おやきと北アルプス

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おやきと北アルプス

 清涼な風が一翔の頬をサッと撫でていく。  地上は初夏でも、数千メートル級の岩峰群を吹き下ろす風は一年中冷たい。  高原植物が広がる足元には、ところどころごつごつした岩が転がっている。  目の前を仲間のアルピニストたちがもくもくと歩いていく。  彼らとはぐれないよう、一翔は景色に目もくれず必死についていった。  北アルプス登山に挑戦すると決めた一翔だったが、まともな登山知識がないため一人で登ることはできない。  そこで、父が地元の登山クラブに入ることを勧めてきてそれに従った。  目指す先は、中級者向けの双六岳。  初心者だと伝えてはあったのだが、『中二ならいけるだろう』と、体力の考慮はされず、ここになった。  なかなかのキツさに、一翔一人が脱落しそうになっている。  先頭を行くリーダーの小田島が時折振り返っては、一翔を気遣ってくれる。  小田島は、休日になると山岳登山にいそしむ経験豊富な30代の会社員。  今回も、参加者は会社員ばかりで、土日を利用しての気楽な登山と聞いていた。  ところが、来てみると他の参加者は学生時代から山登りを何度もしてきたベテランばかり。本当の初心者は一翔だけだった。 「一翔君、大丈夫かに?」  語尾に『に』がつくのは信州の方言だ。 「はい……」  甘えてはいられない。  ハアハアゼイゼイと息も絶え絶えだが、必死についていく。  あまりに距離が離れると全員立ち止まって待ってくれるのだが、一翔が追いつくと歩き出すから休めない。 「もっと基礎体力をつけなきゃならんに」  小田島が励まそうと一翔の背中を押した。  少し前を歩いていた大嵩(おおかさ)大樹が振り向いた。 「これだから坊ちゃんは。まじ、都会もんは体力カスだね」  その言葉にカチンときたが、事実なのと、言い返す気力も体力も惜しくて、一翔は黙って相手にしない。しかし、心の中ではモヤモヤしている。 (嫌味な奴……)  大樹と会ったのは今日が初めてなのに、(ふもと)でメンバーの顔合わせしたところから、なぜか敵意むき出し。  この初登頂で何かを得たい、弱い自分を変えたい、憂いを吹き飛ばしたいと期待して参加したのだが、余計に煩わしいことを背負っただけのような気がする。 (まあまあ、今日明日だけのことだから、我慢すればいい)  今回は、1泊2日で新穂高から双六岳まで登り、下山するという計画になっている。  歩いている最中は話す余裕もないし、山荘ではすぐに寝てしまうだろう。  個人的ないざこざに構っている暇などないはず。  そんなつもりだったが、山小屋について休憩すると、大樹が執拗に絡んできた。
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