知らずの町

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早姫は少し悩んだ後、真ん中の白鷺を指差した。 「白鷺にします。」 嬉々として早姫は女将に言った。 ほんの一瞬 女将の顔が無表情になった。 それはまるで、能面が張りついているようだった。 早姫がえ?と思うより早く女将はにっこりと笑った。 「白鷺でございますね。かしこまりました。」 女将が白鷺の襖の前で廊下に座り両手をそろえた指で襖を開けた。 「どうぞ、お荷物をお置きくださいませ。この後、温泉の方にご案内させていただきますね。」 襖を開けた時に、すえた臭いが鼻についた気がした。 まあ、古いからかなぁと部屋に一歩踏み込むと、白檀の良い香りが充満している。 真新しいような青畳に白色の砂壁、床の間には掛け軸が掛けられ、その下は白いユリの花が行けられている。 早姫は首をかしげた。 ユリは芳香がある。 それも5、6本生けられているならば、ユリの花の香りがするはずだが、ユリの花の香りは香ってこない。 いや、白檀の香りが強すぎてユリの香りが打ち消されているのだ。
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