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田舎は静かだと思っていたが、住んでみると案外うるさかった。
多くの野鳥が夜明け前から窓近くで鳴く。喧嘩する。羽ばたいて騒ぐ。
目覚まし時計は不要だ。
(それはまあ、理解できる。山が近ければ野鳥も多いだろう)
もっと驚いたことがあった。
ドーン、ドーン、と、どこからか聞こえてくる号砲に初めて遭遇したときは、大砲を撃っているのかと飛び上がるほど吃驚した。
爆発音で空気がビリビリと振動する。
それほどの衝撃なのに、誰も反応しないことにも驚いた。
早朝から夕方まで、あちこちで起こる。
理由がわからず、朝から騒音を立てるなんて、とんでもない迷惑だと思っていた。
東京だったら苦情殺到だ。
「大砲の音が時折しますよね。驚きました。あれ、何ですか?」
聞くところもなかったので、丁度いい機会だと聞いてみた。
「あれは、田んぼで鳴らしているんだ。稲穂を食べにくるスズメを追い払う音だ」
「そうだったんですか!」
大げさに驚くが、半分演技で半分本気。
「あれ、うるさくて、しかも、突然で驚きませんか? みんな、平気なんですか?」
「確かにうるさいし、驚くが、ここでは田んぼを守るために必要な音。誰も文句を言わない」
ようやく謎が解けたが、うるさいことには変わりない。
「このあたりでは、案山子が立ってないなあと思っていました」
「案山子なんて、でくの坊。鳥は頭がいいからすぐに見抜く。なんの効果もない。目の付け所がやっぱり違うな。俺たちは疑問に思ったことがない」
大樹が薄ら笑いする。
会話は交わしても、心を許していない笑いであるなと一翔は思った。
小田島が近づいてきて聞いた。
「昼飯は持ってきたかに?」
予定表では、今日の昼食は各自持参。夕食から明日の昼食までは、山荘で用意されることになっている。
「あ、はい。持ってきました」
手作りのおやきをだした。
「おやきかに?」
「はい。それと、握り飯を持ってきました」
握り飯は、父が作って持たせてくれた。
「それだけあれば、午後もしっかり歩けるに」
小田島は、納得した。
「じゃあ、昼食にするに」
大樹が一翔のおやきをジッと見つめている。
「何か?」
「手作り?」
「ええ、自分で作りました。よかったら、食べますか?」
こちらから歩み寄ることも必要だろうと、おやきを半分に割って片方を大樹に渡した。
大樹も素直に受け取る。
「この中身って、何?」
「鯉の甘露煮です」
「それも自分で?」
「甘露煮は、頂きものです。芳須さんという方の手作りです。僕は、皮の部分を作りました」
頂いた鯉の甘露煮は、なかなか食べきれず冷蔵庫に残っている。
「芳須さん?」
大樹は、一翔のおやきをジッと観察してから、慎重に口にする。
(毒でも入っていると思っているのか?)
不愉快になった一翔は、ソッポを向いて残りを食べた。
「なあ、さっきのおやきって……」
食べ終わった大樹が何かを言ってきたが、小田島の「出発するに!」という声に気を取られて聞き逃した。
その後、双六岳に登頂。翌日、下山。
おやきについて特に触れられることなく終わった。
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