知らずの町

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広信はボストンバッグを二つ置くと、早姫を促した。 「もう温泉に入れるんですか?」 広信が女将に尋ねた。 「ええ、今なら貸しきりでございます」 広信の顔が輝いた。 「おお。早速入らせていただくとするか、早姫は?」 「うん。私も汗を洗い流したいし。」 すでにお風呂セットは手提げのバックに入れてある。 いや、常に。と言うべきか 広信の温泉好きが移ったのか、ドライブがてらに目指すのは大概温泉地なので入れてあるのだ。 だから、可愛い小振りのバックは広信と一緒の時は持てない。 女将を先頭に出ると、白鷺、白鶴の襖を通りすぎた所に階段がある。 来た時の階段とは別のものだ。 「温泉に行きます時はこちらの階段をお使いくださいませ。」 キシリ、ミシリと階段を歩く度に軋む音がする。 やはり、二人分。 女将の足音は無い。 早姫は首をひねった 毎日歩き慣れているから、軋まない歩き方でもあるのかしら? 階段を降りると長い廊下があった 「温泉はこの先にございます。温泉の利用は夜の9時まででございます。9時以降はどうぞお入りになりませぬよう。朝は7時からお入り頂けます。」 9時まで、とは以外に早いな。田舎だからかなと早姫は辺りを見渡した。 昔は欄干だったのだろうか。 今は木の板で壁にし、外が一切見えないようにしている。 明かりとりの窓は一切無く、数間隔に置かれている行灯が足元を照らすのみだ。 昼前でこの薄暗さならば、夜はさらに足元がおぼつかないのではないのか、そう考えていると女将はふふ、と笑って 「夕方になりますと提灯をお出ししますのよ。」 考えが顔に出てたかしらと、早姫は照れるように笑った。
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