を父は優しくなでた。
「一翔は正しいことをした。人の命を救ったんだ。これ以上の正義があるだろうか。堂々としていなさい」
「うん」
一翔は、父の言葉が嬉しくて何度もかみしめる。
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