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ふっ、と首を振り向けてシャーリーは優を見た。影の中でも白い光を受け、その青い目は強く輝いている。
「父は彼女の未来を守った。……あの後彼女は子どもを産んだ。元気な男の子を。今もイギリスで3人幸せに暮らしているよ。……自分の時間と命を犠牲にしたけれど、2人の未来を、命を守った。だから僕は父のしたことを誇りに思っているよ」
寂しげに笑って、正面を向く。凛々しく逞しい、戦女神のようなその横顔。
「……それでも、悔しかった。彼を……殺してやりたいと思ったことは、何度もあった。あいつさえいなければと、憎しみで狂いそうだった」
少年の目が大きく見開かれる。怯えるような震えがその目を揺らす。
「…………だけど、後々彼について徐々にわかり始めたことがある。彼は名門大学の出身で、成績も優秀。大人しく真面目な生徒だった。けれど就職に失敗し、仕事をずっと探していたけれど、どの会社でも彼は受け入れてもらえなかった。恋人とも別れてしまい、家族と暮らしていたが、生活は苦しかった。誰も、彼を救ってはくれなかった。……神様さえも」
メシアが彼の前に現れることはなく。世の中の不条理と理不尽は全て彼に背負わされたようだった。幸せは儚く崩れ去り、不安と孤独に泣き暮れる日々。
「彼は社会から見捨てられた。そういった人間の怒りは、とても……大きい。僕らの想像を超えた苦しさがあったと思う。……誰でもいいから彼を救っていたら、こんなことにはなっていなかったかもしれない」
やるせなさが、その淡々とした声に滲む。世界から隔絶された彼の目に、平凡な暮らしを営み、小さくとも幸せを紡げる人々の笑顔は、果たしてどう映っていたのか。遠い異国の男の哀愁が、雨を伝って沁みていく。今、海の向こう、閉めきられた独房の中で、彼は何を思っているのだろう。
「彼は馬鹿ではない。自分が何をしたのかはよくわかっているはずだ。反省しているし、そういった手紙をよこしたこともある。……それでも僕は彼を許すことはできない。僕自身まだ心の底で、憎しみを振り切れてはいないと思っている」
小さく優は頷いた。彼女の怒りは尤もだ。それに異論を挟めるだろうか?
「けれどいつか…………この憎しみが消えることを願っているんだ」
それでも前を向こうとするその顔は、本当に美しい。何も言えずに、彼はまた視線を落とした。
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