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揺れる想い
特に意識することもなかった先輩だったが、自分の事をそんな風に思っていてくれたことに玲子は驚いたし、なにより即答で断りを言わなければ無かったことに玲子は胸が痛んでいた。
まだしばらく放課後の巡回で顔を合わせなくてはいけないのだ。
「どんな顔で向き合えばいいんだろう……」
自分では意識が無かったが、どこかいつもと違う素振りでも出ていたのか、いつもは玲子から話しかけなければ碌に話もしない一つ下の弟が「なんかあった?」などと声を掛けてきた。
鏡を覗いても玲子には自分では特に何も感じられない。
夕食の卓についた玲子に母が問いかけてきた。
「友達にはもう転校の話は済ませてるんでしょう?」
「うん」
答えながら玲子の頭に浮かんでいたのは何故か克己の深々と頭を下げた姿だった。
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翌日、克己のいつもと変わらぬ様子に少なからず玲子はとまどった。
「休みが近いから特に念入りに見て来るぞ」
今日の克己は1年男子を引き連れて屈託なくお喋りしながら3年教室に向かって行ってしまった。
昨日の今日だというのに昨日の帰り際に見せた落ち込んだ様子は微塵も見えない。
(大して本気の告白って訳でもなかったのかな?)
自分から断っておいて何故か克己の態度に腹立たしさを感じてしまう玲子。
(あたしだってそれなりに罪悪感も感じて一晩悶々としたっていうのに)。
理不尽な言い分だとはどこかで感じながらも玲子は思わずにはいられなかった。
「日報回収したら解散」
巡回を終え各班巡回の寸評を報告し終わると、あっけないほど軽い調子で解散を告げる克己の態度に玲子は思わず眉をひそめてしまう。
「?」
目が合った克己が怪訝な顔をする。
他の生徒が引き上げていくのを確かめて玲子はつい克己に声を掛けてしまった。
「今日は機嫌がいいみたいですね」
言ってから玲子は自分の言葉に青くなった。
昨日告白を断った人間の言う言葉ではない。
無意識のうちに、やむを得ない事情からとは言え。自分が振る形になった
相手に落ち込んで居て欲しいと言う驕りがあったのだろうか。
見れば克己の表情から色が消えている。
玲子は血の気が引いていくのが自分で分かったが手遅れだ。
玲子は自分が言った言葉に凍り付いてしまった。
三々五々散っていく風紀委員の姿がまるで画面越しに見える映像の様に霞んで自分と克己の二人だけが時間の止まった空間に取り残されたような数秒。
「最後の夏休みだな」
克己の言葉に玲子の時が動き出す。
「嫌。ここで過ごすって意味だけどさ」
照れたような笑みを浮かべて克己は続ける。
さっきの言葉が聞こえなかったのか、それとも聞き流してくれたのか。
玲子は救われた気持ちで克己の表情を盗み見た。
「ちょっと時間いいかな」
「あの、昨日の話なら…」
言い淀む玲子に克己は微笑んで返す
「うんそれはわかったから」
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図書室前の廊下の突き当りはグラウンドの端に出る非常口だ。
玲子を引き連れた克己達の居る場所はグラウンドの一角に野球部用の高いネットが張られたダイアモンドの反対側だ。
生徒数の少なさ故にようやっとポジションが埋まるだけの部員しか居ない野球部員の熱い掛け声が初夏の日差しを切り裂いて克己達の耳にも届いていた。
非常口を出た克己は着いてきた玲子に穏やかに語り掛けた。
「昨日の話は置いといてさ」
「引っ越しまでにまだ少し時間有るだろ」
「でもわたし……」
「違うんだ。記念にさダンス動画一本撮らせてくれないかな」
一拍置いて克己は言葉を続けた。
「ひと夏の思い出って奴かな」
屈託なく言う克己に玲子は少し可笑しくなった。
(この人はめげるという事が無いんだろうか)
不謹慎だと思いながらも玲子は知らず頬を緩めてしまう。
そんな玲子の表情に克己の表情も緩んだ。
(どうしちゃったんだろう。昨日告白されてからなんだかいろいろ考えちゃって悶々としていた気分が晴れていく……)
玲子の脳裏を様々な感情が渦巻いて、16の少女の心を揺さぶる。
(本当にあたし不謹慎だ。昨日は自分の勝手で傷つけておきながら、今日はその先輩の言葉に顔を綻ばされてる)
(自分勝手で我儘で。先輩こんなあたしのどこが気に入ったんだろう)
克己を目の前にしながら、ついまじまじと相手の瞳を見つめてしまっていることに気付けなかった玲子の素振りは思い込みの激しい克己にあらぬ期待を植え付けてしまっていたのだが。
「自宅じゃ家の中で暴れるわけにもいかないからさー。車庫にスマホ持ち込んで踊ってるよ」
「うんうん」
結局ハッキリやるともやらないとも返事出来ぬまま引きずられる様にしばらく話し込んでしまい、踊って欲しいダンス動画のURLをいくつか教えられて玲子はその日は帰路についた。
ーーーーー
「どこをどうやったらこんなダンスあたしに踊れるっていうの」
制服を脱いでダブルガーゼ地のお気に入りのボーダー柄のカッターシャツとコットンのショートパンツに着替えて玲子は扇風機の前にあぐらをかいた。
克己に押し付けられたダンス動画をスマホで確認して玲子はため息をつく。
アップテンポな音楽に合わせて目まぐるしく動く足、スカートの下にスパッツを履いた少女が軽快に踊る動画に(こんな風に踊れたら気持ちいいだろうな)と思う気持ちと(こんなの踊れるわけないじゃん)という思いが交錯する。
だがもうひとつ気付いた事があった。
「階段下で克己先輩が踏んでたステップだ……」
どうやら彼は本気でこのダンスをマスターするつもりらしい事に気付いた玲子はベッドに腰掛け深々と溜息をついた。
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メールの着信音にスマホを手に取った克己は発信者名を見てベッドから跳ね起きた。
発信者名「小笠原玲子」!
件名、「動画観ました」
放課後非常口前でダンスの話をした際、念の為、と言ってメアドを教えておいたのだが(向こうのメアドを聞く勇気はまだ無かった)その日のうちにメールが来るとも思っていなかったので、危うくスマホを取り落としそうになる。
本文、「早速動画拝見しましたが素敵なダンスでしたね」
うんうんとうなづきながら克己は読み進む。
「けれども素晴らしすぎてとても私に踊れるとは思えません。そもそも私スパッツとか持ってませんし」
(スパッツ?なんのことだろう)。
一瞬何のことかわからず克己の意識が宙を舞う。
しばし思いを巡らして合点がいった。
教えたダンス動画は良くあるCG美少女が踊る動画だったのだが、その手の動画は大抵ミニスカ+スパッツが多い。該当の動画もたしかそうだったはず。
別に動画と同じ衣装で踊って欲しいとは言ってないのだが。
そういえば踊って欲しいとか言っておきながら、踊るときの衣装なんかとんと考えてなかったと克己は気づく。
普段自分がダンスの練習するときは学校指定のジャージで済ませているので、動画撮影時の衣装とかまるで考えていなかった。
「小笠原のスパッツ姿かー」
文面から暗に踊れませんというニュアンスが読み取れるのだが、思春期の頭に浮かんでいたのは違う想像らしい。
思春期度し難し。
しばしのち、玲子のスマホに届いたメールに玲子は首を傾げた。
「了解、それはなんとかする」
ーーーーー
勢い「なんとかする」なぞと見栄を張った克己だが、じきに激しく後悔した。
「スパッツてたけぇじゃん」
パンツもどきの1枚や2枚と高をくくっていたがネットで検索するとみなそれなりの値段だ。
自分と彼女の2枚分位と思ったがこれは考えを改めねばなるまい。
「バイトするしかねぇな」
ちなみに克己の学校は御多分に漏れず原則バイト禁止である。
普段の克己ならあっさり諦めてしまうところだが、思春期の恋心と言う奴は常識をあっさり飛び越える。
学業には碌に働かない克己の灰色の脳細胞が熱を帯びる。
もしかしたらこの時克己の脳細胞はピンクに輝いていたのかもしれない。
ーーーーー
「もちろん学校の許可は取ってさ」
朝食の慌ただしさを狙って、両親にダンス愛好会を作ろうと思っているが、愛好会は学校の援助が受けられないので部費にあたる運営費を自分たちで捻出しなければならない事、ついてはバイトを始めたい事を伝える。
早口で言いたい事だけ喋ると詳しい話を聞く間を与えずシンクに食器を放り込み家を飛び出す。
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